招詞
まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいます。 詩篇23篇6節
それゆえ、神は、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。
ピリピ人への手紙2章9節
ここで大切なのは、神である御父が御子イエスを高く上げられたということです。ここには御子の御父に対する謙遜の極みを見ます。だから「それゆえ」なのです。主の十字架の死にまで従順であられた事に対する御父からの報いです。
私たちに対しても、聖書は「主の御前にへり下りなさい。そうすれば、主があなたがたを高くしてくださいます。」という約束があります。しかし、イエスの場合の「高くする」というのと、私たちの場合の「高くする」ということには違いがあります。私たちの場合、神のちょうど良い時に、「しかるべきところまで上げてくださる」の意味ですが、イエスの場合の「高く上げて」ということばのギリシャ語は「ヒュペルプソオー」です。このことばは、ピリピ2:9にのみ使われていることばで「最高の栄誉」を与えられたという意味です。
「・・あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょうど良い時(神の時)に、あなたがたを高くしてくださるためです。」 ペテロの手紙第一5章6節
理不尽な扱いを受けてへこんだ時も、最高の栄誉を与えられて、神の右の御座に着かれたイエスさまを仰ぎつつ、「ちょうど良い時」を待ちませんか。 <銘形:「謙遜への招き」より一部引用>