招詞
いのちの泉はあなたとともにあり、あなたの光のうちに、私たちは光を見るからです。 注いでください。あなたの恵みを、あなたを知る者に。あなたの義を、心の直ぐな人に。
詩篇36篇9~10節
自分のもので自分のしたいことをしてはいけませんか。それとも、私が気前がいいので、あなたはねたんでいるのですか。 マタイの福音書20章15節
トーヴはギリシャ語ではアガソス(良い)ですが、上記の「私が気前がいい」という部分がそれです。皆の驚きは、夕方から働いた者も、朝から働いた者と同じ手間賃を貰えたことです。社会では考えられないことが神の国では現実のことになります。夕方から働いた者たちは、「だれも雇ってくれないからです。」と主人に訴えて、職を得ました。彼らは「貧しい者」たちの代表であり、これはそれを表すたとえです。
神のトーヴは、特に貧しい者たちに対する神の賜物の無償性という形で表わされているのです。それゆえ、神の前に謙遜に自分の貧しさを知ることは祝福につながります。この「貧しさ」は、決して神の呪いではなく、むしろ、神の計り知れない恩寵を受け取ることのできる資格なのです。
そして、これこそが永遠のいのちを得るためにイエスのもとに来た金持ちの青年に欠けていた「ただひとつのこと」だったのです。律法をすべて守っているとする金持ちの青年は、「自分の生存と防衛の保障を神にのみ信頼するという貧しさ」に欠けていました。 (マタイ19:16~22)