2024年6月9日日曜日

2024年06月09日 第2主日礼拝 教会の主はイエス ②

招詞
 正しい人の救いは、主から来る。苦難のときの、彼らの砦から。主は彼らを助け、解き放たれる。                              詩篇37篇39~40節

聖書箇所
コロサイ2章8~23

説教
教会の主はイエス ② 田口勇新牧師

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言(こと)ローグ/545 みことばを食べる(アコル)

 私はあなたのみことばが見つかったとき、それを食べ(味わい)ました。
そうして、あなたのみことばは、私にとって、楽しみとなり、心の喜びとなりました。
                                 エレミヤ書15章16節

 南王国のマナセ王が行った数々の悪行は、南ユダの滅亡、即ち、エルサレム陥落とバビロン捕囚を招く要因となりました。エレミヤは、この聞く耳を持たないマナセ王に預言と苦言を語り続けなければなりませんでした。次節の主の怒りの言葉を受け、無力感を経験し、預言者としての召命に揺らぎが出た時と言われています。

 主は私に言われた。「たとえモーセとサムエルがわたしの前に立っても、わたしの心はこの民に向かわない。この民をわたしの前から追い出し、立ち去らせよ。彼らがあなたに、『どこへ去ろうか』と言うなら、あなたは彼らに言え。『主はこう仰せられる。死に定められた者は死に、剣に定められた者は剣に、ききんに定められた者はききんに、捕囚に定められた者は捕囚に。』 
                                エレミヤ書 15章1~2節

 それでもエレミヤは、主のことばを王に語り続けました。上記、16節は、不信の王と主の怒りの狭間で見出した主からの励ましのみことばでした。後日、マナセ王自身は苦難に遭って、まことの神、主に立ち帰りましたので旧約の放蕩息子とも呼ばれています。悔い改めるのに遅すぎることはないという好例です。マナセ王の孫は、あの善王ヒゼキヤです。