招詞
正しい人は地を受け継ぎ、いつまでもそこに住む。主を待ち望め。その道を守れ。主はあなたを高く上げ、地を受け継がせてくださる。 詩篇37篇29、34a節
言(こと)ローグ/544 「慕い求める」と「捜し求める」
あなたがたがわたしを捜し求めるとき、心を尽くしてわたしを求めるなら、わたしを見つける。 エレミヤ書 29章13~14節 (新改訳2017)
わたしを捜し求めるならば見いだし、心を尽くしてわたしを尋ね求めるならば、わたしは見いだされる。 エレミヤ書 29章13~14節 (聖書協会共同訳)
13節には二つの渇望用語、慕い求める(バーカシュ)と捜し求める(ダーラシュ)が使われていますが、新改訳はその二つを同義的に訳しています。しかし、聖書協会共同訳ではその二つをそのまま訳しています。慕い求める(バーカシュ)が感情的な求めが強いのに対して、捜し求める(ダーラシュ)の方は、探り出す、調べるといった理性的意味合いが強いのです。そして、この二つの動詞で自己憐憫に陥っているバビロン捕囚で意気消沈している民にチャレンジしています。この二つの渇望なしに将来と希望の約束はあり得ないからです。神の民が感情と理性で文字通り全身全霊で神を尋ね求めることによって神を「見出し」ます。ただし、「心を尽くして」「一心に」することが条件です。なぜなら、心を尽くして求める時に、主は「見出される」とあるからです。では、神を「見出す」とはどういうことでしょう。それは神のみことばを通して、神を知り、神のみおしえを通してそのすばらしさを味わい、神の深い心に触れることを意味します。みことばが開かれて神のみこころを悟り、そのみこころがなされることを祈り求めるようになることです。神との愛のかかわ りが深められて、それ を喜ぶことです。
(銘形「ヘブル語のディリー ブレッド」から一部引用」)