2024年9月15日日曜日

2024年09月15日 第3主日礼拝 腐敗のパン種

招詞
 ほむべきかな、主。主は私の願いの声を聞かれた。 主は私の力、私の盾。私の心は主に拠り頼み、私は助けられた。私の心は喜び踊り、私は歌をもって、主に感謝しよう。 詩篇28篇6~7節

聖書箇所
ヨハネの黙示録2章18~29

説教
腐敗のパン種 田口勇新牧師

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言(こと)ローグ/558 謙遜についての教え(11)「謙遜の報い」

 へりくだりと、主を恐れることの報いは、富と誉れといのち。        箴言22章4節

 米国での教員に関する最近の調査によると、協力の効果が増大するのは、お互いが弱さを隠さない時だそうです。各々がへりくだって弱さをさらけだすなら、意見を言っても安全だと感じ、同僚の間で効果的な助け合いが生まれるといいます。聖書は謙遜の重要性を教えますが、それは仲間の協力のためだけではありません。「主を恐れる」とは、麗しく力強い全能の神と比較して自分を正しく理解することです。その報酬は「富と誉れといのち」です。謙遜は、世俗の価値ではなく、神の目に実りあるとされる共同体生活へと私たちを導きます。自分と同じく神のかたちをした信仰者の益を相互に求めるからです。ただし、「富と誉れといのち」を獲得するために、神を恐れるわけではありません。もしそうなら真の謙遜とはいえません。むしろ、「ご自分を空(むな)しくして、しもべの姿をと」られた(ピリピ2:7)イエスに倣うのです。 
                          (K. H「謙遜に生きる」より一部引用)

2024年9月8日日曜日

2024年09月08日 第2主日礼拝 マナと白い石

招詞
 一つのことを私は主に願った。それを私は求めている。私のいのちの日の限り、主の家に住むことを。主の麗(うるわ)しさに目を注ぎ、その宮で思いを巡らすために。    詩篇27篇4節

聖書箇所
ヨハネの黙示録2章12節~17

説教
マナと白い石 田口勇新牧師

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言(こと)ローグ/557 謙遜についての教え(10)「謙遜に生きる 」

 彼が強くなると、その心は高ぶり、ついに身に滅びを招いた。    歴代誌第二26章16節

 ムーディ聖書学院の創設者、ドワイト・ムーディーは言いました。「自分は強いと自信をもったとき、その人の転落は、遠くない。誰の目にも明らかになるまで数年かかるかも知れないが、転落はもう始まっている。」 ユダ王国の第10代の王ウジヤ王の場合も、全くこの通りでした。

 ウジヤの人生は、すべてが順調のようでした。彼は、在位した期間の大半は、神に従い霊的指導者に服従しました。王は神に助けを求め、神は必ず王に成功を与えられました。ところが、自分の成功に酔って分別がなくなってしまったのです。彼の思い上がりは、色々なところに現れました。彼は神の神聖を侵しました。自分は祭司の地位についていないにもかかわらず、聖所に入って香をたこうとしました(16節)。さらに、彼を正そうとした祭司の助言に耳を貸さず、悔い改めのチャンスを逃してしまいました。ウジヤは罪の報いを恐れるどころか、気にも留めませんでした(18-19節)。主は、彼をハンセン氏病で打たれました。ウジヤは「主は強める」という意味ですが、彼の暴走を主が止める結果になりました。

 神が何らかの分野で成功させてくださったなら、その成功の源である神さまを忘れてはいけません。神の前にへりくだりましょう。神は、謙遜な人を祝福してくださるのですから。低く生きるよう決断するなら、神が高くしてくださいます。
                    (M.ウィリアムズ「謙遜に生きる」より一部引用)

2024年9月1日日曜日

2024年09月01日 第1主日礼拝 華のスミルナ教会

招詞
 主は私の光、私の救い。だれを私は恐れよう。主は私のいのちの砦(とりで)。だれを私は怖(こわ)がろう。                            詩篇27篇1節

聖書箇所
ヨハネの黙示録2章8節~11節

説教
華のスミルナ教会 田口勇新牧師

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言(こと)ローグ/556 謙遜についての教え(9)「イエスに仕える 」

 いつ私たちは、あなたが病気をしたり牢(ろう)におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。                            マタイの福音書25章39節

 エリザベス・フライは、19世紀初頭、ロンドンの女性刑務所の環境に衝撃を受けました。受刑者とその子どもたちは、すし詰め状態で冷たい石の床に寝具もなく横たわり、水道の蛇口からはジン(酒類)が出ていました。彼女の監獄改良事業が始まり、英国の女性刑務所が変わり始めました。彼女は、受刑者に衣服を与え、子どもたちの学校を始め、聖書を教え、何年もかけて改革しました。しかし、最大の影響力は、その深い愛情と希望のメッセージだったそうです。
 聖霊の助けを得て他者に仕えるとき、不思議なことに、私たちはイエスに仕えています。エリザベスの模範に倣うことも、自宅でとりなしの祈りをしたり、励ましの手紙を書いたりすることも、また然りです。人を助けるために自分の力や霊の賜物を用いる行為を、イエスは、ご自分に対する愛と捉え喜んでくださいます。       ( A.ブッシャー「イエスに仕える」より一部引用)