2024年9月8日日曜日

2024年09月08日 第2主日礼拝 マナと白い石

招詞
 一つのことを私は主に願った。それを私は求めている。私のいのちの日の限り、主の家に住むことを。主の麗(うるわ)しさに目を注ぎ、その宮で思いを巡らすために。    詩篇27篇4節

聖書箇所
ヨハネの黙示録2章12節~17

説教
マナと白い石 田口勇新牧師

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言(こと)ローグ/557 謙遜についての教え(10)「謙遜に生きる 」

 彼が強くなると、その心は高ぶり、ついに身に滅びを招いた。    歴代誌第二26章16節

 ムーディ聖書学院の創設者、ドワイト・ムーディーは言いました。「自分は強いと自信をもったとき、その人の転落は、遠くない。誰の目にも明らかになるまで数年かかるかも知れないが、転落はもう始まっている。」 ユダ王国の第10代の王ウジヤ王の場合も、全くこの通りでした。

 ウジヤの人生は、すべてが順調のようでした。彼は、在位した期間の大半は、神に従い霊的指導者に服従しました。王は神に助けを求め、神は必ず王に成功を与えられました。ところが、自分の成功に酔って分別がなくなってしまったのです。彼の思い上がりは、色々なところに現れました。彼は神の神聖を侵しました。自分は祭司の地位についていないにもかかわらず、聖所に入って香をたこうとしました(16節)。さらに、彼を正そうとした祭司の助言に耳を貸さず、悔い改めのチャンスを逃してしまいました。ウジヤは罪の報いを恐れるどころか、気にも留めませんでした(18-19節)。主は、彼をハンセン氏病で打たれました。ウジヤは「主は強める」という意味ですが、彼の暴走を主が止める結果になりました。

 神が何らかの分野で成功させてくださったなら、その成功の源である神さまを忘れてはいけません。神の前にへりくだりましょう。神は、謙遜な人を祝福してくださるのですから。低く生きるよう決断するなら、神が高くしてくださいます。
                    (M.ウィリアムズ「謙遜に生きる」より一部引用)