2025年7月26日土曜日

2025年07月27日 第四主日礼拝 救われたニコデモ

招詞
 主に感謝し、御名を呼び求めよ。そのみわざを諸国の民の間に知らせよ。主に歌え。主にほめ歌を歌え。そのすべての奇しいみわざを語れ。主の聖なる名を誇りとせよ。詩篇105篇1~3a節

聖書箇所
ヨハネの福音書3章1~16節

説教
救われたニコデモ 田口勇新牧師

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言(こと)ローグ/601 アガペーの愛

 キリストは私たちのために、ご自分のいのちを捨ててくださいました。それによって、私たちに愛が分かったのです。ですから、私たちも兄弟のために、いのちを捨てるべきです。
                               ヨハネの手紙第一 3章16節

 初代教会は何と大胆な主張をしていたことでしょう。「私たちも兄弟のためにいのちを捨てるべきです。」とは! その根拠は、「イエスは、私たちのために、いのちを捨ててくださいました。・・・ですから」です。イエス・キリストの十字架のうちにそのような絶大なる神の愛を見、愛ということを知ったから、というのです。その愛は抽象的なものではなく、イエス・キリストにおいて示された神の愛のことでした。
 初代教会はどうしてその愛に動かされのでしょうか? 愛なるキリストと完全に一体となっていなければ、そのようなことは決して起こらなかったことでしょう。そのキリストとの交わりがキリストの復活を経験した弟子たちに生じたということでしょう。それが愛に動かされた初代教会のエネルギーとなったのでした。素晴らしい何かが、弟子たちに起こったのでした。そして、その愛は世々にわたって、その輪を広げてゆくべき使命を与えられたアガペーの愛です。 
                                (みことばの宅配便より)

2025年7月20日日曜日

2025年07月20日 第三主日礼拝 約束された相続人 ②

招詞
 私は命の限り、主に歌い、 生きるかぎり、私の神をほめ歌います。私の心の思いが、みこころにかないますように。 私は、主を喜びます。             詩篇104篇33~34節

聖書箇所
ガラテヤ書3章26節~4章7節

説教
約束された相続人② 田口勇新牧師

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言(こと)ローグ/600 まったき道

 ああ、なんと幸いなことだろう、責められるところのない道を歩み、主の御教えに従って歩んでいる人たち。ああ、なんと幸いなことだろう、主の御教えを守り、心から主を求める人たち。
                               詩篇119篇1~2節 現代訳

 新改訳は、責められるところのない道を「まったき道」と訳していますが、誤解されやすい言葉になりました。「完全な道」を求め、修道院運動が流行しました。中世のカトリック教会は完全な道と一般信徒の道の2つに分けて、人々に選択させました。よりよい人生を歩みたければ修道院に入り、修道士や修道女になれ。そうでない人たちは霊的なことを修道士に託して教会(のちのローマバチカンの教皇)に従え、と。
 しかし、きれいごとですみませんでした。貧しい人たちは、食い扶持を減らすために修道院に子女を預けました。後にマルチン・ルターと結婚したカテリーナは貧乏貴族の娘でした。両親は、食い扶持を減らすことと、結婚無し&持参金の工面の必要無しと考え、16歳で彼女を修道院に入れましたが、本人の意志は無視されました。清貧を歌う修道院の中には、ワイン作りで成功し、世の富みを蓄えたケースもありました。ルターは、そのような聖俗を分かつ思考と生き方を聖書的ではないとして批判し、排除しました。1517年に始まったルターの宗教改革が進む中、カテリーナは、友人たちと修道院を出てそれぞれ結婚し、聖書の教えに従って救い主イエスさまを主と仰ぐ家庭を築いていきました。
 完全な道を求めることを人間力で進めようとした時に歪みがでました。イエス様を信じ、愛して、単純実直な道、裏表の無い歩き方をすれば良いのです。忠実な信仰者はただひたすらイエス様にのみより頼みます。そして、これは、全てのクリスチャンに求められる生き方です。 
                       (みことばの宅配便「まったき道」を一部引用)

2025年7月13日日曜日

2025年07月13日 第二主日礼拝 約束された相続人

招詞
 人、その一生は草のよう。人は咲く。野の花のように。風がそこを過ぎると、それはもはやない。・・・しかし、主の恵みは、とこしえからとこしえまで、主を恐れる者の上にあり、その義は、その子らの子たちに及ぶ。                    詩篇103篇15~17節

聖書箇所
ガラテヤ書3章26~29節

説教
約束された相続人 田口勇新牧師



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言(こと)ローグ/599 二倍の分け前

 エリヤはエリシャに言った。「あなたのために何をしようか。私があなたのところから取り去られる前に求めなさい。」するとエリシャは、「では、あなたの霊のうちから、二倍の分を私のものにしてください。                              列王記第二2章9節

 紀元前9世紀、神は偶像崇拝の過ちを正すために預言者エリヤをイスラエル北王国に遣わし、真実を語らせ、奇跡を起こさせました。後継者エリシャは従者としてそれをずっと見てきましたが、そのエリヤはまもなく「天に上げられ」ます(Ⅱ列 2:1)。神の働きを続けていくには、エリヤに与えられた賜物が必要です。エリシャは大胆にも、「あなたの霊のうち
から二倍のものが私のものになりますように」と願いました。これは、後継者たる長子には、他の相続人の2倍の分け前が与えられたことに由来します(申 21:17)。エリシャは、エリヤの後継者に認めて欲しいと願い、神は「良し」と言われたのです。
 イエスの十字架と復活を信じる私たちも特権と祝福をいただいています。私たちは神の子と呼ばれ、約束の聖霊が与えられています。三位一体の神が今日、私たちの内に生きておられます。
                         A.B.パイ「約束された聖霊」より一部引用

2025年7月6日日曜日

2025年07月06日 第一主日礼拝 音楽礼拝 イエス様ご自身には癒しがある

聖書の言葉

 そこに12年の間、長血をわずらい、医者たちに財産すべてを費やしたのに、だれにも治してもらえなかった女の人がいた。彼女はイエスのうしろから近づいて、その衣の房に触れた。すると、直ちに出血が止まった。イエスは、「わたしにさわったのは、だれですか。」と言われた。みな自分ではないと言ったので、ペテロは、「先生。大勢の人たちがあなたを囲んで押し合っています。」と言った。
 しかし、イエスは言われた。「だれかがわたしにさわりました。わたし自身、自分から力が出ていくのを感じました。」彼女は隠しきれないと知って、震えながら進み出て御前にひれ伏し、イエスにさわった理由と、ただちに癒された次第を、すべての民の前で話した。イエスは彼女に言われた。「娘よ、あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい。」 
                              ルカの福音書8章43~48節

 まことに、彼は私たちのやまいを負い、私たちの痛みを担った。それなのに、私たちは思った。神に罰せられ、打たれ、苦しめられたのだと。
 しかし、彼は私たちの背きのために刺され、私たちの咎のために砕かれたのだ。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、その打ち傷のゆえに、私たちは癒やされた。
 私たちはみな、羊のようにさまよい、それぞれ自分勝手な道に向かって行った。しかし、主(神)は私たちすべての者の咎を、彼に負わせた。             イザヤ書53章4~6節
 
ハープ演奏 & メッセージ
イエス様ご自身には癒しがある キャサリン・ポーター師