2018年4月22日日曜日

2018年04月22日 第4主日礼拝 新約聖書と福音 / 生活 ー召しに応えるー

招詞
あなたの重荷を【主】にゆだねよ。主は、あなたのことを心配してくださる。主は決して、正しい者がゆるがされるようにはなさらない。                  詩篇55篇22節

聖書箇所
コロサイ人への手紙1章13~14節

説教
新約聖書と福音 銭谷幸器牧師
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生活 ー召しに応えるー 銭谷幸器牧師
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言(こと)ローグ/233 霊的フレンドシップ(友情)の重要性
 
 「二人でも三人でも、わたしの名において集まる所には、
                  わたしもその中にいるからです。」 マタイ18章20節

 一人になってみ言葉を黙想することは、詩篇であれ、他の箇所であれ信仰の成長のためになくてはならないものです。しかし、同時に、教会という信仰共同体の中で、霊的フレンドシップを育てることも同じように大切です。なぜなら、瞑想の訓練は、一人ひとりが孤立して行うものではなく、教会(共同体)の中で共に支えられて行うものです。それは、主にある者たちが、この世の価値観と生き方に流されることなく、一人一人が無くてはならない大切な存在であることへの「気づき」を与えられるからです。
 上記、イエスさまのみことばは、私たちがキリストのいのちにあふれる者となっていくために、もう一度、霊的フレンドシップの重要性を見直すべき約束ではないでしょうか。今日も分かち合いの時を持たせていただきましょう。        (銘形「詩篇瞑想の手引き」より一部引用)

2018年4月15日日曜日

2018年04月15日 第3主日礼拝 復活 ーなかったらどうなるのか?

招詞
主よ。私のくちびるを開いてください。そうすれば、私の口は、あなたの誉れを告げるでしょう。
                                    詩篇51篇15節

聖書箇所
コリント人への手紙15章12~22節

説教
復活 ーなかったらどうなるのか? 菅孝雄兄

言(こと)ローグ/232 サプリメント思考と詩篇 

 詩篇を深読みし、瞑想しようとするとき、サプリメント思考ではやがて神との関係において壁に突き当たると思います。つまり、自分の好きなところを、今の自分に必要と思う栄養だけを補充しようと考えているならば、神さまとの健全な関係を築き上げていくことはできません。
 できるだけ、詩篇の作者(記者)が言わんとするところに耳を傾け、ある部分だけでなく、いつもその詩篇全体を読むという視点をもって考える訓練が必要です。詩篇は、一見モノローグ(独白)のように見えますが、ほとんどの詩篇は神さまとのディアローグ(会話)として読むことが出来ます。神さまが、どう答えられるか、それを作者はどう受け止めたかを読むことができます。
 この訓練は時間がかかりますが、やがて、ディアローグ(会話)からひとつひとつの詩篇のもっているダイナミックなメッセージが聞こえてくると信じます。その境地を会得するまでちょっと頑張ってみませんか?                 (銘形「詩篇瞑想の手引き」より引用)

2018年4月8日日曜日

2018年04月08日 第2主日礼拝 罪の「きよめの」ささげもの

招詞
神よ。私にきよい心を造り、ゆるがない霊を私のうちに新しくしてください。
                                    詩篇51篇10節


聖書箇所
レビ記4章1~12節

説教
罪の「きよめの」ささげもの 老松望KGK主事
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言(こと)ローグ/231 トーラーとマズムル(律法と詩篇)
 
 ユダヤ教のシナゴーグ礼拝では、毎週、トーラー(モーセ5書)が順に朗読されました。それに附随して、詩篇(マズムル)も朗読されていたようです。聖書は、すべて神の霊感により、モーセ5書はモーセにより、詩篇は、ダビデたち詩篇作家により、神に選ばれた人々により書き留めました。モーセ五書が神から人に啓示されたものであるのに対して、詩篇のそれは人から神への祈り・讃美であるということが対照的です。詩篇を朗読する伝統は、詩篇が編纂された時から、現代に至るまで常に受け継がれてきたということは驚くべきことです。当教会でも、毎週の礼拝で、詩篇を唱和しています。長い伝統の中で継承されてきた詩篇を、日々味わいながら、色あせることのないダビデたちの霊性というものを再発見していきましょう。
                            (銘形 詩篇アラカルトより引用)
 

2018年4月1日日曜日

2018年04月01日 イースター・召天者記念礼拝 信仰の目で 

招詞
驚いてはいけません。あなたがたは、十字架につけられたナザレ人イエスを捜しているのでしょう。あの方はよみがえられました。               マルコの福音書16章6節

聖書箇所
ルカの福音書24章13~32節

説教
信仰の目で 田口勇新牧師
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2018年3月25日日曜日

2018年03月25日 第4主日礼拝 十字架とパラダイス

招詞
キリストは、自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。               ペテロの手紙第一2章24節

聖書箇所
ルカの福音書23章32~43節

説教
十字架とパラダイス 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/230 彼らをお赦しください

       「父よ。彼らをお赦しください。」         ルカ23章34節

 イエスが十字架上で最初に口にしたのが、「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分で分からないのです。」という祈りでした。この祈りは、イエスがオリーブ山にあるゴルゴタにおいて、つまりエルサレムの全景を見渡せるところから、自分を拒絶し、自分に敵対したたすべての人々(祭司長たちと彼らによって扇動された群衆たちも含む)や、また直前までイエスをあざけった道行く人々、そして、イエスと共に十字架につけられた二人の強盗どもに対して祈られた祈りでした。
 そして、マタイ27:44とマルコ15:32では、イエスと共に十字架につけられた二人の強盗どももイエスをののしっていました。自分自身のためにではなく、自分を十字架にかけた者たちに対して、その罪を赦すようにと祈っていたのです。この状況でこんな祈りができることは尋常ではありません。しかも、この祈りはギリシア語では未完了形で記されています。つまり、一回切りの祈りではなく、繰り返しこの祈りを祈られたことを意味します。私たちも、救いを求めるまでは、繰り返しイエスの祈りの中にいた者です。この重いことばに感謝しましょう。
                         (銘形「イエスの7つの言葉」より引用)

2018年3月18日日曜日

2018年03月18日 第3主日礼拝 一致と多様性

招詞
主のしもべたちよ。主の御名をほめたたえよ。 今よりとこしえまで、主の御名はほめられよ。 日の上る所から沈む所まで、主の御名がほめたたえられるように。         詩篇113篇1~3節

聖書箇所
エペソへの手紙4章4~10節

説教
一致と多様性 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/229 詩篇に見る比喩 ③ 直喩 シミリー

 まことに、その人は【主】のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。 その人は、水路のそばに植わった木のようだ。                       詩篇 1篇2~3節

 直喩 (明喩)は、「・・・のようだ」という類似性を用いた修辞法で、詩篇では沢山用いられ、読む者の理解を助けています。
 上記、詩篇1:3「その人は、水路に植わった木のようだ。」と、それに続く「悪者は、風が吹き飛ばすもみがらのようだ」の様に表現します。
 「木ともみがら」のような名詞だけでなく、次の詩篇42篇1節なども直喩です。
「鹿が谷川の流れを慕いあえぐように、私のたましいはあなたを慕いあえぎます。」
 この場合、前半の節全体が、鹿が夢中になって谷に流れる清流に降って行き、冷たく美味しい水を求めるように、自分の魂は主、神さまを心から慕って、神のもとに行き、いのちの水である神のことばを願い求めます、という信仰の告白です。   (銘形 「詩篇の修辞的表現」より引用)

2018年3月11日日曜日

2018年03月11日 3.11祈念礼拝 愛と一致の力で

招詞
神よ。あなたが天であがめられ、あなたの栄光が全世界であがめられますように。 あなたの愛する者が助け出されるために、あなたの右の手で救ってください。      詩篇108篇5~6節

聖書箇所
エペソへの手紙4章1~4節

説教
愛と一致の力で 田口勇新牧師
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働きの報告
3.11 いわて教会ネットワーク
 『いっぽいっぽ山田』の活動紹介 小山公平宣教師

2018年3月4日日曜日

2018年03月04日 第1主日礼拝 神の召しにふさわしく

招詞
主よ。私は、国々の民の中にあって、あなたに感謝し、国民の中にあって、あなたにほめ歌を歌いましょう。 あなたの恵みは大きく、天の上にまで及び、あなたのまことは雲にまで及ぶからです。
                                  詩篇108篇3~4節

聖書箇所
エペソ人への手紙4章1~3節

説教
神の召しにふさわしく 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/228 詩篇に見る比喩  ②隠喩(いんゆ)

 【主】は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。  詩篇 23篇1節

 隠喩(いんゆ)は、「AはBである」という形式で比喩を表現する修辞法です。上記、ダビデは、「【主】は、私の羊飼い」と隠喩を使っています。特に、隠喩は、しばしば信仰告白的表現として用いられています。
* 【主】はわが巌、わがとりで、わが救い主、身を避けるわが岩、わが神。
  わが盾、わが救いの角、わがやぐら。詩篇18篇2節
* 神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助け。詩篇46篇1節
* ヤコブの神はわれらのとりでである。詩篇46篇11b節
* 神なる主は太陽です。盾です。詩篇84篇11節
 隠喩と似ているのが、「Aは、Bのようだ」となる直喩(ちょくゆ)ですが、次回に詳しくご説明します。                         (銘形 「詩篇の修辞的表」)