招詞
全地よ。主に向かって喜びの声をあげよ。喜びをもって主に仕えよ。 喜び歌いつつ御前に来たれ。 知れ。主こそ神。 主が、私たちを造られた。 私たちは主のもの、主の民、その牧場(まきば)の羊である。 詩篇100篇1~3節
まずあなたの兄弟と仲直りをしなさい。 マタイの福音書 5章24節
息子とスポーツ観戦に行ったとき、試合だけではなく人間ウォッチングもすることになりました。人間の良い面と悪い面の両方を見せてくれた人がいたからです。その人はスタジアムで迷子になって、自分の席に帰れなくなっていました。それで立って辺りを見回していたのですが、それが私たちの視界をさえぎるような場所でした。座っていた人は試合が見えないので、「どいてくれないか。見えないじゃないか」と言いました。するとその男性は、「そりゃ気の毒だな!」と皮肉たっぷりに答えたのです。そして、もう一度言われると、今度は怒気を含んだ声で同じ言葉を繰り返しました。しばらくすると、その男性はようやくあっちに行きましたが、驚いたことにすぐに戻ってきて、見えないと文句を言った男性に、「さっきは悪かったな。実は席が見つからなくてイライラしていたんだ」と言ったのです。ふたりは握手をして、この件は友好的に片付きました。
彼らのやり取りを見て、私は考えさせられました。日々の生活の中で、イライラし、キリスト者として恥ずかしい言動をしたことがあるかもしれません。もしそうならば、私たちは、失礼をした相手に謝る勇気をくださいと、神に願わなければなりません。上記のイエスの言葉によると、そうするか否かで、私たちの礼拝が受け入れられるかどうかが決まるのです。和解を優先事項にしているなら、私たちは、神に栄誉を帰しています。天の父との交わりを十分に楽しむことができるのは、和解した後のことです。 (D.プラノン「悪かった」より一部引用)