2025年6月22日日曜日

2025年06月22日 第四主日礼拝 心の板に書き記す

招詞
 恵みと裁きを、私は歌います。主よ、あなたにほめ歌を歌います。 私は、全き道に心を留めます。いつあなたは、私のところに来てくださいますか。私は家の中を全き心で行き来します。 私は、目の前に卑しいことを置きません。私は、曲がったわざを憎み、それが私にまといつこことはありません。 詩篇101篇1~3節

聖書箇所
箴言3章1~6

説教
心の板に書き記す 田口勇新牧師


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言(こと)ローグ/597 謙遜になれない時

 しかし、彼(ウジヤ王)が強くなると、その心は高ぶり、ついに身に滅びを招いた。 
                                 歴代誌第ニ26章16節

 ムーディ聖書学院の創設者、ドワイト・ムーディーは言いました。「自分は強いと自信をもったとき、その人の転落は、遠くない。誰の目にも明らかになるまで数年かかるかも知れないが、転落はもう始まっている。」 ウジヤ王の場合も、全くこの通りでした。
ウジヤ王の人生は、すべてが順調のようでした。彼は、在位した期間の前半は、神に従い霊的指導者に服従しました。王は神に助けを求め、神は必ず王に成功を与えられました。
 その人生は、成功に満ちた偉大なものでした。ところが、自分の成功に酔って分別がなくなってしまったのです。彼の思い上がりは、色々なところに現れ、ある日、彼は神の神聖を侵しました。自分は祭司の地位についていないにもかかわらず、聖所に入って香をたこうとしました(16節)。彼は、神の御力をもらいたいと勝手に考え、祭司のように振る舞いました。祭司の正しい助言に耳を貸さず、悔い改めのチャンスを逃してしまいました。ウジヤ王は罪の報いを恐れるどころか、気にも留めませんでした(19節)。怒りで反抗しようとした瞬間、彼の額にツァラアト(皮膚病)があらわれ、主の聖所から追放されました。
 神が何らかの分野で成功させてくださったなら、その成功の源を忘れてはいけません。神の前にへりくだりましょう。神は、謙遜な人を祝福してくださるのですから。低く生きるよう決断するなら、神が高くしてくださる。         (M.ウィリアムズ「謙遜に生きる」より一部引用)