2021年1月2日土曜日

2021年01月03日 新年礼拝 12歳の都上り

招詞
 ハレルヤ。主のしもべたちよ主の御名をほめたたえよ。今よりとこしえまで。主の御名がほめられるように。だれが私たちの神、主のようであろうか。主は高い御位に座し身を低くして天と地をご覧になる。                        詩篇113篇1~2、5~6節

聖書箇所
ルカの福音書2章39節~52節

説教
12歳の都上り 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/369 天の都への旅
 苦しみのうちに私が主を呼び求めると主は私に答えてくださった。      詩篇120篇1節

 2021年です。天の御国を目ざす旅の新しい一ページが始まりました。イスラエルの人々は、出エジプト23:14のみ言葉に従い、三大祭と呼ばれる過越しの祭り(ペサハ)、七週の祭り、仮庵の祭りの時にエルサレムに上り、神殿で天地創造の神に礼拝を捧げました。旅費がかかりますから、遠隔地の人や貧しい人々は、ペサハを選んで年一回だけ出かけました。ペサハは、男子だけで60万人(全体で300万人ほど)が奴隷にされていたエジプトを脱出した時に神が起こされた奇跡を回顧し1週間祝われました。ユダヤ人は今でも祝っています。教会の時代が始まって40年足らずの紀元70年に、エルサレム神殿はローマ軍に破壊されましたが、聖書は、完成形として、天から下って来る新しいエルサレム(黙示録3:12ほか)を啓示しています。ですから、ダビデの時代のエルサレムと幕屋も、イエスの時代のエルサレムと神殿も、新しい天のエルサレムを示すひな型です。ダビデの詩篇120篇、130篇は、「苦しみのうち」、「深い淵」から始まり、主に助けを求めています。詩の結論は、「主に呼ばわると、主は私に答えられた。」です。私たちが、神と出会う契機として、多くの人がなんらかの「苦しみ」や「深き淵」を経験します。それは人の悪意によってもたらされることもあれば、自分の罪によってもたらされたりもします。私は、高校の時、二人のクラスメートが高校隣りの教会に行っていたので、クラス全員で訪ねたのが最初でした。大切なことは、そこから主を呼び求め、一縷の望みとして主を待ち望むことが引き出されていることです。イエス様に感謝しながら天の都への旅を続けましょう。 
                           (銘形「詩篇の瞑想」より一部引用)