招詞
家を建てる者たちが捨てた石、それが要の石となった。これは主がなさったこと。私たちの目には不思議なことだ。これは主が設けられた日。この日を楽しみ喜ぼう。
詩篇118篇22~24節
聖書箇所
ルカの福音書5章27節~32節
説教
マタイの半生 田口勇新牧師
説教動画はこちら:
音声のみはこちら:MP3音声ファイル
言(こと)ローグ/373 教える(ディダスコー)
イエスがこれらのことばを語り終えられると、群衆はその教えに驚いた。というのは、イエスが、律法学者たちのようにではなく、権威ある者のように教えられたからである。
マタイの福音書7章28~29節
イエスの3つの働きについて掘り下げましょう。イエスは当時の律法学者たちの慣習に従い、会堂で教えられましたが、多くの⼈々はイエスの教えに驚きまし た。それは律法学者のようではなく、権威ある者のように教えられたからです。イエスの教えの特徴は当時の律法学者たちの伝統的なトーラー(モーセ5書)の解釈に対して、批判的、かつ挑戦的な解釈だったからです。「教える=ディダスコー」という動詞は、特に「⼭上の説教」に⾒られるように、御国の福音の教えとトーラーの新しい解釈とが結びついていて、⼈々の意表をつく解釈でした。
「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」マタイの福音書5章3節
( 銘形「マタイの福音書の瞑想」より一部引用)