2022年1月8日土曜日

2022年01月09日 第2主日礼拝 夢見るヨセフ

招詞
 わがたましいよ。主をほめたたえよ。わが神、主よ。あなたはまことに大いなる方。あなたは威厳と威光を身にまとっておられます。あなたは光を衣のようにまとい、天を、幕のように張られます。                                詩篇104篇1~2節

聖書箇所
創世記37章1~36節

説教
夢見るヨセフ 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/421 神の栄光(カヴォドとドクサ)
 
 何をするにも、ただ、神の栄光を現わすようにしなさい。コリント人への手紙第一10章31節

 「栄光」(ヘブル語:カヴォド、ギリシャ語:ゴクサ)とは、「目に見えない神の輝かしい臨在」のことです。旧約聖書に200回、新約聖書には166回使われている最重要語の一つです。
神さまは、稲妻や雷など自然界を通して、またモーセと燃える柴(出3)など超自然的な現象を伴ってご自身の栄光が現わされました。また、人や場所を通してご自身の栄光を表されます。
ある私訳では、「心を込めて熱心に、しかも、喜んで、惜しげもなく、大胆に、自発的に、気前よく、すべてのことをして神の栄光が現わされるようにしなさい」とあります。信じた人にとって、身体と心の所有者は神ご自身です。しかし使用権が私たちに与えられています。病弱であっても、身体の不自由をもっていたとしても、私たちはこの身体をもって神の栄光を現わすことができます。星野富弘さんはその良い例です。彼は体育の教師でした。宙返りをした時に頭から落ちて、首から下が不随になりました。苦しみの中で、寄り添う人々の助けでキリストに出会い、クリスチャンとなりました。一見、身体は不自由に見えるのですが、心は反対に空を飛ぶ鳥のように、自由に生きることができることは、星野さんの詩画集から歴然としています。
私たちの存在を丸ごと受け入れて下さった神の栄光を現わすことが、神の子どもとしての生きる目的です。祈りの生活を通して、ご聖霊の静かな声に耳を傾けるとき、私たちが神の栄光を現わす存在となっていきます。              (銘形「ヘブル語のキ―ワード」より引用)