2023年10月8日日曜日

2023年10月08日 第2主日礼拝 神の喜ばれる礼拝

招詞
 悪しき者は心の痛みが多い。しかし、主に信頼する者は、恵みが、その人を取り囲んでいる。正しい者たち。主を喜び楽しめ。すべて心の直ぐな人たちよ。喜びの声をあげよ。
                                  詩篇32篇10~11節
 
聖書箇所
創世記4章1~7節

説教
神の喜ばれる礼拝 松山裕師(録画説教)

言(こと)ローグ/509 トーヴ⑤ 苦難の時の悲しみ 3
 68 あなたはいつくしみ深くあられ、 いつくしみを施されます。 71 苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。72 あなたの御口のおしえは、私にとって幾千の金銀にまさるものです。               詩篇119篇71~72節

 原語は「トーヴ」ですが、上記の3節では、それがいろいろな意味合いをもって訳されています。68節では「いつくしみ深い」、71節では「しあわせ」、72節では「~よりも勝っている」と。ここでの作者はすでに苦しみを乗り越え、意味を見出すことができたので、このようなすがすがしいことを告白しているのですが、新共同訳では単なる「苦しみ」ではない、「卑しめられた」のだと解釈しています。
【新共同訳】卑しめられたのは、わたしのために良いことでした。
多くの人は、神がいるならなぜこんなことが起こるのかと思うでしょう。そして多くの場合、私は決してこんなことが起こることを許した神を赦さないという思いをもってしまうのです。しかし、そんな人の思いとは別に神の計画がありました。神が彼らを苦難に会わせられたのには理由があったのです。その理由とは、彼らをしてより真剣に神を求めさせるためであったのです。実は、この神の思いを預言者エレミヤがバビロン捕囚の出来事が起こる前に神の民たちに語っていたのですが、王も側近も祭司たちもそんな話に喜んで耳を傾ける真摯な信仰を持っていませんにでした。エレミヤ書29章で彼は、神の民イスラエルの人々がバビロンの捕囚の身となることを前提に語っています。(続く)                (銘形「神の善(トーヴ)」から一部引用」)