招詞
すべて、主の聖徒たちよ。 主を愛しまつれ。主は誠実な者を保たれるが、高ぶる者には、きびしく報いをされる。 雄々しくあれ。心を強くせよ。すべて主を待ち望む者よ。
詩篇31篇23~24節
聖書箇所
イザヤ書29章11~14節
説教
神の御計画 銭谷幸器(録画説教)
言(こと)ローグ/509 トーヴ⑤ 苦難の時の悲しみ 2
バビロンの川のほとり、そこに、私たちはすわり、シオンを思い出して泣いた。町中の柳の木々に私たちは立琴を掛けた。それは、私たちを捕らえてきた者たちが、そこで、私たちに歌を求め、私たちを苦しめる者たちが、余興に、「シオンの歌を一つ歌え」と言ったからだ。私たちがどうして、異国の地にあって主の歌を歌えるだろうか。 詩篇137篇1~4節
バビロンでの「苦しみ」は、イスラエルの民にとって(特に、ユダ族にとって)、想像を超えるような、想定外の苦難でした。その苦しみとは彼らが大切にしていたエルサレムの神殿は跡形もなく破壊され、国を失っただけでなく、バビロンという異国の地の捕囚の民とされる辱めの経験でした。バビロンに捕囚となった者たちの多くは、有能な人々でしたが、灌漑工事の強制労働をさせられていた人も多かったと思われます。その灌漑した川のほとりで歌った歌が上記、詩篇137篇です。使徒パウロは、悲しみには二つの種類があると述べています。(コリント第二7章10節)。ひとつは、神のみこころにそった悲しみで、それは悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせるものです。この悲しみの涙の現実は、自分が神を認めず、神を忘れ、神のもとから離れたことが間違いだったと認める涙です。詩篇137篇の作者の涙はこの涙でした。
(続く) (銘形「神の善(トーヴ)」から一部引用」)