招詞
御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ、聖なる霊によれば、死者の中からの復活により、力ある神の子として公に示された方、私たちの主イエス・キリストです。
ローマ人への手紙1章3~4節
その上に主の霊がとどまる。それは知恵と悟りの霊、思慮と力の霊、主を恐れる、知識の霊である。 イザヤ書11章2節
「主の霊」(ルーアッハ・アドナイ)がメシアに注がれましたが、実際、主の霊はどのようにイエスに注がれたのでしょうか。
以下の三つのグループに分けられますが、それらはいずれも王に求められる資質なのです。
・第一はメシアの知的資質としての「知恵と悟りの霊」 マタイ4:1他
・第二はメシアの統治的資質としての「思慮と力の霊」 山上の説教(マタイ5章以下)他
・第三はメシアの霊的資質としての「主を恐れる、知識の霊」 イザヤ 11:9 他
やがて、御国においては、神の民が「みな、身分の低い者から高い者まで、わたしを知るようになる」(エレミヤ 31:34)ということは、何という希望でしょうか。それは御国が御霊によって支配されているからにほかなりません。「見よ、その時代が来る」のです。大いなる期待をもって、それを待ち望む者となりましょう。また、「待ち望む」のは私たちだけではありません。被造物全体なのです。 (銘形「アドベントの瞑想」から部分引用)