招詞
まことに主は大いなる方、 大いに賛美される方。 すべての神々にまさって恐れられる方だ。まことに、どの民の神々も、みな偽りだ。しかし主は天をお造りになった。 詩篇96篇4~5節
その人は、流れのほとりに植えられた木。 詩篇1篇3節
ビルは退職した高齢の男性で、一人暮らしをしており、最近、車の免許を返納しました。食料品や薬などを買うときや日曜日の礼拝に行くときは、誰かに送迎してもらっています。しかし彼はみじめや孤独ではありません。「家で過ごすのは悪くないよ。ネットで無料の賛美歌を聴いたり、バイブル・スタディをしたり、一日中楽しんでいる」。ビルの日々は、神のみことば、祈り、賛美に包まれています。
日常の習慣は、心に植えつけられるものを左右します。詩篇1篇は、神の恵みを受けた人の習慣を語ります。彼らは、真理を愛して何度も心の中で反すうし、神に逆らう世俗の流れに従いません(1-2節)。誰にでも苦難は訪れますが、神の道を歩んで確立された人生は「流れのほとりに植えられた木。…その葉は枯れず、…」(3節)です。人生には、じっくり聖書を読む時間など取れない、という時期もあるでしょう。しかし、イエスは、渇いている人が来るならば必ず潤してあげる、聖霊がその人を川のようにする、と言われました(ヨハネ7:37-39)。私たちは賛美や聖書のみことばを通して、心を命の水で潤すことができます。また、人を思いやり、神と語り合い、つまずいても赦しを請うならば、心がすがすがしくなります。
みことばに対する従順は、私たちの心を肥沃な地に植えつけてくれます。それは義なる人生。神はそれを知っておられます(詩篇1:6)。
(K・ピンポ 「流れのほとりに植えられた」 より一部引用)