招詞
私は、主の恵みを、とこしえに歌います。あなたの真実を代々限りなく私の口で知らせます。私は言います。「御恵みは、とこしえに打ち立てられ、あなたはその真実を、天に堅く立てておられます。」 詩篇89篇1~2節
私たちは見えるものではなく、見えないものに目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠に続くからです。 コリント人への手紙第二4章18節
十字架の前日、オリーブ山でイエスが弟子たちに話されたこと(マタイ4:3~25:46、マルコ13:3~37、ルカ21:37~38)は、すでに起こったものもあれば、今だ、起こっていないものもあります。セカリヤ書の最後の13~14章にはイエスがオリーブ山で語られた終末の話が記されています。「終わりの日」についてのイエスが語られたこと、また他の新約聖書の書巻(使徒たちの書巻、ヨハネの黙示録)を学ぶことで、終わりの日の出来事を知ることができます。
しかしそれを知りながら、どのように待つかについて、① ある人々は「全世界に福音が伝えられる」ための使命感に強調点を置き、その働きに邁進しています。② ある人々(特にユダヤ人)はイスラエルへ帰還しています。③ ある人々はユダヤ人を助け、ユダヤ人と異邦人の一致(福音の奥義としての一致の実現)のための掛け橋の働きをしています。④ ある人々は世界の平和を祈り、実現しようとしています。⑤ ある人々は主の再臨を待望し、祈り続けています。
私たちはどれにあたるでしょうか? 終末に対する理解が、今の自分の生き方を決定づけていくように思います。私たちは目に見えるものに振り回されやすい者です。あとから振り返ってみると、どうでもよかったと思えることのために、多くの時間と精力を費やしてしまう者です。どこに目を向けて生きるべきかこの受難節に深く考えませんか。
(銘形「十字架の最後の一週間」から一部引用)