2025年3月29日土曜日

2025年03月30日 第五主日礼拝 紙にしゃべらせろ

招詞
 私は、主の恵みを、とこしえに歌います。あなたの真実を代々限りなく私の口で知らせます。私は言います。「御恵みは、とこしえに打ち立てられ、あなたはその真実を、天に堅く立てておられます。」                                詩篇89篇1~2節

聖書箇所
ペテロの手紙第一1章18~24節

説教
紙にしゃべらせろ 田口勇新牧師

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言(こと)ローグ/585 見えないものにこそ

 私たちは見えるものではなく、見えないものに目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠に続くからです。             コリント人への手紙第二4章18節

 十字架の前日、オリーブ山でイエスが弟子たちに話されたこと(マタイ4:3~25:46、マルコ13:3~37、ルカ21:37~38)は、すでに起こったものもあれば、今だ、起こっていないものもあります。セカリヤ書の最後の13~14章にはイエスがオリーブ山で語られた終末の話が記されています。「終わりの日」についてのイエスが語られたこと、また他の新約聖書の書巻(使徒たちの書巻、ヨハネの黙示録)を学ぶことで、終わりの日の出来事を知ることができます。
 しかしそれを知りながら、どのように待つかについて、① ある人々は「全世界に福音が伝えられる」ための使命感に強調点を置き、その働きに邁進しています。② ある人々(特にユダヤ人)はイスラエルへ帰還しています。③ ある人々はユダヤ人を助け、ユダヤ人と異邦人の一致(福音の奥義としての一致の実現)のための掛け橋の働きをしています。④ ある人々は世界の平和を祈り、実現しようとしています。⑤ ある人々は主の再臨を待望し、祈り続けています。
 私たちはどれにあたるでしょうか? 終末に対する理解が、今の自分の生き方を決定づけていくように思います。私たちは目に見えるものに振り回されやすい者です。あとから振り返ってみると、どうでもよかったと思えることのために、多くの時間と精力を費やしてしまう者です。どこに目を向けて生きるべきかこの受難節に深く考えませんか。
                      (銘形「十字架の最後の一週間」から一部引用)

2025年3月23日日曜日

2025年03月23日 第二主日礼拝 ナタナエルの求道

招詞
 主よ、あなたの道を私に教えてください。私はあなたの真理のうちを歩みます。私の心を一つにしてください。御名を恐れるように。わが神、主よ、私は心を尽くしてあなたに感謝し、とこしえまでも、あなたの御名をあがめます。あなたの恵みが私の上に大きく、あなたが私のたましいを、よみの深みから救い出してくださったからです。           詩篇86篇11~13節

聖書箇所
ヨハネの福音書1章47~51節

説教
ナタナエルの求道 田口勇新牧師

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言(こと)ローグ/584 レッテル
 しかし、私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死なれたことによって、神は私たちに対するご自分の愛を明らかにしておられます。      ローマ人への手紙5章8節


 ユニークな新来者カードを配る教会があります。「もしも、あなたが…聖者、罪人、失敗者、成功者、依存症患者、偽善者、うそつき、臆病者、嫌われ者…等々ならば、大歓迎いたします」と書かれているのです。これは神の愛と恵みを正しく表しています。
 このカードが言うように、神の恵みは人の自己認識(レッテル)とは無関係です。なぜなら、恵みは神の愛に基づいており、自分のことを優秀だと思おうが、悪人だと思おうが関係ありません。永遠のいのちは神の賜物なので、誰でもそれを受け取れます。
 神のご要求は、自力で変わりなさい、ではありません。神は、そのままでそばに来て、イエスに会って希望を見つけなさいと言われます。イエスを信じて癒され、罪から解放されなさいと言われます。神は今のままのあなたを受け入れようと待っておられます。神の赦しは人に貼られたどんなレッテルも寄せつけません。        (D・マッカスランド 「レッテル」から一部引用)

2025年3月16日日曜日

2025年03月16日 第三主日礼拝 アブラハムの祝福

招詞
 まことに、あなたの大庭にいる一日は、千日にまさります。・・・まことに、かみである主は太陽。また盾。 主は恵みと施光を与え、誠実に歩む者に、良いものを拒まれません。
                                詩篇84篇10a、11節

聖書箇所
ガラテヤ人への手紙3章5~14節

説教
アブラハムの祝福 田口勇新牧師

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言(こと)ローグ/583 イエスの逆説 ② 心を配る

 主イエスご自身が、「受けるよりも与えるほうが幸いである」と言われたみことばを覚えているべき・・・                            使徒の働き20章35節

 ジョン・ニュートン(1725-1807)は次のように言いました。「もし帰宅の途中、半ペニー(40円)を落とした子がいて、私が弁償してあげることでその子の涙を拭えたのなら、私は自分が何かを成したと思います。もっと大きなことをして喜ぶことも重要でしょうが、このことも軽んじはしません。」
 多くの人が悩んでいます。生活に疲れている人、災害や戦争で故郷を奪われた人、先の見えないシングルマザー、人に迷惑をかけることを恐れている老人などなど…。
 私たちに何ができるでしょう。ダビデは「幸いなことよ。弱っている者に心を配る人は」(詩41:1)と書きました。私たちは貧困を解消できないかもしれませんが、困っている人に心を寄せることはできるはずです。
 彼らはイライラしていたり、不遜な態度を取ったりするかもしれませんが、こちらは礼儀を持って接し、「あなたのことを気にかけています」と知らせることができます。彼らの話に耳を傾けたり、彼らのために祈ったり、共に祈ることもできます。祈りほど助けになり、癒しにつながる行為はありません。
 イエスが教えられた逆説、「受けるよりも与えるほうが幸いである」(使徒20:35)を思い出してください。イエスは、あなたの周りに、あなたが犠牲を払って心を配るべき誰かを置いておられます。                    (David・ローパー 「心を配る」から一部引用)

2025年3月8日土曜日

2025年03月09日 第二主日礼拝 3.11祈念礼拝 永遠は見えない

招詞
 私にとって、神のみそばにいることが、幸せです。私は、神である主を私の避け所とし、あなたのすべてのみわざを語り告げます。                    詩篇73篇28節

聖書箇所
伝道者の書3章11~15

説教
永遠は見えない 田口勇新牧師

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言(こと)ローグ/582 イエスの逆説
 悲しむ者は幸いです、その人たちは慰められるからです。      マタイの福音書5章4節

 アイザック・ワッツの讃美歌142番(新聖歌117) 『施えの主イエスの』の歌詞に、「世の富、誉れは塵(ちり)にぞ等しき」という逆説的表現があります。これはオクシモロン(矛盾語法)という修辞技法で「恐ろしく美しい」とか「公然の秘密」のように、矛盾する単語で他方を修飾するものです。ワッツは、この技巧を用いて深い真理を表現しました。
 イエスもまた、しばしば逆説を用いられました。「心の貧しい人々は、幸いである」(マタイ5:3)と言われ、望みのない人が、望み得る以上のものを受けることを示唆されました。私たちが大切な人を失って悲しんでいる時、イエスは「慰められる」(5:4)と言われます。イエスは、神の国が人の世の一般的な規範に必ずしも一致しないことを示されました。
 これらの逆説は、キリスト者にとって全ての当たり前は覆ると教えています。取るに足らない私たちが、地位のある人のように神に大切にされます。イエスは茨(いばら)の冠をかぶせられ十字架につけられましたが、これも視覚的な逆説です。私たちは、心を震わせて、最後の一節を胸に刻みます。「ああ 主の恵みにむくゆるすべなし、ただ身と霊(たま)とを献げてぬかすぐ」と。
                         (K.ピーターソン 「逆説」から一部引用)

2025年03月02日 第一主日礼拝 ああ愚かなガラテヤ人!

招詞
 私は、竪琴に合わせてあなたにほめ歌を歌います。イスラエルの聖なる方よ。私があなたにほめ歌を歌うとき、私の唇は高らかに歌います。あなたが贖い出された私のたましいも。
                                詩篇71篇22b~23節

聖書箇所
ガラテヤ人への手紙3章1~5

説教
ああ愚かなガラテヤ人! 田口勇新牧師

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言(こと)ローグ/581 キリスト者の香りを放つ


 私たちは、救われる人々の中でも、滅びる人々の中でも、神に献げられた芳しいキリストの香りなのです。                       コリント人への手紙 第二2章15節

作家であり医学者でもあるオリバー・ウェンデル・ホームズは、「記憶、空想、なつかしさ、連想。これらは、他の何にも勝って、嗅覚によって呼び起こされる」と語りました。
 私たちの人生が、人を神に引きつける芳香であるならばどうでしょう。上記のみことばは、「私たちは、救われる人々の中でも、滅びる人々の中でも、神に献げられた芳しいキリストの香りなのです。」と語ります。私たちは、神を喜ばせる芳しい香りです。同時に、ある人々を神に引き寄せる香りであり、別の人々には嫌な匂いでもあります。イエスの犠牲を理解している人々は、キリストの香り、すなわち、キリストを思い出させる香りになるチャンスがあります。
 キリストに似ているという甘い香りは、人々を救い主にひきつける強い魅力を秘めています。神とともに歩むなら、それに倣おうと人々を鼓舞する甘い残り香りが、その人の周りに漂うと思いませんか。                   (C.H.カスパー 「甘い香り」から一部引用)

2025年2月22日土曜日

2025年02月23日 第四主日礼拝 主イエスの友①  アンデレとヨハネ

招詞
 神よ、諸国の民があなたをほめたたえ、諸国の民がみな、あなたをほめたたえますように。国々の民が喜び、また喜び歌いますように。それはあなたが公正に諸国の民をさばき、地の国民を導かれるからです。                            詩篇67篇3~4節

聖書箇所
ヨハネの福音書1章35~41

説教
主イエスの友① アンデレとヨハネ 田口勇新牧師

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言(こと)ローグ/580 互いに仕えあう ③

 それぞれが賜物を受けているのですから、神のさまざまな恵みの良い管理者として、その賜物を用いて、互いに仕え合いなさい。               ペテロへの手紙第一4章10節

 孫ふたりが、学校でミュージカルのオーディションを受けましたが、手にしたのは「花」の役でした。しかし、ふたりは友だちが大役を射止めたことにエキサイトしていると言います。自分の結果に落胆する以上に、友人の喜びを共有しているのだそうです。
 キリストのからだもこうでなくてはいけません。どんな教会にも「主要な役」という立場があり、また、不可欠なのに目立たない立場もあります。「主要な役」につけなくても、ついた人たちを励まし、自分の「目立たない役」を忠実に果たしましょう。
 神の贈り物で重要でない物はありません。神にいただいた各々の賜物を、神の栄光のために忠実に用いている教会を想像してください。そこには必ず喜びがあります。 
                       (D・ブラナン 「自分の役割」から一部引用)

2025年2月16日日曜日

2025年02月16日 第三主日礼拝 神の前に義しい人に

招詞
 国々の民よ。私たちの神をほめたたえよ。神の誉れをたたえる声を響き渡らせよ。神は、私たちのたましいを、いのちのうちに保ち、私たちの足を揺るがされない。    詩篇66篇8~9節

聖書箇所
ガラテヤ人への手紙2章15~21

説教
神の前に義しい人に 田口勇新牧師

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言(こと)ローグ/579 互いに仕えあう ②

 見よ。なんという幸せ、なんという楽しさだろう。兄弟たちが一つになって、共に生きることは。                                 詩篇133篇1節

 この詩篇の作者は、「兄弟たちが一つになって、ともに生きることは…頭の上にそそがれた尊い油のようだ。それはひげに、アロンのひげに流れて衣の端にまで流れ滴る」(詩篇133:1-2)と言っています。この時代、頭に塗る聖油には色々な香料が含まれていたので、油を塗られた人の周りにはかぐわしい香りがただよいました。
 私たちは互いに愛し、互いに仕えることで一致します。その一致が、私たちの家族や教会、また交友関係の中に、かぐわしい香りのような恵みをもたらしますように。 みんな仲良しというクリスチャンの交わりは、自然にイエスの甘い香りを漂わします。
                  (ジョー・ストウェル 「互いに仕えあう」から一部引用)

2025年2月9日日曜日

2025年02月09日 第二主日礼拝 雨降って地固まる

招詞
 幸いなことよ。あなたが選び、近寄せられた人、あなたの大庭に住むその人は。私たちは、あなたの家の良いもの、あなたの宮の聖なるもので満ち足ります。         詩篇65篇4節

聖書箇所
ガラテヤ人への手紙2章11~14

説教
雨降って地固まる 田口勇新牧師

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言(こと)ローグ/578 互いに仕え合う

 しかし、あなたがたは選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神のものとされた民です。それは、あなたがたを闇の中から、ご自分の驚くべき光の中に召してくださった方の栄誉を、あなたがたが告げ知らせるためです。                  ペテロの手紙第一2章9節

 神と教会には特別な結びつきがあり、神は教会にご計画を持っておられます。教会は、建物でなく、信者のエクレシア(集合体)です。教会は、上記の下線部のように様々に例えられます。キリストを信じる者は、神のあわれみをいただき、一人ではありません。「愛する者たち」(11節)と呼ばれる人々の家族に迎えられるのです。
 さて、本題です。このことは、キリスト者同士の接し方にどう関わってくるのでしょうか。神にとって尊い存在である者同士、お互いを大切にし、配慮し合う必要があります。ペテロの手紙第一 4章8~11節は、神の家族の一員として、「互いに熱心に愛し合い」(8節)、「不平を言わないで、互いにもてなし合い」(9節)、「賜物を用いて互いに仕え合う」ことで、全てにおいて神が尊ばれるようにしなさいと促しています(10~11節)。特に「互いに仕え合う」ことは、イエスさまが一番喜ばれることです。
                     (A.ジャクソン 「神の民は神のもの)より一部引用)