招詞
神よ。私を探り、私の心を知ってください。私を調べ、私の思い煩いを知ってください。私のうちに傷のついた道があるかないかを見て、私をとこしえの道に導いてください。
詩篇139篇23~24節
聖書箇所
創世記18章1節~15節
21章1節~8節
説教
ストレスから笑いに 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/398 「赦す」と「禁ずる」
言っておきますが、あなた方(弟子たち)が地上で赦したり、禁じたりすることは、天でも同じようにされるのです。 マタイの福音書18章18節 (リビングバイブル)
上記は、8月の賛美の聖句でもあります。天は、神さまの意味で、神を直接言及することを避けた言い方です。さて、この箇所は、新改訳2017も聖書協会共同訳も「つなぐ」と「解く」と訳されていますが、なぜでしょうか。以下の説明は、イエスさまが弟子たちにこの説教(教え)をなさった時に使った言葉は、ヘブル語だ、ということが前提になります。イエス様の時代のヘブル語の慣用句では、アサル(赦す)とヒティル(禁ずる)を、ヘブル語を母語とする使徒マタイが、ギリシャ語デオーとリュオーに訳しました。その時点では問題は起こりません。しかし、後代の教会が、特に英語訳した翻訳者たちが、ヘブル語の慣用句の意味を考慮せず、七十人訳ギリシャ語聖書の影響も受け、「つなぐ」と「解く」に転訳しました。その結果、私たちにはわかりにくい訳となりました。日本語の訳である「つなぐ」と「解く」も残念ながら英語訳の影響をもろに受けているわけです。
リビングバイブルの訳は慣用句を正しく訳しています。この箇所は、弟子たちがイエスさまから教会の権威についての教えを受けているところです。現代訳聖書では、この二語をまとめて、「教会がこの地上で行使する権能は、天のお父様からのものです」とヘブル語慣用句をまとめて訳していますが、無難な翻訳だと思います。
(ダビデ・ビヴィン「イエスはヘブライ語を話したか」より一部引用)