招詞
主は大いなる方。大いに賛美されるべき方。 その偉大さは、測り知ることもできません。 代よは代よへと、あなたのみわざをほめ歌い、 あなたの大能たいのうのわざを告げ知らせます。
詩篇145篇3~4節
(当局者は)使徒たちを呼び入れて、むちで打ち、イエスの名によって語ってはならないと命じたうえで、釈放した。使徒たちは、御名のためにはずかしめられるに値する者とされたことを喜びながら、最高法院から出て行った。 使徒の働き5章40~41節
かつてイエスは弟子たちに、「義のために迫害される者は幸いです。天の御国はその人のものです。わたしのために、ののしられたり、迫害されたり、また、ありもしないことで悪口雑言を言われたりするとき、あなたがたは幸いです。喜びなさい。喜びおどりなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのだから。」(マタイ5:10~12)と言われました。使徒たちは、今や、イエスの言われた事が本当であることを感じ始めていました。
イエスの御名の力を体験している使徒たちはまた、「いのちのことば」を握っている者です。彼らは、迫害を避けては通れないことを自覚していました。それが「主の証人」となることです。「証人」とはギリシャ語で「マルトゥス」ですが、それは「殉教者」という意味でもあります。聖霊に満たされていなければ、「主の証人」=「殉教者」となることを喜びとすることは到底できません。キリストの福音はそのような人々によって伝えられ、今日に至っているのです。
(銘形:「使徒の働き」より一部引用)