2023年5月5日金曜日

2023年05月07日 第1主日礼拝 花婿キリストの備え

招詞
 主よ、あなたの指のわざである天、あなたが整えられた月や星を見るに、人とは、何者なのでしょう。あなたが心に留められるとは。人の子とは、何者なのでしょう。あなたがこれを顧みてくださるとは。                               詩篇8篇3~4節

聖書箇所
ヨハネの福音書14章1~4

説教
花婿キリストの備え 佐藤弘司師(DVD)

言(こと)ローグ/490 罪の赦し①
 「私たちの負い目をお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある者たちを赦しました。」
                                マタイの福音書6章12節
「私たちの罪をお赦しください。私たちも私たちに負いめのある者たちをみな赦します。」 
                                 ルカの福音書11章4節

 マタイとルカのテキストには微妙な違いが三つ見られます。①一つは、マタイの「負いめ」はルカでは「罪」ということばになっていること。②二つ目は、マタイの「赦しました」という表現が、ルカでは「赦します」(赦している)となっていることです。③そして三つ目は、ルカにはマタイにない「みな(皆)」ということばが入っているということです。しかし、これらの違いはこの祈りを理解する上で妨げとはなりません。むしろ、その違いを相補的に理解することが賢明です。パウロ「互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。」(コロサイ3:13)と述べているように。あくまでも神の恵みによる無条件の赦しが大前提としてあり、その前提に立って、他の人を赦すべきことを勧めています。神の無条件の赦しが先行しています。ではなぜ、「私たちの罪(負いめ)をお赦しください。」と特に祈る(願う)必要があるのでしょうか。それは、神からの赦しと人を赦すことの密接な関係を正しく保つことが必ずしも容易ではないからです。赦しには、理屈とともに感情が伴います。だれにとってもチャレンジですね。 
                           (銘形「主の祈り」より一部引用)