招詞
私の目はあなたの救いとあなたの義のみことばを慕って絶え入るばかりです。あなたの恵みによってあなたのしもべを取り扱ってください。私にあなたのおきてを教えてください。
詩篇119篇123~124節
謙遜の限りを尽くして外部の人に対して賢明にふるまい、機会を十分に生かして用いなさい。
コロサイ人への手紙4章5節
したがって、私たちの贖いとは、堕罪によって失われた謙遜を回復すること、被造物の神に対する本来的なただ一つの真実な関係を回復すること以外の何ものでもありません。ですからイエスが来られた目的は、地上に謙遜を取り戻すため、私たちを謙遜にあずからせるため、それによって私たちを救うためです。天においてイエスはご自分を低くされて人間となられました。私たちがキリストの内に見ている謙遜が、天においてはキリストを保っていました。謙遜がキリストを天から下らせ、キリストが謙遜を天から下らせました。この地上で「ご自分を低くして、死に至るまで従順となられた」のです。キリストの謙遜が彼の死に
徳を与え、それゆえ私たちの贖いとなりました。
いまやキリストの分け与える救いとはキリストご自身のいのちと死、キリストご自身のご性質と霊、キリストご自身の謙遜を転移させること以下のものではなく、それ以外のものでもありません。キリストご自身の謙遜はキリストの神に対する関係と彼の贖いのわざの、土台であり、根です。イエス・キリストが完全な謙遜の生涯によって、被造物としての人の運命を私たちの代わりに実現してくださいました。
キリストの謙遜は私たちの救いです。キリストの救いは私たちの謙遜です。
(アンドリュー・マーレー「謙遜」より。次回は「⑧回復の刻印」です。)