招詞
さあ、主に向かって、喜び歌おう。私たちの救いの岩に向かって、喜び叫ぼう。 感謝をもって、御前に進み、賛美をもって、主に喜び叫ぼう。来たれ。ひれ伏し、膝をかがめよう。まことに、主は私たちの神。私たちは、その牧場の民、その御手の羊。 詩篇95篇1~2,6~7節
聖書箇所
ヨハネの福音書20章19~31節
説教
私たちは主を見た 正木牧人牧師
言(こと)ローグ/589 時を待つ間
私の時は、御手の中にあります。 詩篇31篇15節
南アフリカの牧師アンドリュー・マーレーは、英国に滞在していた1895年、持病の腰痛が再発して苦しみ、静養していました。ある日、滞在先の女主人が、大きな問題を抱えた女性が助言を求めていると告げました。マーレーは言いました。「これを渡してください。自分を励ますために書いたものですが、彼女のためになるかもしれません。」そこには、以下のように書かれていました。
「困難なときには、こう言おう。
① まず、神は私をここに置かれた。神のみこころで、私はここにいる。だから、私はやすらかだ。
② 神は、ご自分の愛の内に私を保たれ、この試練の中で、私が神の子どもらしく振る舞えるように、恵みを下さる。そして、神は試練を祝福に変えられる。これを通して私に、学ぶべきことを教えて下さる。その品性をいただけるように、私の内に働かれる。
③ 神は最善のときに、ここから脱出させて下さる。いつ、どのようにしてかは、神がご存じだ。神の定めにより、神に支えられ、神に訓練され、神の時のために、今、私はここにいる。」
私たちは、問題はさっさと解決してもらいたいと思い、「神さま。。。」と祈ります。毎日、あきらめないで祈ることは大切です。しかし、同時にすぐには解決しない問題も多くあるのです。大切なことは、神はご自分の愛の内に私たちを留めて下さっていることを信じて疑わないことです。その時、神の恵みによって、私たちは主に憩うことができます。
(ダビデ・ローパー「神の時」 より一部引用)