2024年2月25日日曜日

2024年02月25日 第4主日礼拝 教会の大賛歌

招詞
 あなたのほかに、天では私にだれがいるでしょう。地では、私はだれをも望みません。この身も心も尽き果てるでしょう。しかし、神は私の心の岩、とこしえに、私が受ける割り当ての地。
                                 詩篇73篇25~26節

聖書箇所
コロサイ人への手紙1章15節~20

説教
教会の大賛歌 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/530 灰の水曜日

 イエスは(悪魔に)答えられた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばで生きる』と書いてある。」               マタイの福音書4章4節

 灰の水曜日は、起源は定かではありませんが、教会暦の受難節(レント)の初日を言います。今年のイースターは、3月31日ですが、日曜日を除く40日前が灰の水曜日で2月14日でした。イエスさまは、公生涯の活動の直前、ヨハネからバプテスマを授けられた後、40日間荒野(砂漠)で水だけで過ごす断食の時を過ごされました。そこで、悪魔の誘惑に遭い、上記の言葉で反撃されました。灰は、旧約聖書時代から悔い改めのシンボルで、当初、信仰や教会から離れた人が教会の交わりに戻る際の反省の儀式の1つとして棕櫚の葉を燃やした灰を使用していたことが由来でした。私たちは、日々、間違いを犯しやすいもので、悔い改めが必要です。ただ、灰は必要ありません。次の聖書のみ言葉に聞き従うことで十分ですね。

 「もし、私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます。」          ヨハネの手紙 第一1章9節

2024年2月18日日曜日

2024年02月18日 第三主日礼拝 教会の三つの祈り

招詞
 私は多くの人にとって奇跡と思われました。あなたが私の力強い避け所だからです。私の口にはあなたへの賛美が、あなたの栄えが絶えず満ちています。         詩篇71篇7~8節

聖書箇所
コロサイ人への手紙1章9節~14

説教
教会の三つの祈り 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/529 史実のイエス・キリスト

 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。     ヨハネの福音書3章16節

 歴史に刻まれた事実、すなわち十字架のキリスト、復活のキリスト、ペンテコステの聖霊降臨こそ、救いの中核的できごとです。このどれが否定されても、福音は福音でなくなり、教会は教会の意味を無くし、キリスト教は絶対的な真理の教えではなくなります。「ここに救いがある」、と言えなくなってしまいます。
世界の宗教は、教祖あるいは宗祖の教えが信仰と生活の土台です。史実はあいまいでも気にしません。それに反して、キリスト教では何よりも史実を大切にします。イエスの教えの重要さと並行して土台になっているのは、聖書の預言の成就として、キリストの処女降誕、3年間の公生涯での教えとみ業、十字架の死と復活と顕現、そして昇天です。
一世紀末に、この史実を曲げるグノーシス派を筆頭に異なる偽キリスト教が教会を悩ませていた時に、聖霊は90歳超えの老使徒ヨハネを奮い立たせました。パトモス島に幽囚されていたヨハネが福音書を書き、諸教会に送り励ましました。イエス・キリストは、天地創造の神と共におられた方であり、この福音書の執筆から60年前に実在され、自分も3年間従った方として繰り返し書き留めています。別の偽キリスト教は21世紀の今も幅をきかせています。聖書をしっかり読み、惑わされないように結束していきましょう。     (岸義紘「福音とはキリスト」より一部引用)

2024年2月11日日曜日

2024年02月11日 第二主日礼拝 信仰・愛・希望の教会

招詞
 神よ。諸国の民があなたを、諸国の民がみな、あなたをほめたたえますように。神が私たちを祝福してくださり、地の果てのすべての者が、神を恐れますように。     詩篇67篇5、7節

聖書箇所
コロサイ人への手紙1章1節~8

説教
信仰・愛・希望の教会 田口勇新牧師

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言(こと)ローグ/528 愛せよ アガパオ―

 (聞け、イスラエルよ)。あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。                           申命記 6章5~7節
イエスは彼に言われた。『あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。』 これが重要な第一の戒めです。     マタイの福音書 22章37~38節

 日本語の聖書で”愛”と表記されている箇所では、実は新約聖書(ギリシャ語)では、次の4つの単語が使われています。エロース、フィリア、ストルゲー、そしてアガペーの4つです。
エロースは性愛、フィリアは友愛、ストルゲーは家族愛で、神が人に備えてくださったものです。ただ、アガペーだけぴったりした日本語に訳しづらく、強いて言えば、無条件の愛ですが、翻訳では愛とだけ訳出されます。アガペーの愛は、対象に条件はありません。また、見返りなども全く期待せず、ただ相手の利益になる事だけを考えて行動します。旧約では、ヘブル語アハバーが、アガペーとほぼ同意です。上記、申命記では、アハバーがマタイではもちろんアガパオー(アガペーの動詞形)です。さて、私たちの中には、無条件で神さまや人を愛する愛はありません。しかし、イエスさまを信じて救われているので、ご聖霊の神がイエス様と父なる神さまの愛を反映させてくださいます。月はそれ自体では光を放ちませんが、太陽光を反射して地球を明るく照らしていますが、これと似ています。曇りないイエスさまへの信仰で神の愛の光をしっかりと反射できる生活をしていきましょう。

2024年2月4日日曜日

2024年02月04日 第一主日礼拝 教会の危機:禁欲主義

招詞
 どうか、神が私たちをあわれみ、祝福し、御顔を私たちの上に、照り輝かしてくださるように。あなたの道が地の上で、御救いが、すべての国々の間に知られるために。   詩篇67篇1~2節

聖書箇所
コロサイ人への手紙2章16節~23

説教
教会の危機:禁欲主義 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/527 聞け、イスラエル(シェマー・イスラエル)2

 (聞け、イスラエル!)。心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くしてあなたの神、主を愛しなさい。今日私が命じるこれらの言葉を心に留めなさい。そして、あなたの子どもたちに繰り返し告げなさい。家に座っているときも、道を歩いているときも、寝ているときも、起きているときも唱えなさい。                          申命記6章5~7節 新共同訳

 「愛しなさい(アハブター)」という命令は、当時、宗主国が属国に対して使った言葉でした。そこでは、愛とは単純に感情だけを意味するものではなく、愛するという言葉の中に具体的な行動が伴うということを意味しました。つまり「属国が宗主国を愛せよ」と言った場合、その愛とは忠誠心や誠実さを意味するのです。同じように「主を愛せよ」とは、主の恵みに対する忠実さ、恵みに対する応答が要求されている訳です。ユダヤ人は、これを文字通り実践し、朝の祈りの時には、ティフィリンという、小さな皮の箱を額に着けています。この箱の中には、上記の申命記などのみことばが書かれたものが入っています。私たちは、「神が御子を遣わしてくださり、主イエスの十字架の死と復活によって、私たちの罪を赦し、永遠の命を与えて下さった」ことを信じています。そのことを日々心に刻み、主イエス・キリストを心から愛し、仕えていきたいものです。

2024年1月27日土曜日

2024年01月28日 第四主日礼拝 ローマで: 感激と落胆

招詞
 神よ。まことに、あなたは私たちを試し、銀を精錬するように、私たちを練られました。私たちは、火の中、水の中を通りました。しかし、あなたは私たちを、豊かな所へ私たちを導き出してくださいました。                         詩篇66篇10、12b節

聖書箇所
使徒の働き28章11節~31

説教
ローマで: 感激と落胆 田口勇新牧師

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言(こと)ローグ/526 聞け イスラエル(シェマー・イスラエル)

 聞きなさい。イスラエル。主は私たちの神。主はただひとりである。     申命記6章4節

 このフレーズで最も重要な箇所は、最初の「聞け(シェマ)」と最後の「唯一の(エハード)」です。そこには、イスラエルの民が唯一の神のみを神とし、主として仰いでいこうとする決意が込められているのです。
イスラエルの民は、この命令をきわめて重要視し、長い世代にわたって、その重要性を体験的に子孫に伝え残していくために、一つの習慣を生み出しました。その習慣とは、6章4節を一息で、息の続く限り伸ばし、息が切れて声が出なくなるまで引き伸ばして読むのです。このことによって、息の続く限り、いのちのある限り、「主は私たちの神、主はただひとりである」という信仰を表明しようとしているのです。
私たちの生存と防衛(あらゆる守り)の保障を唯一の神である主以外に求めるなら、それは自動的に偶像礼拝となってしまいます。「神である主は唯一である」という真理、あるいは、世界中で「主イエス・キリストの他には救われるべき名はない」(使徒 4:12)とする排他的真理は、私たちの旗印で、悪魔が最も嫌うものです。    (銘形:ヘブル語のディリーブレッドより一部引用)

2024年1月21日日曜日

2024年01月21日 マルタでの奇蹟

招詞
 国々の民よ、私たちの神をほめたたえよ。神の誉れをたたえる声を響き渡らせよ。神は、私たちのたましいを、いのちのうちに保ち、私たちの足を揺るがされない。    詩篇66篇8、9節

聖書箇所
使徒の働き28章1節~15

説教
マルタでの奇蹟 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/525 見つけ、見いだされる

 あなたがたがわたしを捜し求めるとき、心を尽くしてわたしを求めるなら、わたしを見つける。わたしはあなたがたに見出される。              エレミヤ書29章13~14節

 預言者エレミヤが、イスラエルの王と王族、祭司、偽預言者、すべての民に語った言葉です。当時、偶像礼拝の罪にまみれ、彼らの霊性は地に落ちていました。エレミヤのような真の預言者、祭司たちは少数派でした。
 13節と14節前半では、神の民が神を尋ね求めることによって神を「見出し」、しかも心を尽くして求めることで、主は「見出される」とあります。
神を「見出す」とはどういうことでしょう。それは神のみことばを通して、神を知り、神のみおしえ(みことば)を通してそのすばらしさを味わい、神の深い心に触れることを意味します。羊皮紙に書かれた聖書(モーセ五書=律法)が開かれて神のみこころを悟り、そのみこころがなされることを祈り求めるようになることです。
私たちにとっても、神との愛のかかわりが深められて、それを喜ぶこと・・。これらが「神を見出す」ことの意味です。           (銘形:ヘブル語のディリーブレッドより一部引用)

2024年1月14日日曜日

2024年01月14日 12歳のメシア・イエス

招詞
 幸いなことよ。あなたが選び、近寄せられた人、あなたの大庭に住む人は。私たちは、あなたの家の良いもの、あなたの宮の聖なるもので満ち足ります。私たちの救いの神よ。あなたは恐るべきみわざで、義のうちに私たちに答えられます。あなたは、地のすべての果て、遠い大海の信頼の的です。                                詩篇65篇4~5節

聖書箇所
ルカの福音書2章40~52節

説教
12歳のメシア・イエス 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/524 よりすぐれた献げもの

 信仰によって、弟のアベルは兄のカインよりも優れたささげ物をし、彼が信仰によって生きていたことが実証された。神が彼のささげ物を受け入れられたからである。アベルは死んだが、信仰によって生きることを、今でも私たちに教えてくれる。   ヘブル人への手紙11章4節 現代訳

 創世記4:1~13によると、アベルは、妬みにかられた兄のカインによって殺され、短い人生だったと記されています。しかし、上記、ヘブル書では、アベルの地上での生涯は悲惨に終わりましたが、その人生はとても価値ある生涯だったのです。決して空しく終わることのない生涯であり、それは「神を恐れる」ことによってのみもたらされることを教えています。あの栄華を窮めた王、この世の最高の知恵者ソロモンは、この世のすべての良いと思う事を手にしてもなおむなしいと嘆息し、信仰がなければすべて空しいと結論づけました(伝道者の書 1:2)。アベルは、短い生涯でしたが、生きている間、信仰によって歩む生涯の大切さをすでに悟り、後世の私たちにも語っています。よりすぐれたものを神に、というアベルの信仰に習いましょう。

2024年1月7日日曜日

2024年01月07日 第一主日礼拝 新年礼拝 シメオンの幸い

招詞
 幸いなことよ。あなたが選び、近寄せられた人、あなたの大庭に住むその人は。私たちは、あなたの家の良いもの、あなたの宮の聖なるもので満ち足ります。私たちの救いの神よ。あなたは恐るべきみわざで、義のうちに答えられます。あなたは、地のすべての果て、遠い大海の、信頼の的です。                                詩篇65篇4~5節

聖書箇所
ルカの福音書2章22節~35

説教
シメオンの幸い 田口勇新牧師

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言(こと)ローグ/523 主に(エト・アドナイ)

 私と私の家族とはあくまでも主に仕える。  ヨシュア記 24章15節(リビングバイブル)

 この聖句の大事な点は、単に私個人が「主に仕える」というだけでなく、15節にあるように、「私と私の家(家族)とは、主に仕える」という、家族ぐるみで、主体的・自覚的な信仰をもって、主を礼拝し、仕えるという告白です。しかし、言うは易し、行いは難しです。この取り組みがいかに大事業で、緊急な課題であるかを自覚しなければなりません。
申命記6章は、確認の言葉です。「私がきょう、あなたに命じるこれらのことばを、あなたの心に刻みなさい。これをあなたの子どもたちによく教え込みなさい。あなたが家にすわっているときも、道を歩くときも、寝るときも、起きるときも、これを唱えなさい。これをしるしとしてあなたの手に結びつけ、記章として額の上に置きなさい。これをあなたの家の門柱と門に書きしるしなさい。」(6:6~9)。ユダヤ人の子供たちは今でも、5歳からトーラー(モーセ五書)を学び、12歳ではトーラーの解釈である「ミシュナー」を学びます。しかも膨大な神のことばを記憶するように教育されるのです。ところで、冒頭のエト・アドナイのエトは、アルファベットの最初の文字(アーレフ)と最後の文字テットから成っています。初めから終わりまで、徹頭徹尾主に仕えるの「主に」を強調するのに相応しい前置詞だと思います。
                   (銘形「ヘブル語デーリーブレッド」から部分引用)