2024年3月24日日曜日

2024年03月24日 第4主日礼拝 十字架上のイエス

招詞
 主よ、あなたの道を私に教えてください。私はあなたの真理のうちを歩みます。私の心を一つにしてください。御名を恐れるように。わが神、主よ、私は心を尽くしてあなたに感謝し、とこしえまでも、あなたの御名をあがめます。                詩篇86篇11~12節

聖書箇所
マルコの福音書15章21節~47

説教
十字架上のイエス 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/534 クレネ人 シモン ②

 兵士たちは、通りかかったクレネ人シモンという人に、イエスの十字架を、無理やり背負わせた。かれはアレクサンドロとルフォスの父で、田舎から来ていた。 マルコの福音書15章21節

 マルコの福音書では正確にその息子たちの名前を記しています。二人の息子の名前は「アレキサンドロ」、そして「ルフォス」です。後者の名前は使徒パウロがローマの教会に宛てた手紙の中に登場します。ヤコブの息子シメオンは、乱暴で良い兄弟ではなく信仰的に負の遺産を持つ者でした。しかし、シモンという名前が、ルカの福音書では意図的とも言えるほどに多出しています。
  (1) エルサレムの老シメオン
  (2) ガリラヤで召命を受けた弟子のシモン・ペテロ 
  (3) ガリラヤのパリサイ人シモン 
  (4) クレネ(地中海)人でイエスの十字架を背負ったシモン 
  (5) サマリヤの魔術師シモン 
  (6) ヨッパの皮なめしのシモン 
  (7) アンテオケのニゲル(アフリカ)と呼ばれたシメオン⇒これが「クレ ネ人シモン」と同一
    人物。
 このように、福音宣教の重要な場所(拠点)には必ずや「シモン」(シメオン)が存在しています。聖書の中に、これほどに「シモン」という名が記されていることは、神の救いのマスタープランにおいて、創世記の時代から疎んじられ、散らされていたシメオン族の子孫が、再び集められ、歴史の舞台に登場しています。これは、負の遺産を持つシモンの名誉挽回であり、私たちに対しては、逆転人生の可能性を見せてくれています。      (銘形 「ルカの福音書の瞑想」より一部引用)

2024年3月16日土曜日

2024年03月17日 第3主日礼拝 イエスのエルサレム入城

招詞
 まことに、神である主は太陽、また盾。 主は恵みと栄光を与え、誠実に歩む者に良いものを拒まれません。 万軍の主よ、なんと幸いなことでしょう。あなたに信頼する人は。
                                 詩篇84篇11~12節

聖書箇所
マタイの福音書21章1節~11

説教
イエスのエルサレム入城 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/533 クレネ人シモン

 彼ら(兵士たち)は、イエスを引いて行く途中、田舎から出て来たシモンというクレネ人をつかまえ、この人に十字架を負わせてイエスの後から運ばせた。     ルカの福音書23章26節

 シモンのヘブル語はシメオンです。新約聖書では、イエスの両親が幼子イエスを主にささげるためにエルサレムに連れて行った時、シメオン老人が幼子イエスを見て腕に抱いて神をほめたたえました。新約聖書には、実に多くのシメオン=シモンと名乗る人物が登場します。シメオンはシェマー(聞く)から来ていてその名前に隠されている意味は「御子に聞く」ということです。
シモンは「無理やり」(=強制的)ではありましたが、イエスの後を、十字架を背負ってついて行きました。ルカはこの場面をわざわざイエスの「後から運ばせた」(ルカ23:26)と記しています。ここに「御子に聞き従う」というシモンの名の本質が描かれています。そのシナリオを描いたのは、他ならぬ神ご自身なのです。シモンに倣い、主に心から聞く者とさせていただきましょう。

自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしの弟子になることはできません。
                                ルカの福音書14章27節                
                            (銘形「マタイ3」より一部引用)

2024年3月10日日曜日

2024年03月10日 第2主日礼拝 神の時に生きる

招詞
 万万軍の主よ、 なんと幸いなことでしょう。その力があなたにあり、 心の中に、シオンへの大路のある人は。彼らは涙の谷を過ぎるときも、そこを泉の沸く所とします。
                                 詩篇84篇1a、5~6節

聖書箇所
伝道者の書3章1~22節

説教
神の時に生きる 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/ 532 イエスと歌う賛


 彼ら(イエスと弟子たち)は、旧約聖書の詩篇115篇以下の賛美歌を歌ってから、オリーブ山に出掛けて行った。                 マタイの福音書 26章30節 (現代訳)

 過ぎ越しの食事の締めくくりが、この詩篇の賛美でした。過ぎ越しの食事では、113篇あるいは118篇も良く用いられたので、そちらだったかもしれません。注目すべきことは、イエスさまが弟子たちと一緒に賛美歌を歌ったことを記す貴重な箇所だということです。ユダヤ人の福音書と言われるマタイと最も早く書かれた福音書と言われるマルコに記されています。以下、彼らが暗誦していたはずの詩篇115篇16~18節です。

「天は主のもの、地は人にゆだねられた。死んでしまえば、主を賛美することはない。私たちは、今からとこしえまで主を称賛しよう。主をほめたたえよう。」           (現代訳)

1テサロニケ4:13~18には、死者の復活と生きている信者たちの空中携挙、そしてそれに続く千年王国と、教会時代のクリスチャンである私たちには特別意味のある預言が書かれています。私たちは主イエスさまと対面で出会い、毎日、賛美に明け暮れることができます。
その前味をこの時の弟子たちは体験しました。イエスさまの公生涯の最後は激動の2週間で、受難に至る記事が満載されています。過ぎ越しの祭りの1週間もイエスを亡き者にしようとする反対者たちの暗躍が見られました。
ヨハネの福音書13章には、洗足の記事があります。今週、じっくり読んでみましょう。イエスは、十字架の苦難を予見しつつも、顔には出さず、弟子たちにご自分の愛を余すことなく伝えようとされた(13:1)のです。

2024年3月3日日曜日

2024年03月03日 第一主日礼拝 教会の過去・現在・未来

招詞
 万軍の主よ、あなたの住まいは、なんと慕わしいことでしょう。 私のたましいは、主の大庭を恋い慕って、絶え入るばかりです。私の心も身も、生ける神に喜びの歌を歌います。 
                                   詩篇84篇1~2節

聖書箇所
コロサイ人への手紙1章21節~2章7

説教
教会の過去・現在・未来 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/531 レント2 もっと善いもののために

 人の子は、多くの苦しみを受け、長老たち、祭司長たち、律法学者たちに捨てられ、殺され、三日目によみがえらねばならない、と語られた。 イエスは、皆に言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負って、わたしについて来なさい。 」 
                              ルカの福音書9章22~23節

 レントとは復活祭に先立つ40日間(日曜日を除く)で、神にもう一度立ち返る期間、自省と悔い改めの期間、祈りとみことばと断食などを通して、改めて自分を主に捧げ直す期間です。伝統的には、イエスが荒野に退いて試みを受けられた40日間に合わせて、この期間は何らかの食べ物や活動などを節制することがなされてきました。
また、レントに断食したり、何らかのものを手放したりするのは、自分に苦行を課すことが目的ではなく、もっと善いもののために、時間と場所を作るためだとも言えます。たとえば、昔、便利な「チン」はもちろん、ガスも無い時代に料理にかけていた時間を減らすために婦人たちが肉料理を少なくすることなどで御言葉をより深く味わうとか、男性も自分が多くの時間を費やしている活動(趣味も)を制限することで、さらに祈りに時間を費やしていました。
今年のレントはすでに半分ほど過ぎていますが、3/31のイースターまでまだ4週間あります。この期間、私たちの罪のために十字架につけられたイエス様の受難を思いつつ、自らを振り返り、自分の生活の中で主に立ち返るよう招かれている領域がないか、祈りをもって思い巡らしてみてはいかがでしょうか。                (中村佐知<JCFN理事>のブログより一部引用)

2024年2月25日日曜日

2024年02月25日 第4主日礼拝 教会の大賛歌

招詞
 あなたのほかに、天では私にだれがいるでしょう。地では、私はだれをも望みません。この身も心も尽き果てるでしょう。しかし、神は私の心の岩、とこしえに、私が受ける割り当ての地。
                                 詩篇73篇25~26節

聖書箇所
コロサイ人への手紙1章15節~20

説教
教会の大賛歌 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/530 灰の水曜日

 イエスは(悪魔に)答えられた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばで生きる』と書いてある。」               マタイの福音書4章4節

 灰の水曜日は、起源は定かではありませんが、教会暦の受難節(レント)の初日を言います。今年のイースターは、3月31日ですが、日曜日を除く40日前が灰の水曜日で2月14日でした。イエスさまは、公生涯の活動の直前、ヨハネからバプテスマを授けられた後、40日間荒野(砂漠)で水だけで過ごす断食の時を過ごされました。そこで、悪魔の誘惑に遭い、上記の言葉で反撃されました。灰は、旧約聖書時代から悔い改めのシンボルで、当初、信仰や教会から離れた人が教会の交わりに戻る際の反省の儀式の1つとして棕櫚の葉を燃やした灰を使用していたことが由来でした。私たちは、日々、間違いを犯しやすいもので、悔い改めが必要です。ただ、灰は必要ありません。次の聖書のみ言葉に聞き従うことで十分ですね。

 「もし、私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます。」          ヨハネの手紙 第一1章9節

2024年2月18日日曜日

2024年02月18日 第三主日礼拝 教会の三つの祈り

招詞
 私は多くの人にとって奇跡と思われました。あなたが私の力強い避け所だからです。私の口にはあなたへの賛美が、あなたの栄えが絶えず満ちています。         詩篇71篇7~8節

聖書箇所
コロサイ人への手紙1章9節~14

説教
教会の三つの祈り 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/529 史実のイエス・キリスト

 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。     ヨハネの福音書3章16節

 歴史に刻まれた事実、すなわち十字架のキリスト、復活のキリスト、ペンテコステの聖霊降臨こそ、救いの中核的できごとです。このどれが否定されても、福音は福音でなくなり、教会は教会の意味を無くし、キリスト教は絶対的な真理の教えではなくなります。「ここに救いがある」、と言えなくなってしまいます。
世界の宗教は、教祖あるいは宗祖の教えが信仰と生活の土台です。史実はあいまいでも気にしません。それに反して、キリスト教では何よりも史実を大切にします。イエスの教えの重要さと並行して土台になっているのは、聖書の預言の成就として、キリストの処女降誕、3年間の公生涯での教えとみ業、十字架の死と復活と顕現、そして昇天です。
一世紀末に、この史実を曲げるグノーシス派を筆頭に異なる偽キリスト教が教会を悩ませていた時に、聖霊は90歳超えの老使徒ヨハネを奮い立たせました。パトモス島に幽囚されていたヨハネが福音書を書き、諸教会に送り励ましました。イエス・キリストは、天地創造の神と共におられた方であり、この福音書の執筆から60年前に実在され、自分も3年間従った方として繰り返し書き留めています。別の偽キリスト教は21世紀の今も幅をきかせています。聖書をしっかり読み、惑わされないように結束していきましょう。     (岸義紘「福音とはキリスト」より一部引用)

2024年2月11日日曜日

2024年02月11日 第二主日礼拝 信仰・愛・希望の教会

招詞
 神よ。諸国の民があなたを、諸国の民がみな、あなたをほめたたえますように。神が私たちを祝福してくださり、地の果てのすべての者が、神を恐れますように。     詩篇67篇5、7節

聖書箇所
コロサイ人への手紙1章1節~8

説教
信仰・愛・希望の教会 田口勇新牧師

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言(こと)ローグ/528 愛せよ アガパオ―

 (聞け、イスラエルよ)。あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。                           申命記 6章5~7節
イエスは彼に言われた。『あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。』 これが重要な第一の戒めです。     マタイの福音書 22章37~38節

 日本語の聖書で”愛”と表記されている箇所では、実は新約聖書(ギリシャ語)では、次の4つの単語が使われています。エロース、フィリア、ストルゲー、そしてアガペーの4つです。
エロースは性愛、フィリアは友愛、ストルゲーは家族愛で、神が人に備えてくださったものです。ただ、アガペーだけぴったりした日本語に訳しづらく、強いて言えば、無条件の愛ですが、翻訳では愛とだけ訳出されます。アガペーの愛は、対象に条件はありません。また、見返りなども全く期待せず、ただ相手の利益になる事だけを考えて行動します。旧約では、ヘブル語アハバーが、アガペーとほぼ同意です。上記、申命記では、アハバーがマタイではもちろんアガパオー(アガペーの動詞形)です。さて、私たちの中には、無条件で神さまや人を愛する愛はありません。しかし、イエスさまを信じて救われているので、ご聖霊の神がイエス様と父なる神さまの愛を反映させてくださいます。月はそれ自体では光を放ちませんが、太陽光を反射して地球を明るく照らしていますが、これと似ています。曇りないイエスさまへの信仰で神の愛の光をしっかりと反射できる生活をしていきましょう。

2024年2月4日日曜日

2024年02月04日 第一主日礼拝 教会の危機:禁欲主義

招詞
 どうか、神が私たちをあわれみ、祝福し、御顔を私たちの上に、照り輝かしてくださるように。あなたの道が地の上で、御救いが、すべての国々の間に知られるために。   詩篇67篇1~2節

聖書箇所
コロサイ人への手紙2章16節~23

説教
教会の危機:禁欲主義 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/527 聞け、イスラエル(シェマー・イスラエル)2

 (聞け、イスラエル!)。心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くしてあなたの神、主を愛しなさい。今日私が命じるこれらの言葉を心に留めなさい。そして、あなたの子どもたちに繰り返し告げなさい。家に座っているときも、道を歩いているときも、寝ているときも、起きているときも唱えなさい。                          申命記6章5~7節 新共同訳

 「愛しなさい(アハブター)」という命令は、当時、宗主国が属国に対して使った言葉でした。そこでは、愛とは単純に感情だけを意味するものではなく、愛するという言葉の中に具体的な行動が伴うということを意味しました。つまり「属国が宗主国を愛せよ」と言った場合、その愛とは忠誠心や誠実さを意味するのです。同じように「主を愛せよ」とは、主の恵みに対する忠実さ、恵みに対する応答が要求されている訳です。ユダヤ人は、これを文字通り実践し、朝の祈りの時には、ティフィリンという、小さな皮の箱を額に着けています。この箱の中には、上記の申命記などのみことばが書かれたものが入っています。私たちは、「神が御子を遣わしてくださり、主イエスの十字架の死と復活によって、私たちの罪を赦し、永遠の命を与えて下さった」ことを信じています。そのことを日々心に刻み、主イエス・キリストを心から愛し、仕えていきたいものです。