2019年1月20日日曜日

2019年01月20日 第3主日礼拝 信仰の大盾で

招詞
わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。
                                   詩篇103篇12節

聖書箇所
エペソ人への手紙6章10~16節

説教
信仰の大盾で  田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/270  主は言われた(レフ・レハー・アドナイ) 
  
 主はアブラムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。」                        創世記12章1節

 レフ・レハー・アドナイ(主は言われた)の真意は、アブラム(アブラハム)がこれまでの自分自身に対して訣別することを意味しているのではないかと思います。神の救いのご計画を実現するために選ばれたアブラムが、自分の国や生まれ故郷、そして自分の父の家から出るだけでなく、これまでの古い自分の殻からも出て、旅立つことを主はアブラムに促したことばが「レフ・レハー」ではないかと思います。それはアブラムの人生にとって、良い意味での「自分のため」となるのです。
 私たちクリスチャンにも主は、レフ・レハーと語ってくださる時があります。この言葉に従うことに期待を込めて語られると思います。
 ただ、「神さまこのタイミングでですか?」と主に問いたくなるケースもあるかも知れません。私たちには、従いながらもなお時が必要のようです。故郷を出て何年か経った時、主はなおも彼の背中を押しました。アブラムたちを更に自発的に、自覚的にスタートさせようとして、「わたしは全能の神である。あなたはわたしの前を歩み、全き者であれ」(17:1)と言われた時に、「アブラム」を「アブラハム(国々の父)」に改名することを命じて祝福しています。
                    (銘形「ヘブル語ディリーブレッド」より一部引用)

2019年1月13日日曜日

2019年01月13日 第2主日礼拝 平和の福音の備えを

招詞
 光は、正しい者のために、種のように蒔かれている。喜びは、心の直ぐな人のために。正しい者たち。【主】にあって喜べ。その聖なる御名に感謝せよ。       詩篇97篇11~12節

聖書箇所
エペソ人への手紙6章11~15節

説教
平和の福音の備えを  田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/269 ラーアー(羊飼い)②

 あなたがたは、羊のようにさまよっていましたが、今は、自分のたましいの牧者であり監督者である方のもとに帰ったのです。                    ペテロ第一2章25節
 
 前回は、ダビデが歌った詩篇23篇1節の「主は私の羊飼い」という信仰告白をみました。主は、困難や危険な場でも、良い羊飼いのように親身になって私をケアしてくれるのです。
 さて、上記、ペテロ第一2章25節を見ると、イエス様の弟子ペテロは、イエスは、私たち一人ひとりのたましいの牧者であり監督者であると言っています。同時に人間は、迷っていた羊だと告白しています。
 羊は、神に背き異教の教えに迷っていった人間そのものの特性をもつ家畜として聖書にしばしば登場します。そんな呆れるほど迷いやすい私たちでも「主は私の羊飼い」という告白により、主が自分の魂の牧者で、私がその世話を受ける羊だと告白していることになります。
 紀元前8世紀、イスラエル(ユダ王国)で王たちに仕えながら、王を恐れることもなく神のメッセージを「直球」で語った預言者イザヤは、「私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべのて咎を彼に負わせた。」(イザヤ書53章6節)と語り、700年後のメシア、イエス・キリストの来臨をも預言しました。ここでも人間は羊のように頑固でやっかいな存在である、という主の「ため息」が聞こえます。しかし、ダビデが敵に追われ、恥ずかしい思いをした経験の中でも、次の告白があるのは、驚くべきことです。
 「主を恐れよ。その聖徒たちよ。彼を恐れる者には乏しいことはないからだ。若い獅子も乏しくなって飢える。しかし、主を尋ね求める者は、良いものに何一つ欠けることはない。」                                   詩篇34篇9~10節
 
 2019年を歩み始めた私たちはどうでしょうか?この詩篇の作者の上を向いて、真摯(しんし)に「主を尋ね求める者は、良いもので満たされる」という信仰告白は、イエスを通して天地創造の神である主(ヤーヴェ)を知りえたクリスチャンたちの勝利の歌となるのではないでしょうか。                    (銘形「ヘブル語デシリーブレッド」から引用)

2019年1月6日日曜日

2019年01月06日 第1主日礼拝 家族礼拝で

招詞
まことに主は大いなる方、大いに賛美されるべき方。すべての神々にまさって恐れられる方だ。まことに、国々の民の神々はみな、むなしい。しかし主は天をお造りになった。
                                   詩篇96篇4~5節

聖書箇所
ルカの福音書2章21~40節

説教
家族礼拝で  田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/268 ラーアー(羊飼い) 

 主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。             詩篇23篇1篇

  詩篇23篇は、ダビデの作です。珠玉(しゅぎょく)の詩篇といわれるほど、多くの人々が励まされ、いやされ、力づけられてきた歌です。
 「ラーアー」は、「牧する人」で、羊を飼う人、羊の世話をする人といった意味になります。羊の習性を調べてみると、第一に、羊は臆病で脆弱(ぜいじゃく)です。群れをはぐれてしまった羊を捕まえようとすると、不安と恐怖心で逃げてばかりで捕まらないそうです。第二に、迷いやすい。目が悪いということもありますが、実際、羊は羊飼いに連れられて毎日行き来している道を自分では行きも帰りもできず、すぐ迷ってしまうそうです。こんな方向感覚の悪い動物は他にいません。そして第三は、とても頑固です。羊は従順な反面、頑固で、羊飼いに逆らって自分勝手に進んで行き、群れから離れて危険なところに行って自滅するという習性をもっています。ですから羊飼いが必要なのです。ダビデは少年時代羊飼いでしたから、羊の習性を熟知していました。そして、自分を含め、人間とは、羊飼いのような愛情深く、忍耐強い神さまの守りの中で成長していくしかないと歌います。
 社会では肩書きや経験がものをいいますが、強そうに見える人も中身の霊的な事実を見ると、まさに羊の弱点を持っている者です。臆病で脆弱なくせに、はぐれて人の助けを拒むところがあります。迷いやすい者です。人生の方向感覚などというものは、手引書もなくかじ取りは実際難しいことです。私たちは良いこと、正しいことの方角から外れてしまい頑固になりやすい性質をみな持っています。謙遜な心で「主は、私の羊飼いのように人生を導く方だ」と告白できることは素敵で安心、安全なことですね。今年も、主(アドナイ)は、私の羊飼い(ラーイー)と告白していきましょう。                 (銘形「ヘブル語ディリーブレッド」から一部引用)


2019年1月1日火曜日

2019年01月01日 元旦礼拝 信仰・希望・愛

招詞
だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。            コリント人への手紙第二 5章17節

聖書箇所
コリント人への手紙 第一 13章10~13節

説教
信仰・希望・愛  田口勇新牧師
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2018年12月30日日曜日

2018年12月30日 第5主日礼拝 医者ルカの生涯

招詞
さあ、【主】に向かって、喜び歌おう。われらの救いの岩に向かって、喜び叫ぼう。 感謝の歌をもって、御前に進み行き、賛美の歌をもって、主に喜び叫ぼう。
                                   詩篇95篇1~2節

聖書箇所
使徒の働き1章1~2節

説教
医者ルカの生涯  田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/267 綿密に順序だてて

 私も、すべてのことを初めから綿密に調べておりますから、あなたのために、順序を立てて書いて差し上げるのがよいと思います。                  ルカの福音書1章3節

  ルカの福音書と使徒の働きの聖書記者が医師ルカであることは、古くから教会が一致しているところです。ただし、使徒の働き16:10以降に登場人物として「私たち」という自分を含む記述をしていますが、他の福音書の著者と同様、自分の名は名乗り出る形では出していない、隠れた著者です。
 ルカは、イエスの直弟子であったマタイや、ペテロの弟子であったマルコたちユダヤ人によりそれぞれマタイとマルコの福音書が書かれているにもかかわらず、テオピロのために、「初めから綿密に調べており、順序を立てて」書きました。このことは、ローマ人テオピロだけでなく、私たちすべての異邦人のために書いてくれたことになりますがルカは予想していなかったかもしれません。神様は、私たちの持っている賜物を時にはそれと知らせずに用いてくださることがあります。そして、そこから波及する良い影響力も多い場合があります。
 もしかして不本意な結果に終わった出来事を抱えている方もおありでしょう。しかし、主はともにおられ、見守っていてくださいます。主を信頼して今年の反省を新しい年の希望につなげましょう。               (黒崎幸吉「ルカの福音書の緒言」より一部引用)    

2018年12月24日月曜日

2018年12月24日 クリスマスキャンドルサービス 光の結ぶ実

書箇所
 そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストから出た。 それで、人々はみな、登録のために、それぞれ自分の町に向かって行った。 ヨセフもガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。彼は、ダビデの家系であり血筋でもあったので、 身重になっているいいなずけの妻マリヤもいっしょに登録するためであった。
 ところが、彼らがそこにいる間に、マリヤは月が満ちて、 男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。
                              ルカの福音書 2章1、3~7節

 あなたがたは、以前は暗やみでしたが、今は、主にあって、光となりました。光の子どもらしく歩みなさい。--光の結ぶ実は、あらゆる善意と正義と真実なのです--
                              エペソ人への手紙 5章8~9節


説教
光の結ぶ実  田口勇新牧師
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2018年12月23日日曜日

2018年12月23日 アドベント第4週 クリスマス礼拝 なぜ羊飼いたちに

招詞
ベツレヘム・エフラテよ。あなたはユダの氏族の中で最も小さいものだが、あなたのうちから、わたしのために、イスラエルの支配者になる者が出る。その出ることは、昔から、永遠の昔からの定めである。                                ミカ書5章2節

聖書箇所
ルカの福音書2章1~20節

説教
なぜ羊飼いたちに 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/266 なぜ飼い葉おけで 

 すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった(拒絶した)。       ヨハネの福音書1章9~11節

  すべての人を照らすまことの光が世に来た時に、世はこの光であるイェシュアを知らない、また神ご自身が育てられたご自分の民であるユダヤの人々からイエスが拒絶されるというしるしが、ルカの「飼葉桶に寝ておられる幼子」なのです。
 イエスが誕生した時代の神の民(ユダヤ人)は、バビロン捕囚前の霊的暗黒時代と何ら変わらず、光である方を悟りませんでした。神の律法を重んじるパリサイ派や律法学者たちは、神のみおしえを規則や罰則に変質させて、民衆を支配することで、民の目をくらませていました。この大変な事態を変革すべく神の最後の切札として遣わされたのが、御子イエス・キリストでした。
 私たちが、御子イエスさまを受け入れ、信じることができたことは神の恵みです。感謝しつつクリスマスの時を過ごしましょう。           (銘形「アドベントの瞑想」より引用)