2019年9月8日日曜日

2019年09月08日 第2主日礼拝 モーセ、人生の午後に

招詞
キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住むようにしなさい。知恵を尽くして互いに教え、忠告しあい、詩と賛美と霊の歌により、感謝をもって心から神に向かって歌いなさい。
                              コロサイ人への手紙3章16節

聖書箇所
へブル書11章23~28節

説教
モーセ、人生の午後に 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/304 モーセ(引き上げる:モシェー)

 彼女(パロの娘)はその子をモーセ(モシェー)と名づけた。彼女は、「水の中から、私がこの子を引き出したのです」と言ったからである。           出エジプト記2章10b節

  創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記はモーセが著者であることから、モーセ五書とも呼ばれます。堕落した人間(創世記)が、救い出されて神の民とされ(出エジプト記)、神を正しく礼拝しながら(レビ記)、信仰の旅路を歩み(民数記)、やがて約束の地に向かって望み備えつつ歩む(申命記)という構造を持っています。
 五書全体は、出エジプト記の救いの光から繰り返し記術されています。そして、主イエス・キリストによる十字架の贖い、新しい契約の予型となっています。
 これは新約聖書のマタイ、ルコ、ルカによる共観福音書がやはり、イエス・キリストの復活の光からイエスの救いを記述しているのと同様です。ですから、モーセ五書を読むと、新約聖書の最大テーマであるイエスの福音がより良く理解できます。この機会にもう一度モーセ五書を読みなおしてみませんか?                              (銘型「モーセ五書」より一部引用)


2019年9月1日日曜日

2019年09月01日 第1主日礼拝 見習いたい信仰の人

招詞
 これらすべては、わたしの手が造った。それで、これらすべては存在するのだ。
ー 主のことば ー  わたしが目を留める者、それは、貧しい者、霊の砕かれた者、わたしのことばにおののく者だ。                         イザヤ書66章2節


聖書箇所
ルカの福音書7章1~10節

説教
見習いたい信仰の人  田口孝子師
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言(こと)ローグ/303 寂しい所で(エレーモス)

 「さて、イエスは、朝早くまだ暗いうちに起きて、
       寂しい所へ出て行き、そこで祈っておられた。」         マルコの福音書1章35節

 エレーモスは、人気のない、静かな場所です。そうした場所を持つことは霊的にきわめて重要です。一人になれる場所で、神と過ごす時をイエスは自分の生活において何にも優って優先されていたのです。しかも十分な霊的「インプット」によって、4章31節以降に記されている忙しい働き(アウトプット)をすることができたと言えます。
 私たちは、「主の祈り」を会衆といっしょに毎週唱えています。ただ、そのシンプルな祈りはあくまでも祈りのアウトライン(概要)です。そこから、一人になってエレーモスで、本論となる祈りが生まれると思います。
 霊的な「インプット」と「アウトプット」。祈りと働き。隠遁と公現。静寂と活動。そのバランスを正しく保てていないことが今日の多くのクリスチャンの現実ではないかと思います。イエスの場合、御父との親しい交わりしての祈りのあふれが、具体的な働きとなって現わされたのです。
 私たちは、エレーモスで祈る工夫ができるでしょうか?そこでは、祈りの課題を祈ること以上の神さまとの交わり、イエスさまとの対話の場となるでしょう。
                   銘型「イエスのインプットとアウトプットのバランス」

2019年8月25日日曜日

2019年08月25日 第4主日礼拝 70週の預言②

招詞
世界とその中に住むものよ 鳴りとどろけ。こぞって喜び歌え。主の御前で。主は 地をさばくために来られる。 主は義をもって世界をさばき、公正をもって諸国の民をさばかれる。
                               詩篇98篇7~9節(一部)

聖書箇所
ダニエル書9章20~27節

説教
70週の預言② 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/302 偽預言者ハナヌヤ

 「行って、ハナンヤに次のように言え。『主はこう言われる。あなたは木のかせを砕いたが、その代わりに、鉄のかせを作ることになる。・・・』」         エレミヤ書28章13節

   ハナンヤは、王の機嫌とりのため、「主は、バビロン王の軛を打ち砕く 二年のうちに、神殿から略奪された器具と捕囚された者たちを帰らせる。」と偽りの預言をしました。エレミヤの預言は、その時点では主が許される時まで、と時を示しませんでした。王と人々はハナヌヤを信じ、エレミヤは立ち去ります。
 しかし、主は、上記のみ言葉をもってハナンヤを裁きました。神のご計画を妨げる者に対して神は厳しく取り扱われます。ハナンヤの犯した罪は、主から語られたことばではなく、人々が聞きたいことばを語り、幻想を民たちの中に吹き込んで惑わしました。それゆえに裁れたのです。
 この世に迎合することなく、みことばに真摯に向き合い、そこから語られる神のメッセージに耳を傾けるよう肝に命じなくてはなりませんね。      (銘型「エレミヤ書」の瞑想より引用)

2019年8月18日日曜日

2019年08月18日 第3主日礼拝 70週の預言①

招詞
 全地よ。主に喜び叫べ。大声で叫び、喜び歌い、ほめ歌を歌え。立琴に合わせて、主にほめ歌を歌え。                               詩篇98篇4~5a節

聖書箇所
ダニエル書9章1~27節

説教
70週の預言① 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/301 預言と予言

 「見よ。わたしはすぐに来る。この書の預言のことばを堅く守るものは、幸いである。」
                                    黙示録22章7節

 預言は、旧約聖書ヘブル語ナーバーも新約聖書ギリシャ語プロフェテースも「主なる神からの霊感によって語る・預言する」という意味です。両方合わせると聖書(新改訳3版)では674回も訳出されています。預言者の他の呼称として先見者(ガドなど)がいますが、同じ意味です。 
 これに対して予言(prediction)は、聖書には出てきません。予言とは、ある物事についてその実現に先立ち「あらかじめ言明すること」で、その予言者(占い師など)には聖書の神様は関わっておらず、多くの場合、別の霊が彼らをコントロールしている怖いものです。ネット上では、異端も含め、様々な偽の預言者や予言者たちが閲覧者を勧誘しています。その場合、自分の姿を明らかにしないで近づいてきます。 
 もっとも賢い防備は聖書のみ言葉です。み言葉は、御霊の与える剣で、霊的な攻撃にたいすする武器です。み言葉をよく読んで理解していると、異なる教えや間違った聖書解釈を見分ける力がつきます。サタンも光の天使に擬装して(2コリント11:14)、クリスチャンをだまそうとするのですからしっかり見極めましょう。 

2019年8月11日日曜日

2019年08月11日 第2主日礼拝 雄ヒツジと雄ヤギの幻

招詞
全地よ。主の御前に、おののけ。国々の中で言え、「主は王である」と。 詩篇96篇9~10節

聖書箇所
ダニエル書8章1~27節

説教
雄ヒツジと雄ヤギの幻  田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/300 天のみ国(バシレーヤ・トーン・ウラノーン)

すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。
                               ローマ人への手紙3章23節

  仏教の公式サイトとも言える budismo.comでは、警告として「仏教では、死んだら極楽とか、死んだら仏になれると教えられているのではありません。自業自得の因果の道理にもとづいて、死ぬまでの自分の行いによって死後の世界が決まる」と教えています。善人は善人として扱われるが、そうでない死者は、死後も功徳(くどく)を積む、果てしない旅が始まる、というわけです。これでは、誰も極楽に入れる望みは無いでしょう。人は、死後の不安を持ちながら現在を生きていくことになりますね。
 上記、聖書の教えは、これとは全く異なります。全ての人は、生まれつき罪人なので、また善を行う力のない者なのでそのままでは望みは無い。けれども、罪人も「神の恵み」により神の御子イエス・キリストを救い主と信じる信仰だけで神のみ前に正しい者としていただける、という実に「ありがたい」教えです。イエスさまが、「私を通して(信じて)でなければ誰ひとり父のみもと=天国にいくことはできません」(ヨハネ13:6b)と言っているように、イエスさまを信じる人は、罪を赦されて罰を受けないばかりか、死後、そのまま天国に入ることができます。功徳を積まなければ、という条件はありません。


2019年8月4日日曜日

2019年08月04日 第1主日礼拝 ダニエルの見た幻②

招詞
まことに、国々の民の神々はみな、むなしい。しかし主は天をお造りになった。尊厳と威光は御前にあり、力と光栄は主の聖所にある。                  詩篇96篇5~6節

聖書箇所
ダニエル書7章19~28節  

説教
ダニエルの見た幻② 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/299    永遠への道(アイオーン)

 (あなたがたは)私たちの主であり救い主であるイエス・キリストの永遠の御国に入る恵みを豊かに与えられるのです。                    ペテロの手紙第二1章11節

  ダニエルの終末預言は、永遠への道を示していて、新約聖書には永遠(アイオーン)という言葉が94回も出ています。神の元々の計画は、人が永遠に生きることでした。アダムとエバが食べてもよかった木の実には、永遠のいのちの木の実も含まれていたのですから(創世記2:15)。ところが、彼らは唯一禁じられていた木の実(善悪の実)を、わざと食べてしまいました。その結果、罪と死が入り、永遠の家から追放されました(創世記3:23、1コリント15:21)。にもかかわらず、神は、イエスを信じた者を永遠の御国に招いてくださいました。救われた私たちが、神の家で神と永遠に過ごすことができると保証されていることは何と幸いなことでしょう。目をあげて感謝しましょう。 

2019年7月28日日曜日

2019年07月28日 第4主日礼拝 ダニエルの見た幻①

招詞
【主】に歌え。 御名をほめたたえよ。日から日へと、御救いの良い知らせを告げよ。主の栄光を国々の中で語り告げよ。その奇しいわざを、すべての国々の民の中で。   詩篇96篇2~3節

聖書箇所
ダニエル書7章1~18節

説教
ダニエルの見た幻① 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/298 黙示文字

 イエス・キリストの黙示。この預言のことばを朗読する者と、それを聞いて、そこに書かれていることを心に留める人々は幸いである。時が近づいているからである。
                             ヨハネの黙示録1章1a節、3節  

 ダニエル書は、聖書の中の最初の黙示文学です。黙示文学では、神様の啓示が特別な形で示されます。ダニエル書では、大きな像だったり、翼を持ったライオンだったり、熊や豹など、獣が、人や王国に例えられて出てきます。新約聖書では、ヨハネの黙示録が知られています。 
 ダニエルは、バビロン捕囚でバビロンに強制移住させられ、75年間、バビロニアとペルシャの王たちに仕えました。天の神という名前で王たちに天地創造の神様を伝えることもダニエル書の目的の一つで、そのためにダニエル書の2~8章の一部は、現地語であるアラム語で記されました。同胞のユダヤ人たちには、今起きていること、将来起きることを伝えるのに、黙示の形で母語であるヘブル語で記したのは、「敵国の中」にいたことが大きな理由です。 
 私たちの聖書には、ダニエル書もヨハネの黙示録も収録されています。先のこともこれからのことも啓示されています。黙示文学の形で啓示されているものは特に注意深く学びましょう。そこには、日本のような異教の国で信仰をもって生きていく私たちに、知恵と勇気と希望を与える要素が沢山あるからです。