招詞
あなたのしもべを、傲慢から守ってください。それらが私を支配しないようにしてください。そのとき私は、大きな背(そむ)きから解き放たれて、全き者となるでしょう。私の口のことばと、私の心の思いとが、御前に受け入れられますように。主よ、わが岩、わが贖い主よ。
詩篇19篇13~14節
キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を空しくして、しもべ(ドゥーロス)の姿をとり、人間と同じようになられました。
ピリピ人への手紙2章6~7節
イエスは決して神性を捨てられたのではありません。神の本質の変化ではありません。ただ、地位と状態が変化したのです。神の権威ある地位から、しもべの状態に、その働きを変えられたというのが、ピリピ2:6~7で言おうとしていることです。しかもその変化は、自覚的・主体的です。強制や義務から変えたというのではありません。むしろ積極的に「しもべ(仕える者)」となられたのです。
私たちはひとりひとり、主のことばに照らされて歩んでいるかを吟味しなければなりません。クリスチャンであることは、肩書きでもなく、飾りでもなく、キリストのしもべという実質をもった存在でなければならないのです。そのような存在になるようにと言われた主に従うことができるように、私たちに寄り添っていてくださる神の賜物、助け主である聖霊の助けを仰ぎたいと思います。
わたしは、あなたの神、主である。・・・あなたの口を大きく開けよ。わたしが、それを満たそう。 詩篇81篇10節 (銘形「謙遜への招き」より一部引用)