2018年8月19日日曜日

2018年08月19日 第3主日礼拝 新しい人と従う人

招詞
私があなたにほめ歌を歌うとき、私のくちびるは、高らかに歌います。また、あなたが贖い出された私のたましいも。                           詩篇71篇23節

聖書箇所
エペソ人への手紙5章21節

説教
新しい人と従う人 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/249  神の視座

 私たちの主、【主】よ。あなたの御名は全地にわたり、なんと力強いことでしょう。あなたのご威光は天でたたえられています。
 あなたの指のわざである天を見、あなたが整えられた月や星を見ますのに、人とは、何者なのでしょう。あなたがこれを心に留められるとは。             詩篇8篇1、3~4節
 
 神は永遠であり、すべての世界は神を出発点としています。「すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです。」(ローマ11章36節)と言ったパウロは壮大な神の救いの歴史的視座を神から与えられた一人だと思います。そして、その視座は、上記ダビデの賛歌に見られるように、すでに詩篇の作者たちにも与えられていたということが驚きです。視座の広さ、その空間と時間のスケールの大きさにふれること、また、そうした視座をもってすべてを見る眼が養われること、これこそ詩篇の瞑想の醍醐味のひとつではないかと思います。
 ヒマラヤの山々を何度も登った友人が、山の上から眺めた時、なんと人間が小さなことにこだわり、争ったり、悩んだりしていることか、と言っていました。狭い、限られた空間と時間から解放されて、神の視座から考えるなら、ものごとがかなり変わって見えるようになるのです。詩篇は、神の大庭のような所です。そこは、私たちの心を日常から開放してくれるいこいの空間です。今日、詩篇の扉を開いてみましょう。         (銘形 「詩篇瞑想の手引き」より引用)

2018年8月12日日曜日

2018年08月12日 第2主日礼拝 新しい人と聖霊②

招詞
私は神の御名を歌をもってほめたたえ、神を感謝をもってあがめます。心の貧しい人たちは、見て、喜べ。神を尋ね求める者たちよ。あなたがたの心を生かせ。   詩篇69篇30、32節

聖書箇所
エペソ人への手紙5章18~20節

説教
新しい人と聖霊② 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/248 イエスの祈りと詩篇

    わが神、わが神。どうして、私をお見捨てになったのですか。遠く離れて私をお救いにならないのですか。私のうめきのことばにも。              詩篇22:1

 イエスさまの時代の聖書は旧約聖書です。それは、羊の皮に書かれており、ラビたちが手書きで書き写したもので、当時は貴重で高価なものでした。ですから、会堂(シナゴグ)で読まれる聖書の朗読に人々は真剣に耳を傾けたのです。イエスさまも安息日の礼拝で朗読される旧約のモーセ五書(トーラー)をよく聞いておられましたし、同じく、詩篇も愛聴していました。そんな訳で、イエスさまは、詩篇の心とことばで御父と祈り、親しい交わりをもっていたと思います。公生涯に入られてからも、毎朝、寂しいところで祈っていられましたが、詩篇のことばが祈りのことばでもあったと考えられます。というのも、イエスさまが対話や話の中に詩篇をよく引用されているからです。上記22篇1節はメシア詩篇とも呼ばれているカ所です。

 イエスが御父とどんな交わりをしたのか、その内実を知りたいと願っている者にとって、詩篇の作者(ここではダビデ)の心とイエスの心が重なっていることに気づきます。そうすると、詩篇の瞑想はさらに豊かになり、奥の深いものとなってゆくのを感じられると思います。イエス・キリストの生涯のおおよその流れを、学んでみてはいかがでしょう。詩篇の味わいはより豊かなものになります。                      (銘形 「詩篇の瞑想」より一部引用)

2018年8月5日日曜日

2018年08月05日 第1主日礼拝 神と歩いたエノク

招詞
ほむべきかな。日々、私たちのために、重荷をになわれる主。私たちの救いであられる神。神は私たちにとって救いの神。
                                 詩篇68編19~20節

聖書箇所
創世記5章18節~24節

説教
神と歩いたエノク 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/247 ふるいにかける 

 私の神、主よ。もし私がこのことをしたのなら、もし私の手に不正があるのなら、もし私が親しい友に悪い仕打ちをしたのなら、また、私に敵対する者から、ゆえなく奪ったのなら。。。
                                     詩篇7章3~4
 
 マタイ13章にイエスの語られた「種蒔きのたとえ話」があります。道ばたに蒔かれた種、岩地に落ちた種、いばらの中に落ちた種、そして良い地に落ちた種。種は神のことばです。私たちは、良い地に落ちた種が多くの実を結んだことを知っています。しかし、自分自身が決して良い地ではなく、道端や岩地やいばらの地であることを素直に認める人は多くはないようです。
 瞑想は、神を知り、神を深く味わうことですが、同時に、ダビデのように神の「ふるい」にかけられて信と不信の狭間で揺れ動く自分の心を鋭く見つめる勇気も必要です。
 ふるいにかけられる中で、自分自身の内にある心の問題を直視することは、辛いことですが、ご聖霊の声なき声に聴き従いましょう。やがて多くの実を結ぶようになると信じます。
                           (銘形「詩篇の瞑想」より一部引用)

2018年7月29日日曜日

2018年07月29日 第5主日礼拝 新しい人と聖霊①

招詞
正しい者たちは喜び、神の御前で、こおどりせよ。喜びをもって楽しめ。神に向かって歌い、御名をほめ歌え。雲に乗って来られる方のために道を備えよ。         詩篇68篇3~4節

聖書箇所
エペソ人への手紙5章18節

説教
新しい人と聖霊① 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/246 信仰の友情の重要性

 知れ。【主】は、ご自分の聖徒を特別に扱われるのだ。私が呼ぶとき、【主】は聞いてくださる。恐れおののけ。そして罪を犯すな。床の上で自分の心に語り、静まれ。  詩篇4篇3~4節

 「沈黙すること」、「ひとりになること」は、詩篇を瞑想する上でなくてはならないことです。しかし同時に、瞑想の訓練は、ひとりひとりが孤立して行なうものではなく、教会という信仰の共同体の中で共に支えられて行なうものだと信じます。それは、主にある者たちが、この世の価値観と生き方に流されることなく、ひとりひとりがなくてはならぬ大切なことに気づき、集約されていくためです。
 イエスのことばです。「もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。」 マタイ18章19~20節
 このイエスのことばは、私たちがキリストのいのちにあふれる者となっていくために、もう一度、信仰の友情の重要性を見直すべき約束です。    (銘形「詩篇瞑想の手引き」より引用)

2018年7月22日日曜日

2018年07月22日 第4主日礼拝 新しい人と機会

招詞
神よ。国々の民があなたをほめたたえ、国々の民がこぞってあなたをほめたたえますように。 地の果て果てが、ことごとく神を恐れますように。               詩篇67篇5、7節


聖書箇所
エペソ人への手紙5章15~17節

説教
新しい人と機会 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/245 礼拝者ダビデ
 
 ダビデの賛歌。私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む。私の救いは神から来る。
                              詩篇62篇1a~1b節(注)
 
 詩篇の表題が「ダビデの・・」「ダビデによる」となっているものが73あります。実に詩篇全体の半数に及びます。王としてのダビデ、夫としてダビデ、父親としてダビデ、戦いの勇士としてダビデ、神の代理者としての政治家のダビデ、音楽家としてのダビデ、詩人としてのダビデ等、いろいろなダビデの面があったにせよ、結局のところは「礼拝者としてのダビデ」、これこそ、神がダビデを詩篇=賛美の歌のソングリーダー的存在となさった理由ではないかと思います。
 彼の人生は決して完璧なものではなかったものの、不変の愛(アハバー)で神から愛されながら、自らも神に飢え渇き、神を追い求めた姿はいつの時代の礼拝者にとっても模範となるべき、あこがれの存在です。私たちは、もっとダビデから学びながら、礼拝者としてふさわしく整えられる者でありたいと思います。     (銘形「詩篇瞑想の手引き」より引用 注ー原語のヘブル語本文は、表題が1節となり、新改訳の1節は2節となっています)

2018年7月15日日曜日

2018年07月15日 第3主日礼拝 新しい人と光の子ども②

招詞
どうか、神が私たちをあわれみ、祝福し、御顔を私たちの上に照り輝かしてくださるように。それは、あなたの道が地の上に、あなたの御救いがすべての国々の間に知られるためです。
                                   詩篇67篇1~2節

聖書箇所
エペソ人への手紙5章8~14節

説教
新しい人と光の子ども② 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/244 弱い者

 神は神々の真ん中で、さばきを下す。 弱い者とみなしごとのためにさばき、悩む者と乏しい者の権利を認めよ。 弱い者と貧しい者とを助け出し、悪者どもの手から救い出せ。
                                 詩篇82篇 1、3~4節

 モーセ五書の申命記においては、今日においても驚くような福祉社会の理念が神によって基礎づけられています。その理念の中心は、弱い者たちの立場が擁護されてことです。詩篇の中でもこの理念によって生きる共同体としての神の民の喜びと悲しみが描かれています。
 旧約聖書を学び、親しんだパウロの手紙も、社会的弱者が教会で自由に活躍すべきであると書いています。ご聖霊がパウロに書かせた新約聖書の中の名文です。

 「それどころか、からだの中で比較的に弱いと見られる器官が、かえってなくてはならないものなのです。・・神は、劣ったところをことさらに尊んで、からだをこのように調和させてくださったのです。それはからだの中に分裂がなく、各部分が互いにいたわり合うためです。」
                           コリント第一12章22, 24~25節

 教会をからだとしてたとえ、共同体における弱い部分、劣った器官の存在の価値とその意義を教えています。今日的表現を使うなら、身体的、あるいは知的ハンディを持つ人々と言えます。あるいは、強い人に対する弱い人、健康な人に対する病気の人など、ハンディで苦しんでいる人々といえます。しかし、実は、そのような存在こそ「からだを調和させ、各部分が互いにいたわり合う」ために必要不可欠なのです。自分を見れば、失敗もし、弱さを認めざるを得ない者たちです。日々の歩みのなかで、「本当にそう思っていたわり合う」教会の交わりを深めていきたいものです。
                       (銘形「詩篇瞑想のための手引き」より引用)

2018年7月8日日曜日

2018年07月08日 第2主日礼拝 新しい人と光の子ども①

招詞
国々の民よ。私たちの神をほめたたえよ。神への賛美の声を聞こえさせよ。 神は、私たちを、いのちのうちに保ち、私たちの足をよろけさせない。              詩篇66篇8~9節

聖書箇所
エペソ人への手紙5章8節

説教
新しい人と光の子ども① 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/243   いこい(イヌホーット)

 主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。      詩篇23篇2b節
 
2節後半にある「いこいの水のほとりに伴われます」は、前半の「緑の牧場に伏させ」の思いを、さらに繰り返した表現です。「いこい」のへブル語はメヌホーットで、「休息」「安息」を表わすことばです。それは、休息だけでなく、静寂のイメージが加わります。羊飼いである神、主は「静寂な水辺に」、私を導かれる方なのです。
 主との親しい交わりを深めるためには、じっと静まれる場、神の御前に耳を澄まして待ち望む姿勢がとれる場所が必要です。生活のテンポの速さ、息つく暇も与えない活動、人との交流や奉仕などから身を隠して、一人になって静まりと沈黙の時を過ごす工夫をしましょう。
 喧騒に満ちた時代だからこそ、一人で黙想する時間が大切にされなければならないのです。特に、朝のみことばの前における沈黙はあなたの一日に大きな影響を与えます。夏の朝は、寒くもなく、早くから明けますね。起きて、みことばを一節読みましょう。そして黙想しましょう。
                        (銘形「詩篇23篇の黙想」より一部引用)