2018年11月25日日曜日

2018年11月25日 第4主日礼拝 主にあって強く④ 平和の福音の靴

招詞
正しい者は、なつめやしの木のように栄え、レバノンの杉のように育ちます。 彼らは年老いてもなお、実を実らせ、みずみずしく、おい茂っていましょう。        詩篇92篇12、14節

聖書箇所
エペソ人への手紙6章11~15節

説教
主にあって強く ④ 平和の福音の靴 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/262 弱さと謙遜④ 謙遜の回復

 「わたしは心優しく、へりくだっているから、わたしのくびきを負い、わたしから学びなさい。」                                 マタイ11:29

 これは、謙遜への招きについて、主イエスご自身のことばです。 
 福音書によれば、御子イエスはいつも御父とくびきを共にしておられ、御父にとどまっておられました。そしていつも御父の呼吸と合わせておられたのです。その御子が私たちに「わたしのくびきを負いなさい」、「わたしにとどまりなさい」と呼びかけておられます。この呼びかけは「謙遜」への呼びかけです。私たちは主イエスの謙遜に学ぶように招かれています。そしてこの招きに応えることは、「自分の救いを達成すること」につながります。 
 謙遜の反対は高慢ですが、使徒パウロも高慢と闘った人です。ピリピ教会への手紙で、「おそれおののいてー謙遜になってー自分の救いを達成してください」(2:12)と語るときに、教会のクリスチャンたちに対しても「私を見倣うように」というメッセージを残しました。真の謙遜の回復は、神の栄光が現わされていく道であると信じます。    (銘形「謙遜への招き」から引用)

2018年11月18日日曜日

2018年11月18日 第3主日礼拝 主にあって強く③ 正義の胸あて

招詞
【主】に感謝するのは、良いことです。いと高き方よ。あなたの御名にほめ歌を歌うことは。朝に、あなたの恵みを、夜ごとに、あなたの真実を言い表すことは。     詩篇92篇1~2節

聖書箇所
エペソ人への手紙6章11~15節

説教
主にあって強く③ 正義の胸あて 田口勇新牧師

言(こと)ローグ/261 弱さと謙遜③ 神の物乞い
 私には、自分のしていることがわかりません。私は、自分でしたいと思う善を行わないで、かえって、したくない悪を行っています。          ローマ人への手紙7章18~19節

 これは、パウロが2000年前にローマの教会にあてた手紙に書いた謙遜のことばです。500年前、マルチン・ルターは、当時のローマ・カトリック教会の脅迫に屈せず、命がけで「宗教改革=聖書の教えに帰る運動」を断行した人ですが、それだけではなく、彼は、旧新約聖書の全巻をヘブル語、ギリシャ語の原典から母国語のドイツ語に翻訳した学者でもありました。
 歴史にその名をとどめ、偉大なこと成し遂げた人物ですですが、そのルターが臨終に際して残したことばがあります。当時の公文書はラテン語でしたが、彼の書いた沢山の文書の中に、「私は神の物乞いです」と、そこだけドイツ語で書いたそうです。
 ルターは、「自分には、これが私の義です、とか、私の正しさですなどと言えるものは何もない。すべては神の憐みによって頂いたものだ」ということを死に臨んでもう一度、確認し、告白したわけです。ルターもパウロのようにまさに謙遜の限りを尽くして主に仕えた人だったのです。私たちも子どものように神の前に出て、自分の弱さと不足を告白しましょう。
                           (銘形「謙遜への招き」を一部引用)

2018年11月11日 第2主日礼拝 主にあって強く② 正義の帯

招詞
いと高き方の隠れ場に住む者は、全能者の陰に宿る。私は主に申し上げよう。「わが避け所、わがとりで、私の信頼するわが神」と。                  詩篇91篇1~2節


聖書箇所
エペソ人への手紙6章10~14節

説教
主にあって強く② 正義の帯 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/260 弱さと謙遜 ② 

 万軍の主。私の王、私の神よ。なんと幸いなことでしょう。あなたの家に住む人たちは。彼らは、いつも、あなたをほめたたえています。            詩篇84篇3b~4節

 ダビデにとって最善のことは「主の家に住むこと」(ヤーシャヴ)でした。「主の家に住む」とは、なにかの活動をするということではなく、ひたすら、主の家にくつろぎながら、主のすばらしさを知るということです。主の愛、主の恵み、主のいつくしみに触れ続けることです。主とのゆるぎない愛のかかわりを築くことでした。 
 ダビデの霊性のキーワードである「主の家に住む」を、新約聖書のことばで言い換えるならば、三つのキーワードをつくることができます。 
1. 「キリストのくびきを負うこと」マタイ11:29 
2. 「キリストのうちにとどまること」ヨハネ15:5
3. 「謙遜の限りを尽くして、主に仕える」 使徒20:19 
 この使徒の働きの20章19節は、パウロがエペソ教会の長老たちに語った決別説教の最初のことばです。 
 「謙遜の限りを尽くす」とは、謙遜を学び続けることにつながると思います。英語では、謙遜を身に着けることを、ラーン・ヒューミリティ(謙遜を学び続ける)と言うのもうなずけますね。そして、弱さを認めた人が謙遜を学んでい杭ことができる人だと思います。 
さて、聖書の中で「謙遜の限りを尽くして仕えた」人を探すと、第一は、イエスさまです。神の御子であられることを捨てて、権力も財力も無い、若者ヨセフとマリアに身を委ねられましたし、公生涯では、権力者たちに卑しめられ侮られます。しかし、イエスさまは、み父との交わりの中で最後まで、静かな平安をもっておられました。 
 私たちは御子イエスを通して「謙遜の奥義」を知り、そしてその祝福を生きるように招かれているのではないでしょうか。             (銘形:「謙遜への招き」を一部引用) 

2018年11月4日日曜日

2018年11月04日 第1主日礼拝 主にあって強く①

招詞
私たちの神、主のご慈愛が私たちの上にありますように。そして、私たちの手のわざを確かなものにしてください。                            詩篇90篇17節

聖書箇所
エペソ人への手紙6章10節

説教
主にあって強く① 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/259 弱さと謙遜 ① 

 「私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱い時にこそ、私は強いからです。」          コリント人への手紙12:9b~10

 イエスさまの降誕を感謝し、お祝いする降誕節(12/2~23)が近づきました。イエスさまが見せてくださった事として、弱さと謙遜について考えましょう。
 私たちと神との親しいかかわりを破壊してしまうのは高ぶりです。その高ぶりから私たちを守るものは、謙遜です。神は、私たちを高ぶりの罪から守っていてくださっていますが、これは祝福であり憐みです。
 パウロは、「自分の肉体の一つのとげ」を通して謙遜になれた、と述べています。上記のパウロの言葉は、神さまに「三度の嘆願」をしても癒されなかった後の告白です。ペテロの場合には、正統派ユダヤ人意識が謙遜を妨げました。食べものに関して、イエスさまとの「三度のやりとり」を通らなければなりませんでした。ペテロの場合のこのやりとりは、実は「異邦人を受け入れなさい」、という神の導きだったのです。そのためにペテロは不思議な経験をさせられます。このために、使徒の働き10~11章が割かれています。
 私たちに対する「神からの謙遜への招き」にも神さまとの関わりのストーリーがあるようです。次回、詳しく見ていきましょう。           (銘形:「謙遜への招き」を一部引用)