2023年10月29日日曜日

2023年10月29日 第5主日礼拝 ルターのチャレンジ

招詞
 神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助け。 それゆえ、われらは恐れない。
                                   詩篇46篇1~2節
 
聖書箇所
ガラテヤ書3章23節~28節

説教
ルターのチャレンジ 田口勇新牧師

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言(こと)ローグ/513 神のトーヴ ⑨ ~ 神の家族におけるトーヴ
 見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。それは頭の上にそそがれたとうとい油のようだ。それはひげに、アロンのひげに流れてその衣のえりにまで流れしたたる。それはまたシオンの山々におりるヘルモンの露にも似ている。主がそこにとこしえのいのちの祝福を命じられたからである。         詩篇133篇1~3節

 「共に住む」は原文では「共に座る」です。つまり共に座って食卓を共にし、共に語り合う、共に学ぶ姿、団欒を共にするーそれが「共に座る」ことであり、「共に住む」ことなのです。
詩篇133篇では二つのたとえで表現されています。
1) 末広がりの恩寵として(2節) 大祭司を通して、神の民全体に流れしたたる祝福の油は特別な祝福、あるいは歓迎のしるしです。大祭司は旧約ではアロンでしたが、新約ではイエス・キリストです。つまり、大祭司を通して「共に住む」ことが実現されるのです。
2) いのちをもたらす露として(3節) 兄弟たちが「共に住む」ということの中に、そうしたヘルモンの露にも似た霊的な祝福が注がれるというのです。つまり、多くの結実がみられるのです。「共に住む」ことのもうひとつの祝福は、兄弟姉妹と享受できるいのちの祝福です。 
                       (銘形「神の善(トーヴ)」から一部引用)

2023年10月22日日曜日

2023年10月22日 第4主日礼拝 エルサレム教会3

招詞
 主よ。あなたの恵みは天にあり、あなたの真実は雲にまで及びます。あなたの義は高くそびえる山。あなたのさばきは大いなる淵。あなたは人や獣を救ってくださいます。神よ。あなたの恵みは、なんと尊いことでしょう。                     詩篇36篇5~7節
 
聖書箇所
使徒の働き22章30節~23章22節

説教
エルサレム教会3 田口勇新牧師

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言(こと)ローグ/505 神のトーヴ⑧ 不条理の中でのトーヴ
 
 まことに神は、イスラエルに、心のきよい人たちに、いつくしみ深い。    詩篇73篇1節

 この詩篇を書いたアサフが信仰の危機に直面したこと告白されている詩篇です。彼は、ダビデの時代、ダビデの幕屋での賛美礼拝におけるリーダの一人でした。ダビデの息子ソロモンの時代に建てられたソロモン神殿においてもトップの賛美リーダーでした。彼はレビ人で、嗣業としての土地はありません。
その彼が、神を信じない人々をねたみ、栄えるのを見て、獣のようになってしまったのです。2, 3節はそのことを告白しています。
幸いアサフは、この霊的危機から脱出できました。28節にはこうあります(新改訳)。
「しかし私にとっては、神の近くにいることが、幸せなのです。」
たとえ他の人がどのように生きたとしても、私にとって良いことは、神の近くにいることなのだ、私は神の近くにあることを幸いとし、主なる神に避け所を置くのだ、と結論づけています。
これは作者が、不条理という暗闇の中で悟ったことです。霊的な暗闇の中にも神はおられるのです。 (銘形「神の善(トーヴ)」から一部引用)

2023年10月15日日曜日

2023年10月15日 第3主日礼拝 モーセとパウロ

招詞
 主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、霊の砕かれた者を救われる。正しい人には苦しみが多い。しかし、主はそのすべてから救い出してくださる。        詩篇34篇18~19節
 
聖書箇所
出エジプト記14章15節~31節

説教
モーセとパウロ 菅孝雄神学生

言(こと)ローグ/505 神のトーヴ ⑦将来のトーヴ
 「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。 あなたの御口のおしえは、私にとって幾千の金銀にまさるものです。
                                詩篇119篇71~72節

 前回は「苦難における神のトーヴ」についてお話ししました。上記119篇は、大きな苦しみの経験をした人それぞれが自分にとっての苦難の意味、苦しみの意義を見出すとき、そこには喜びが湧き上がり、生きる力さえもが溢れてくることを。そんな体験した人々のことばです。これは、結果論的告白では、苦しみのさ中ではどうでしょうか?
哀歌3:25~27には3つのトーヴがあり、苦しみのさ中での告白見ることができます。
25 主はいつくしみ深い。主を待ち望む者、主を求めるたましいに。
26 主の救いを黙って待つのは良い
27 人が、若い時に、くびきを負うのは良い
人は将来に希望を持つことではじめて今の時を意味あることとして受けとめ、創造的に生きることができます。つまり、明日を信じることのできる人は、今日を生き抜くことができるのです。それゆえ、今の苦しみを黙って受けとめることができるのです。
                        (銘形「神の善(トーヴ)」から一部引用)

2023年10月8日日曜日

2023年10月08日 第2主日礼拝 神の喜ばれる礼拝

招詞
 悪しき者は心の痛みが多い。しかし、主に信頼する者は、恵みが、その人を取り囲んでいる。正しい者たち。主を喜び楽しめ。すべて心の直ぐな人たちよ。喜びの声をあげよ。
                                  詩篇32篇10~11節
 
聖書箇所
創世記4章1~7節

説教
神の喜ばれる礼拝 松山裕師(録画説教)

言(こと)ローグ/509 トーヴ⑤ 苦難の時の悲しみ 3
 68 あなたはいつくしみ深くあられ、 いつくしみを施されます。 71 苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。72 あなたの御口のおしえは、私にとって幾千の金銀にまさるものです。               詩篇119篇71~72節

 原語は「トーヴ」ですが、上記の3節では、それがいろいろな意味合いをもって訳されています。68節では「いつくしみ深い」、71節では「しあわせ」、72節では「~よりも勝っている」と。ここでの作者はすでに苦しみを乗り越え、意味を見出すことができたので、このようなすがすがしいことを告白しているのですが、新共同訳では単なる「苦しみ」ではない、「卑しめられた」のだと解釈しています。
【新共同訳】卑しめられたのは、わたしのために良いことでした。
多くの人は、神がいるならなぜこんなことが起こるのかと思うでしょう。そして多くの場合、私は決してこんなことが起こることを許した神を赦さないという思いをもってしまうのです。しかし、そんな人の思いとは別に神の計画がありました。神が彼らを苦難に会わせられたのには理由があったのです。その理由とは、彼らをしてより真剣に神を求めさせるためであったのです。実は、この神の思いを預言者エレミヤがバビロン捕囚の出来事が起こる前に神の民たちに語っていたのですが、王も側近も祭司たちもそんな話に喜んで耳を傾ける真摯な信仰を持っていませんにでした。エレミヤ書29章で彼は、神の民イスラエルの人々がバビロンの捕囚の身となることを前提に語っています。(続く)                (銘形「神の善(トーヴ)」から一部引用」)

2023年10月1日日曜日

2023年10月01日 第1主日礼拝 神の御計画

招詞
 すべて、主の聖徒たちよ。 主を愛しまつれ。主は誠実な者を保たれるが、高ぶる者には、きびしく報いをされる。 雄々しくあれ。心を強くせよ。すべて主を待ち望む者よ。
                                 詩篇31篇23~24節
 
聖書箇所
イザヤ書29章11~14節

説教
神の御計画 銭谷幸器(録画説教)

言(こと)ローグ/509 トーヴ⑤ 苦難の時の悲しみ 2
 バビロンの川のほとり、そこに、私たちはすわり、シオンを思い出して泣いた。町中の柳の木々に私たちは立琴を掛けた。それは、私たちを捕らえてきた者たちが、そこで、私たちに歌を求め、私たちを苦しめる者たちが、余興に、「シオンの歌を一つ歌え」と言ったからだ。私たちがどうして、異国の地にあって主の歌を歌えるだろうか。            詩篇137篇1~4節

 バビロンでの「苦しみ」は、イスラエルの民にとって(特に、ユダ族にとって)、想像を超えるような、想定外の苦難でした。その苦しみとは彼らが大切にしていたエルサレムの神殿は跡形もなく破壊され、国を失っただけでなく、バビロンという異国の地の捕囚の民とされる辱めの経験でした。バビロンに捕囚となった者たちの多くは、有能な人々でしたが、灌漑工事の強制労働をさせられていた人も多かったと思われます。その灌漑した川のほとりで歌った歌が上記、詩篇137篇です。使徒パウロは、悲しみには二つの種類があると述べています。(コリント第二7章10節)。ひとつは、神のみこころにそった悲しみで、それは悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせるものです。この悲しみの涙の現実は、自分が神を認めず、神を忘れ、神のもとから離れたことが間違いだったと認める涙です。詩篇137篇の作者の涙はこの涙でした。
                   (続く) (銘形「神の善(トーヴ)」から一部引用」)