2022年5月28日土曜日

2022年05月29日 第5主日礼拝 暗闇の力から解放されて

招詞
 あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。父、子、聖霊の名において彼らにバプテスマを授け、わたしがあなたがたに命じておいた、すべてのことを守るように教えなさい。見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。
                            マタイの福音書28章19~20節

聖書箇所
エペソ人への手紙6章10節~18節

説教
暗闇の力から解放されて 田口勇新牧師

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言(こと)ローグ/441 ダヴァール(ことば)

 雨や雪は、天から降って、もとに戻らず、地を潤して物を生えさせ、芽を出させて、種蒔く人に種を与え、食べる人にパンを与える。そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、わたしのところに、空しく帰って来ることはない。それは、わたしが望むことを成し遂げ、わたしが言い送ったことを成功させる。                   イザヤ書55章10~11節

 ヘブル語で「ことば」のことを「ダヴァール」 と⾔います。ダヴァールは、あることを伝達するための⾔語としての「ことば」という意味だけでなく、「出来事」という意味があります。つまり、神のことばはそれを聞く者に出来事、しかも奇蹟的な出来事、をもたらすという意味です。そして、そのために主は人を用いられます。それは、その人の人生によって、数多くの人々がまことの神に触れることです。
ただし、私たちが、自身の基準で成功したと思う人生で他の人を感化するということではありません。むしろ、自分では気がついていない何かを神は用いられるかもしれないです。神ご自身とその言葉(ダヴァール)が、あなたやある人を通して確実に広がっていきます。その人は、人々からは注目されず、そのまま死んだとしても、その人の証しが人々を神に立ち返らせます。自分の人生がいかに失敗のように見えても、神は確実にご自分の働きを行なわれます。そして、神は今、あなたも用いておられるのです。人々は、あなたに注目するのではなく、あなたを通して神を見ることができ、神と共に歩む生活を送るようになるのです。 (ロゴスミニストリー「イザヤ書」より引用)

2022年5月22日日曜日

2022年05月22日 第4主日礼拝 350年後のミツライム

招詞
 義の門よ 私のために開け。私はそこから入り主に感謝しよう。家を建てる者たちが捨てた石それが要の石となった。これは主が設けられた日。この日を楽しみ喜ぼう。
                             詩篇118篇19、22、24節

聖書箇所
出エジプト記1章1節~22節

説教
350年後のミツライム 田口勇新牧師

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言(こと)ローグ/440 ヘブル人

 それで、王(ファラオ)は、エジプト全国民に、「以後、ヘブル人の子は、女の子だけを残して、男の子はみなナイル川に投げ込め」と命じたのです。      出エジプト記1章22節

「ヘブル人」と「イスラエルの民」という呼び方について、エジプト人との対応の場面ではヘブル人と呼び、自分たちの身内同士で呼ぶときはイスラエルの民と、両方の呼び方が使い分けられている、という指摘があります。しかし、旧約全体では33カ所でヘブル人と書かれており、申命記15:12では自国民の中でもヘブル人という表現を使っています。まとめると、エジプトに限らず、イスラエル民族が自身のことを外国人に話すときに使われるか、または外国人がイスラエル民族について話す時に使われています。
以下は、典型的な、二つの用例です。1サムエル14:11ではペリシテ人が上から目線でヨナタンと僕をヘブル人と呼んでいます。これに対して、ヨナは、船に乗り合わせた不特定の異邦人に「私はヘブル人です。私は海と陸を造られた天の神、主を恐れています(ヨナ1:9)」、と堂々と自己紹介しています。イスラエルは「主は勝利」の意味ですが、ヘブルの語源ははっきりしません。メソポタミヤからカナンに渡って来たので、「渡り者(イブリー)」からきたという説も有力です。主の声に従い、偶像と罪に満ちたメソポタミヤを去り、カナンに渡って来たアブラハム夫妻でした。私たちも、偶像や、罪の習慣を去り、イエスを信じる教会の交わりに「渡って来た者たち」ですね。この祝福の道は、主と共に前に向かってのみ進む道です。感謝しましょう。

2022年5月14日土曜日

2022年05月15日 第3主日礼拝 神の計画と人の配慮

招詞
 主に身を避けることは、君主たちに信頼するよりも良い。主の右の手は高く上げられ、主の右の手は力ある働きをする。                      詩篇118篇9、16節 

聖書箇所
創世記50章1節~26節

説教
神の計画と人の配慮 田口勇新牧師

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言(こと)ローグ/439 はじめに(バラシット)

 はじめに神が天と地を創造された。                     創世記1章1節

 ヘブル語聖書の創世記は、バラシット(はじめに)と呼ばれます。聖書は、すべての事象には初めがあったことと、終わりもあることを告げています。
人は永遠への思いを神に与えられた(伝道者3:11)ので、すべての事の始まりを探ろうとします。無神論の探求者は、無機物から有機物が偶然できて、進化により人間にたどり着こうとしますが全く成功していません。聖書と神を信じる先人たちは、「なにゆえに神は、天と地を創造されたのか」を探求しました。その問いの答えこそ聖書全体を貫く本道です。その本道とは、神が「創造の冠」として人を造り、交わりを持つためです。天と地の創造はすべて神が人との永遠のかかわりをもつための舞台設定と言えます。「創造の冠」とは、人が神にとって他の被造物とは異なる特別な存在であるということです。創世記3章で初めて神に敵対するサタンの存在を知らされ、死と死の恐怖が人に入ったことで神と人の歴史は複雑になりました。そこから人類の救いのマスタープランが始まりました。ヨセフ物語で終わる創世記は、このマスタープランのプロローグ(序章)でした。それゆえ、神の、人に対する特別な関心とまなざしにしっかりと目を向けていきたいと思います。                      (銘形「ヤコブの祝福の預言」より一部引用)

2022年5月8日日曜日

2022年05月08日 第2主日礼拝 ヤコブの信仰の総決算

招詞
 主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。苦しみのうちから私は主を呼び求めた。主は答えて私を広やかな地へ導かれた。        詩篇118篇1、5節

聖書箇所
創世記49章1節~33節

説教
ヤコブの信仰の総決算 田口勇新牧師

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言(こと)ローグ/438 シロが来る(ヤーヴォー・シロー)

 王権はユダを離れず、統治者の杖はその足の間を離れることはない。ついにはシロが来て、国々の民は彼に従う。                           創世記49章10節

 「シロ」とはヘブル語の動詞「シャーラー」に由来し、「栄える、引き出す」という意味です。つまり「シロ」はユダ族から引き出されるメシアを表わす特別な名前なのです。さらに興味深いことがあります。ヘブル語アルファベットには数値があてられていて、聖書の章節にも付加されていますが、「シロが来る(ヤーヴォー・シロ)」は加算すると、358になります。そして、「キリスト」のヘブル語である「メシア」も、358になります。このように、ヘブル語の数値換算をゲマトリアと呼びますが、偶然の一致ではありません。事実、ユダヤ人たちは、「シロ(メシア)が来る」と信じています。但し、やがて来るという未来形としてです。私たちクリスチャンの役目は、「シロ(メシアであるイエス・キリスト)はもう来たよ。信じて救われましょう。」と彼らに伝えることです。ユダヤ人の方々のために祈ることや、またそのような重荷をもって伝道活動をしている方々を支えることもその大きな働きですね。
                      (銘形「ヤコブの祝福の預言」より一部引用)

2022年5月1日日曜日

2022年05月01日 第1主日礼拝 ヨセフの使命 ⑪ エフライムとマナセ

招詞
 すべての国々よ 主をほめたたえよ。すべての国民よ、主をほめ歌え。主の恵みは私たちに大きい。主のまことはとこしえまで。ハレルヤ。                詩篇117篇1節

聖書箇所
創世記48章1節~22節

説教
ヨセフの使命 ⑪ エフライムとマナセ 田口勇新牧師

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言(こと)ローグ/437 伏し拝む(ハーヴァー)

 「私に愛と真実を尽くしてくれ。私をエジプトの地には葬らないでほしい。 私が先祖とともに眠りについたら、エジプトから運び出して、先祖の墓に葬ってくれ。」 ヨセフは言った。「必ずあなたの言われたとおりにいたします。」
イスラエルは言った。「私に誓ってくれ。」 ヨセフは彼に誓った。イスラエルは寝床の枕もとで、ひれ伏した。                          創世記 47章29b~31節

 神は、ヨセフの夢の中で、すでにヨセフが長子としての権利が与えられることを啓示したのですが、父も、そして兄弟たちもそれを素直に受け入れることができませんでした。第一の夢は、他の兄弟たちの束がヨセフの麦束を伏し拝んだことです(創世記 37:7)。第二の夢は、太陽と月と12の星が、ヨセフを伏し拝んだ(39:9)ことです。「ひれ伏した」と「伏し拝んだ」はヘブル語のハーヴァーです。イスラエル(ヤコブ)の行為はヨセフに自分の持っていた家督権をヨセフに譲ったことを意味しています。すでに神は22年前のヨセフの夢の中でこのことを指し示していたのです。
イスラエルの長子の権利はイスラエルの子ヨセフとその子孫に与えられました。系図の記載は長子の権利(序列)に従って行うものとはなりませんでした。(第1歴代誌5:2)
それにしても、創世記3:15から始まる人類の救いのマスタープランの中で、主の祝福の継承者として、11番目の弟ヨセフの抜擢は異例だったわけです。
                      (銘形「長子の権利を渡されたヨセフ」より引用)