2017年2月26日日曜日

2017年02月26日 第4主日礼拝 詩篇でうたわれたメシア

招詞
私はいつも、私の前に主を置いた。主が私の右におられるので、私はゆるぐことがない。
それゆえ、私の心は喜び、私のたましいは楽しんでいる。          詩篇16篇89節

聖書箇所
ルカの福音書 20章41 ~47節

説教
詩篇でうたわれたメシア 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ99/ミズモール(楽器を伴う神への賛美) 
ダビデの賛歌(詩篇110篇の表題)

 「ミズモール」とは「楽器を伴う神への賛美」を意味します。詩篇にのみ使われている語彙で、しかもすべて表題の中にあります。新改訳では「賛歌」と訳されています。
 詩篇の表題の中でも最も多いのが「ダビデの賛歌」(ミズモール レ・ダヴィド)です。これはダビデと楽器を伴う神への賛美が密接な関係にあることを意味しています。礼拝において音楽を導入したのはダビデが最初と言われます。ダビデが王となってから最初にしたことは、神の契約の箱をギルヤテ・エアリムからエルサレムに運び移すことでした。そのときダビデはレビ人たちを集めて、彼らに楽器をもって神への賛美を歌うように命じました(1歴代誌15:16, 25, 28, 29)。
 ダビデは神殿において昼も夜も24時間の賛美をささげるヴィションをもっていました。やがてソロモンの時代に、祭司たち、および四千のレビ人たちが「ダビデが賛美するために作った楽器を手にして、主を賛美する者」として活躍しました。  (銘形「ヘブル語のキーワード」より引用)


2017年2月19日日曜日

2017年02月19日 第3主日礼拝 復活を信じて生きる

招詞
その義にふさわしく、主を、私はほめたたえよう。 いと高き方、主の御名をほめ歌おう。
                                     詩篇 7篇17節

聖書箇所
ルカの福音書 20章27 ~40節

説教
復活を信じて生きる 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ98/サドカイ派 
「その日、復活はないと言っているサドカイ人(派)たちが、イエスのところに来て、質問して、 言った。」                        マタイの福音書22章23~24節

 これは、今朝の説教箇所、ルカの福音書 20:27~40の並行記事で、ルカの福音書には 名言されていない、サドカイ派(人)がこの突っ込み質問をイエスさまにしたことがわかります。背景がわかるとルカの福音書の理解に役立ちます。サドカイ派は、イエスさまの時代の上流社会の人々で、祭司、教育のある金持ち、そして貴族階級に属する人々でした。彼らのうちの一部はローマ帝国の支配下で総督に取り入り、ユダヤの代表者でした。
 彼らは、モーセ五書(トーラー)しか聖書と認めず、死後の世界を信じませんでした。パリサイ派のように大衆の支持を得ていましたが、サドカイ派は、大衆に人気がありませんでした。今朝のイエスさまへの問答は、イエスさまを敵として仕掛けたというより、大衆の前で自分たちの正当性を認めさせることにより、パリサイ派に一矢を報いようとした可能性があります。
 せっかく、39巻の(旧約)聖書がありながら、最初の5巻しか読まない、信じないという態度は、残念であり、不遜(ふそん)ですね。私たちには、1冊の中に旧約・新約66巻が詰まった聖書が手元にあります。ある方は箴言が大好きだといいます。そのように、愛読の一巻があるのは素敵ですが、1~3年かかっても全巻を読み通してみる祝福を経験しましょう。


2017年2月12日日曜日

2017年02月12日 第2主日礼拝 神のものは神に

招詞
正しい神は、心と思いを調べられます。私の盾は神にあり、神は心の直ぐな人を救われる。
詩篇 7篇9~10節

聖書箇所
ルカの福音書 20章20~26節

説教
神のものは神に 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ97/デナリと王の権威
「納め金にするお金をわたしに見せなさい。」 そこで彼らは、デナリを一枚イエスのもとに持って来た。 そこで彼らに言われた。
 「これは、だれの肖像ですか。だれの銘ですか。」 彼らは、「カイザルのです」と言った。
 マタイの福音書 22章19~21節
古代世界においては、王位のしるしは貨幣の発行にありました。王たちは、即位するとすぐに新貨幣を発行しました。そこには、肖像と銘が刻まれました。さらに、貨幣を発行する権利を得れば、それにともない国民に一人いくらという人頭税を課税する権利も得られたことになり、あまねく認められていました。上記、デナリ1枚は、当時の労働者の日当にあたり、ローマ皇帝(カエザル)は、これを一年の一人当たりの税としました。さて、イエス様の言い分はこうです。「あなたがたがカイザルの貨幣を受け入れて、それを日常用いているなら、当然カイザルの課税の権利も受け入れざるを得ないだろう」と。「しかし」とイエスは続けました。「カイザルの令状が及ばない領域、完全に神に属する領域もあるのだよ」と。このように、イエス様は、この間者(かんじゃ)側の根拠そのものに鋭いメスを入れました。
マタイ22:22で、「彼らは、これを聞いて驚嘆し、イエスを残して立ち去った。」とあります。イエス様は、上手に言い逃れをなさったのではなく、罠の根拠そのものにメスを入れられたことに気づいた結果だったのではないでしょうか? 現代の私たちも、自国のお金を使い、便利を享受していますから、納税責任があり、国の権威に縛られます。でも、国の法律の及ばない領域もあること、神さまにだけ服従する領域ももっていることを自覚し、改めて神さまに感謝しましょう。                         (バークレー「ルカの福音書」より引用)

2017年2月5日日曜日

2017年02月05日 第1主日礼拝 ぶどう園と農夫

招詞
幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。 まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。      詩篇1篇1~2節

聖書箇所
ルカの福音書 20章9~19節

説教
ぶどう園と農夫 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ96/「シャーローム」再考
あなたのみおしえを愛する者には豊かな平和があり、つまずきがありません。    詩篇119篇165節

ヘブル語では、シャーロームと読みます。旧約では237回使われています。この詩篇の「平和」は、争いのない、平穏無事の平和ですが、同時に力と生命に溢れた動的な状態をいいます。シャロームが意味するものは、以下にあげるようにきわめて豊かです。
① 繁栄
② 健康 (肉体的、精神的) ・・・健全、成熟
③ 充足 (生命的) ・・・満足、生きる意欲
④ 知恵 (学問的) ・・・悟り、霊的開眼
⑤ 救い (宗教的) ・・・暗闇から神の愛の支配へ
⑥ 勝利 (究極的) ・・・罪と世に対する勝利
日本では別れるときの挨拶として、「それでは失礼いたします」と言いますが、今でもイスラエルにおいては「シャローム」(豊かで溢れるほどの祝福があるように)と言うのです。私たちもそんな意味を込めた挨拶をしたいものです。シャローム!!                 (銘形「ヘブル語コラム」から引用)