2018年7月29日日曜日

2018年07月29日 第5主日礼拝 新しい人と聖霊①

招詞
正しい者たちは喜び、神の御前で、こおどりせよ。喜びをもって楽しめ。神に向かって歌い、御名をほめ歌え。雲に乗って来られる方のために道を備えよ。         詩篇68篇3~4節

聖書箇所
エペソ人への手紙5章18節

説教
新しい人と聖霊① 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/246 信仰の友情の重要性

 知れ。【主】は、ご自分の聖徒を特別に扱われるのだ。私が呼ぶとき、【主】は聞いてくださる。恐れおののけ。そして罪を犯すな。床の上で自分の心に語り、静まれ。  詩篇4篇3~4節

 「沈黙すること」、「ひとりになること」は、詩篇を瞑想する上でなくてはならないことです。しかし同時に、瞑想の訓練は、ひとりひとりが孤立して行なうものではなく、教会という信仰の共同体の中で共に支えられて行なうものだと信じます。それは、主にある者たちが、この世の価値観と生き方に流されることなく、ひとりひとりがなくてはならぬ大切なことに気づき、集約されていくためです。
 イエスのことばです。「もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。」 マタイ18章19~20節
 このイエスのことばは、私たちがキリストのいのちにあふれる者となっていくために、もう一度、信仰の友情の重要性を見直すべき約束です。    (銘形「詩篇瞑想の手引き」より引用)

2018年7月22日日曜日

2018年07月22日 第4主日礼拝 新しい人と機会

招詞
神よ。国々の民があなたをほめたたえ、国々の民がこぞってあなたをほめたたえますように。 地の果て果てが、ことごとく神を恐れますように。               詩篇67篇5、7節


聖書箇所
エペソ人への手紙5章15~17節

説教
新しい人と機会 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/245 礼拝者ダビデ
 
 ダビデの賛歌。私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む。私の救いは神から来る。
                              詩篇62篇1a~1b節(注)
 
 詩篇の表題が「ダビデの・・」「ダビデによる」となっているものが73あります。実に詩篇全体の半数に及びます。王としてのダビデ、夫としてダビデ、父親としてダビデ、戦いの勇士としてダビデ、神の代理者としての政治家のダビデ、音楽家としてのダビデ、詩人としてのダビデ等、いろいろなダビデの面があったにせよ、結局のところは「礼拝者としてのダビデ」、これこそ、神がダビデを詩篇=賛美の歌のソングリーダー的存在となさった理由ではないかと思います。
 彼の人生は決して完璧なものではなかったものの、不変の愛(アハバー)で神から愛されながら、自らも神に飢え渇き、神を追い求めた姿はいつの時代の礼拝者にとっても模範となるべき、あこがれの存在です。私たちは、もっとダビデから学びながら、礼拝者としてふさわしく整えられる者でありたいと思います。     (銘形「詩篇瞑想の手引き」より引用 注ー原語のヘブル語本文は、表題が1節となり、新改訳の1節は2節となっています)

2018年7月15日日曜日

2018年07月15日 第3主日礼拝 新しい人と光の子ども②

招詞
どうか、神が私たちをあわれみ、祝福し、御顔を私たちの上に照り輝かしてくださるように。それは、あなたの道が地の上に、あなたの御救いがすべての国々の間に知られるためです。
                                   詩篇67篇1~2節

聖書箇所
エペソ人への手紙5章8~14節

説教
新しい人と光の子ども② 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/244 弱い者

 神は神々の真ん中で、さばきを下す。 弱い者とみなしごとのためにさばき、悩む者と乏しい者の権利を認めよ。 弱い者と貧しい者とを助け出し、悪者どもの手から救い出せ。
                                 詩篇82篇 1、3~4節

 モーセ五書の申命記においては、今日においても驚くような福祉社会の理念が神によって基礎づけられています。その理念の中心は、弱い者たちの立場が擁護されてことです。詩篇の中でもこの理念によって生きる共同体としての神の民の喜びと悲しみが描かれています。
 旧約聖書を学び、親しんだパウロの手紙も、社会的弱者が教会で自由に活躍すべきであると書いています。ご聖霊がパウロに書かせた新約聖書の中の名文です。

 「それどころか、からだの中で比較的に弱いと見られる器官が、かえってなくてはならないものなのです。・・神は、劣ったところをことさらに尊んで、からだをこのように調和させてくださったのです。それはからだの中に分裂がなく、各部分が互いにいたわり合うためです。」
                           コリント第一12章22, 24~25節

 教会をからだとしてたとえ、共同体における弱い部分、劣った器官の存在の価値とその意義を教えています。今日的表現を使うなら、身体的、あるいは知的ハンディを持つ人々と言えます。あるいは、強い人に対する弱い人、健康な人に対する病気の人など、ハンディで苦しんでいる人々といえます。しかし、実は、そのような存在こそ「からだを調和させ、各部分が互いにいたわり合う」ために必要不可欠なのです。自分を見れば、失敗もし、弱さを認めざるを得ない者たちです。日々の歩みのなかで、「本当にそう思っていたわり合う」教会の交わりを深めていきたいものです。
                       (銘形「詩篇瞑想のための手引き」より引用)

2018年7月8日日曜日

2018年07月08日 第2主日礼拝 新しい人と光の子ども①

招詞
国々の民よ。私たちの神をほめたたえよ。神への賛美の声を聞こえさせよ。 神は、私たちを、いのちのうちに保ち、私たちの足をよろけさせない。              詩篇66篇8~9節

聖書箇所
エペソ人への手紙5章8節

説教
新しい人と光の子ども① 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/243   いこい(イヌホーット)

 主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。      詩篇23篇2b節
 
2節後半にある「いこいの水のほとりに伴われます」は、前半の「緑の牧場に伏させ」の思いを、さらに繰り返した表現です。「いこい」のへブル語はメヌホーットで、「休息」「安息」を表わすことばです。それは、休息だけでなく、静寂のイメージが加わります。羊飼いである神、主は「静寂な水辺に」、私を導かれる方なのです。
 主との親しい交わりを深めるためには、じっと静まれる場、神の御前に耳を澄まして待ち望む姿勢がとれる場所が必要です。生活のテンポの速さ、息つく暇も与えない活動、人との交流や奉仕などから身を隠して、一人になって静まりと沈黙の時を過ごす工夫をしましょう。
 喧騒に満ちた時代だからこそ、一人で黙想する時間が大切にされなければならないのです。特に、朝のみことばの前における沈黙はあなたの一日に大きな影響を与えます。夏の朝は、寒くもなく、早くから明けますね。起きて、みことばを一節読みましょう。そして黙想しましょう。
                        (銘形「詩篇23篇の黙想」より一部引用)

2018年7月1日日曜日

2018年07月01日 第1主日礼拝 新しい人と愛②

招詞
幸いなことよ。あなたが選び、近寄せられた人、あなたの大庭に住むその人は。私たちは、あなたの家、あなたの聖なる宮の良いもので満ち足りるでしょう。          詩篇65篇4節


聖書箇所
エペソ人への手紙5章1~7節

説教
新しい人と愛② 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/242 必要なもの(クレイア)

 マルタ、マルタ。あなたは、いろいろなことを心配して、気を使っています。 しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。       ルカの福音書 10:41~42

 「50代を私は人生の最大の節目と思っています。」と日野原重明氏は『生き方上手』(文庫版もあり)のはしがきで述べています。この確信は日野原氏がアン・リンドバーグの『海からの贈物』(新潮社文庫)の文章の一節にふれたときに与えられたようです。私も買って、第2章の「ほら貝」まで読んで感動してしまいました。以下、本の抜粋です。「どうすれば自分自身であることを失わずにいられるか・・・・それに対して、どういう答えがあるだろうか。・・・私には・・・浜辺で拾った貝のような手掛かりが与えられているだけである。ほら貝の簡素な美しさは私に、・・・自分の生活を簡易にして、気を散らすことの幾つかを切り捨てることなのだということを教えてくれる。・・ここでの浜辺でならば、それができる。浜辺の生活で第一に覚えることは、不必要なものを捨てるということである。・・・それは先ず身の回りのことから始まって、不思議なことに、それが他のことにも広がって行く。・・・」。
 ここでリンドバーグがしようとしていることはまさに<シンプルライフ>です。私もこの生き方の大切に気づかされ、憧れを感じたのは50歳になってからでした。その憧れを忘れずに、少しずつ実践し続けて行きたいと願っています。
 クリスチャンにとっても、どうしても必要な、神のみことばに聴く生活の他は、いろいろと整理するものがあるでしょう。まず、気づきが必要のようです。50歳と言わず、私たちも今から「生き方上手」になりませんか。             (銘形「シンプルライフ」から一部引用)