2015年10月25日日曜日

2015年10月25日 第4主日礼拝 給仕する者をめざして

招詞
あなたがたのうちに良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださることを私は堅く信じ ているのです。                           ピリピ人への手紙 1章6節

聖書箇所
ルカの福音書 22章24-30節

説教
給仕する者をめざして 田口孝子姉
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言(こと)ローグ30/「伏させる」 (ラーヴァツ) ➁ 
音楽の流れにも休符があります。ときには、「ジェネラル・ポーズ」といって完全休止があります。その完全休止は、音楽の流れに、より緊迫感と流れに新鮮さを与えます。私たちの生活にもそのような休息がなければなりません。
 いつもなにかをしていないと不安になってしまうワークホリック。それは休みたくても休めない現代の心の病です。詩篇の中には、真の休息、ゆとり、安眠の祝福を与えられた者たちがいます。 詩篇3篇、詩篇4篇にもその恵みを味わった人が歌っています。「私は身を横たえて(伏して)、眠る。 私はまた目をさます。主が支えてくださるから。」(3:5) ある意味で、人生の最大の課題はどのようにして身を横たえて休息し、 また眠ることができるかということです。
 身を横たえることはだれでもできます。しかし問題は、安らかに眠れるかどうかです。詩 篇の作者は、「私の羊飼いである主は、私を緑の牧場に伏させてくださる」方であると告白しています。
 現代のだれもが、心の安心、安定、安息を求めています。主であるイエスさまの救いと完全な信頼が心の安息をもたらします。
             (銘形:「詩篇の瞑想」から引用)

2015年10月18日日曜日

2015年10月18日 第3主日礼拝 聞く耳のある者は

招詞
聞きなさい。イスラエル。主は私たちの神。主はただひとりである。 心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさ い。私がきょう、あなたに命じるこれらのことばを、あなたの心に刻みなさい。                                                      申命記 6章4~6節

聖書箇所
ルカの福音書 8章1~15節


説教
聞く耳のある者は 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ29/「聞く耳」
ルカの福音書8章8節で、イエスは、たとえ話のあとで、群衆に向かって、「聞く耳のある者は聞きなさい」と叫ばれました。「聞きなさい」は、現在形ですから、正確には「聞きつづけなさい」と訳します。さらに次の段落では、弟子たちに向かって、「聞き方に注意しなければならない」、と言われます(18節)。まとめると、「聞く耳」とは、単に聞き従うということだけを意味するのではなく、イエスの語ったことばの真意を尋ね求め、問い続けるという意味での「耳」であり、その「耳」によって、さらなる天の御国の秘密が確実 に与えられる(未来形)ということを約束しておられるのです。そして、そのような者こそ、多くの実を結ぶ「良い地」なのだと言われています。                                    (銘形:「詩篇の瞑想」」から引用)

2015年10月11日日曜日

2015年10月11日 第2主日礼拝 知恵ある方が共におられる

招詞
神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。                  ローマ人への手紙 8章28節

聖書箇所
創世記 39章1~23節

説教
知恵ある方が共におられる 菅孝雄兄

言(こと)ローグ28/「伏させる」(ラーヴァツ)①
詩篇23:2「主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。」
 この「伏させる」という動詞は、「横たわる」「臥す」を意味するラーヴァツの使役形が使われ、「臥させて休ませる」という意味です。旧約では30回、詩篇では2回しか使 われていませんが、大変味わい深いことばです。 柔らかな草を食べて満腹した羊が、満足そうに、ゆっ たりと休んでいる姿をイメージさせます。まさにここのテーマ は「休息」、ないしは 「安息」です。新共同訳は、ラーヴァッツを 「休ませる」と訳しています。
 ゆとりのない忙しい生活、万年疲労の生活の行き着くところはどこでしょう。必ずいつか は倒れます。張りつめた弓の糸をゆるめるように、緊張を解く時が必要です。良い羊飼いであられるイエスさまとかかわることで、私たちに必要な休息が与えられるのです。 時に私たちは、かぜを引くなどして、大事な職場を休みますが、もしかして、疲労した霊と体を回復させるための、神さまの配慮かもしれません。主イエスは、言われました。「すべて疲れた人、重荷をもっている人はわ たしのところに来なさい。わたしがあなたが たを休ませてあげます。」(マタイ 11:28)。
                                            (銘形:「詩篇の瞑想」」から引用)

2015年10月4日日曜日

2015年10月4日 第1主日礼拝 もとめなさい

招詞
だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。
                                                 マタイの福音書 6章33節


聖書箇所
マルコ福音書 6章30節~46節

説教
もとめなさい ジョナサン・ロビソン宣教師
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言(こと)ローグ27/住う (ヤーシャヴ)
詩篇23篇でダビデは、「ずっと主の家に住みます」と言っています。ヤーシャブは、旧約全体で1,084回、詩篇では61回。その原意は「座る」で、「暮らす、こもっている、住まう、住む、とどまる、休む、御座に 座す」と多様な意味に使われています。
 詩篇23篇6節では、この詩篇における二つの結論が記されています。ひとつは、「まことに、私の日の限り、いつくしみと、恵みとが、私を追ってくる」という、*主の私に対するかかわり* の結論。
 もうひとつは、「私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。」という、*私の主に対するかかわり* の結論です。この二つの結論の順序が重要です。なぜなら、神の豊かな祝福が惜しみなく自分の生涯に注がれていることに気づかされた者だけが、真の意味で、「私は、いつまでも (とこしえに)、主の家に住まいましょう。」と誓うことができるからです。この誓いこそダビデをして、生涯、主に従い通す言動に導いた情熱の基になったと言えます。  
                                                        (銘形: 「詩篇の瞑想」より引用)