2021年7月25日日曜日

2021年07月25日 第4主日礼拝 アブラハムの ストレス⑥ 家庭2

招詞
 主よ、あなたは私が歩くのも伏すのも見守り、私の道のすべてを知りぬいておられます。 そのような知識は私にとってあまりにも不思議、あまりにも高くて、及びもつきません。
                                  詩篇139篇3、6節

聖書箇所
創世記17章1節~27節

説教
アブラハムのストレス⑥ 家庭2 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/397 ヘーン(心にかなっていた)
 しかし、ノアは主の心にかなっていた。                   創世記6章8節

 アダム以来の罪を受け継いだ人間、悪に傾く人間をどのように神さまは再創造するのか。そのヒントが上記のみ言葉でしょう。人は律法の規則や警告によって真に変えられることはありません。ただ神の恵み、神の一方的な気前良さ、神の好意、神の恩寵だけが人を作り変え得るのです。ノアは悪の増大する世の流れに同調しないで、むしろ掉(さお)さす生活をしていました。彼の信仰は主の心にかなっていました(ヘーン)。この掉さす信仰が、アブラハムを月神礼拝や偶像まみれのウルを後に旅立つ行動に受け継がれました。「ここを出てわたしの示す地へ」と言われた神様に素直に従う信仰です。以来、神はアブラハムが神の約束をどこまでも信じていく「信仰のモデル」となるように育てていかれました。
私たちはどうでしょうか。メシア・イエスさまの約束は、再臨と復活です。主イエスの心にかなう生活をしつつ、イエスを待ちます。異教の行事が多い8月です。ぶれないで、イエスさまだけを信じて歩く、という「ヘーン」な信仰で勝利しましょう。
                        (銘形「創世記6章の瞑想」より一部引用)

2021年7月18日日曜日

2021年07月18日 第3主日礼拝 アブラハムの ストレス ⑤ 家庭1

招詞
 私は心を尽くしてあなたに感謝します。あなたは、ご自分のすべての御名のゆえに、あなたのみことばを高く上げられたからです。私が呼んだその日に、あなたは私に答え、私のたましいに力を与えて強くされました。                       詩篇138篇1~3節 

聖書箇所
創世記16章1節~16節

説教
アブラハムのストレス⑤ 家庭1 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/396 アブラハムの故郷「ウル」はどこ?
 わたしは、あなたがたの先祖アブラハムを、あの大河の向こうから連れて来て、カナンの全土を歩かせ、子孫を増し、イサクを与えた。                ヨシュア記24章3節

 ウルという地は、信仰の父アブラハムが生まれ、神によって連れ出された出発場所です。上記、大河ユーフラテス川の向こうとは、ウルのことです。そこにおいてアブラムの父テラは、異教の神々に仕えていました。
さて、最近の考古学の研究成果として、地図のように、ハランの東150㎞にウルという町があったことがわかりました。実は、既説メソポタミア南部のウルは大河ユーフラテス川の南西にあるので、カナンから見て「川の向こう」という表現は合いません。メソポタミア北部のウルは、宗教的に、商業的に、ハランと結びついて、月の神を拝む中心地でしたから、アブラハムの父テラも「ほかの神々に仕えていた」のです。結局、テラは、偶像に仕える生活を捨てませんでした。しかしアブラムは、ハランからも出立し、真の神の招きに応えたのです。神はアブラムたちを、約束の地カナンへと導き出されました。この決断は、現代を生きるクリスチャンにもその祝福が及ぶことを思うとき、真に偉大な信仰の旅立ちだったわけです(ガラテヤ3:14)。 (テオロギアブログから引用)

2021年7月10日土曜日

2021年07月11日 第2主日礼拝 アブラハムの ストレス ④ 戦争

招詞
 神の神であられる方に感謝せよ。ただひとり、大いなる不思議を行われる方に。主の恵みはとこしえまで。英知をもって天を造られた方に感謝せよ。主の恵みはとこしえまで。
                               詩篇136篇2a、4~5節 

聖書箇所
創世記14章1節~24節

説教
アブラハムのストレス④ 戦争 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/395 ナタナエル
 イエスはナタナエルが自分のほうに来るのを見て言われた。「これこそ、ほんとうのイスラエル人だ。彼のうちには偽りがない。」ナタナエルはイエスに言った。「どうして私をご存じなのですか。」イエスは言われた。「わたしは、ピリポがあなたを呼ぶ前に、あなたがいちじくの木の下にいるのを見たので。」ナタナエルは答えた。「先生。あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です。」                        ヨハネの福音書1章47~49節

 イエスの友となった弟子の一人、ナタナエルとの会話です。ヨハネの福音書の重要なメッセージはイエスの私たちに対する友情への招きですが、その友情を育む上で大切なことはイエスを「見る」こと、そしてイエスに「見ていただく」ということです。そこには相手の隠されたものを理解する、悟る、見出す、発見するという意味もあります。私たちは(クリスチャン)であっても、自分にはわからないことだらけ、聖書のこの箇所は知っていると思っても、本当の事の意味することをどれだけわかっているのでしょうか。自分にはまだまだ見えていないことがあるかもしれないと謙虚になるとき、はじめて、さらなる深いところを理解するようになってくるのです。「主よ、私の心の目を開いてください」という謙虚な開眼への渇望は神を喜ばせます。 
                 (銘形「主との友情をはぐくむヨハネの福音書」より引用)
 

2021年7月3日土曜日

2021年07月04日 第1主日礼拝 アブラハムの ストレス③ 財産

招詞
 主よあなたのみ名はとこしえに、主よあなたの呼び名は代々(よよ)に至ります。まことに、主はご自分の民をさばき、そのしもべらをあわれまれます。      詩篇135篇13~14節

聖書箇所
創世記13章1節~18節

説教
アブラハムのストレス③財産 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/394 羊のストレス
 羊たちをみな外に連れ出すと、牧者はその先頭に立って行き、羊たちはついていきます。彼の声を知っているからです。                     ヨハネの福音書10章4節

 アブラムは、エジプトでファラオから羊の群れをもらって持ち帰り、羊飼いとなりました(創12:16)。羊は警戒心が強く群れを作り、危機を察知した一匹が動くとみんなそれに従います。だから、一匹だけ群れから引き離そうとすると大変なストレスを感じ、いやがります。「百匹捕まえるより、一匹捕まえる方が難しい」そうです。 聖書では、神とイスラエルの民との関係が、しばしば羊飼いと羊の関係に譬えられ、両者の信頼関係が描かれます。そうです、臆病で警戒心の強い羊は、良い羊飼いに飼われると信頼し、ストレスも消え、それが態度にも表れます。羊飼いが歩き始めると、羊たちも立ち上がり、後を追います。牧羊犬で強制的に追い回さなくても羊を安全に導くことができたのです。「しかし、(羊は)ほかの人には決してついて行かず、逃げていきます。ほかの人たちの声は知らないからです(ヨハネ10:5)」。イエスさまは、言われました。「わたしは良い牧者です。わたしはわたしのものを知っており、わたしのものはわたしを知っています。(10:14)」。イエスさまは、羊であるわたしたちを知っている、といわれた程にはたして私たちもイエスさまを知っているでしょうか。福音書を読んで、良い牧者イエスさまを深く知り、心から愛し頼る者にさせていただきましょう。