2016年7月31日日曜日

2016年07月31日 第5主日礼拝 兄息子の問題

招詞
神へのいけにえは、砕かれた霊。砕かれた、悔いた心。神よ。 あなたは、それをさげすまれません。
                                                  詩篇51篇17節
聖書箇所
ルカの福音書15章11節~32節

説教
兄息子の問題 田口勇新牧師
MP3音声ファイル

言(こと)ローグ71/「赦す」 アフィオメン
「私たちの罪をお赦しください。私たちも私たちに負いめのある者をみな赦します。」 ルカの福音書11章4節

 主の祈りのこの部分は、マタイの福音書とルカの福音書の語彙に微妙な3つの違いがあります。一つ目は、ルカの「負い目」は、マタイでは「罪」、2つ目は時制で、マタイは「私たちも、私たちに負いめのある者たちを赦しました。」です。3つ目は、ルカでは、「みな(赦します)」です。しかし、これらの違いはこの祈りを理解する上で妨げとはなりません。むしろ、その違いを相補的に理解することが賢明です。この部分で重要なことは、「神に対する負いめ(罪)の赦し」が、「自分たちに対する負いめのある者たちを赦す」ことと密接な関係をもっているということです。この意味で、ルカの福音書15章の放蕩息子の兄やパリサイ人、律法学者たちは、自分も赦し愛されているにも関わらず、どうしても赦せない人たちがいたという深刻な問題をかかえていることになります。私たちもこれをチャレンジとして受けとめていきましょう。                                                              (銘形「ルカの福音書」から一部引用)

2016年7月24日日曜日

2016年07月24日 第4主日礼拝 迷子の羊を

招詞
人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。                ルカの福音書19章10節
                    
聖書箇所
ルカの福音書15章1節~10節

説教
迷子の羊を 田口勇新牧師
MP3音声ファイル

言(こと)ローグ70/「銀貨」ドラクマ
「女の人が銀貨を十枚持っていて、もしその一枚をなくしたら、あかりをつけ、家を掃いて、見つけるまで念入りに捜さないでしょうか」       ルカの福音書 15:8
 このたとえで問題にされている銀貨は、ドラクマ銀貨で、このか所のギリシャ語は、ドラクマです。これは一枚2500円ほどの価値だと言われていて、当時のローマ帝国の労働者の一日分の賃金に相当します。彼女が必死に探したのは、家が貧しく、ご主人や子どもたちに食べさせるのに無くてはならないお金だったからでしょう。しかし、10枚のうちの1枚というのが気になります。これは、パレスチナでは、既婚女性のしるしが、銀の鎖に10個のドラクマ(銀貨)をつけた髪飾りだったことから、今日の結婚指輪に相当するものだったと言われます。そのことを考えると、その1枚を家のどこかに落としてしまって必死に探したこと、見つかったときに近所の人と喜んだというのもうなずけます。ただし、イエスさまのおっしゃりたかったことは、見つけるまで、念入りに探した彼女の姿勢で、この姿勢を神さまが罪人をあきらめずに探す熱心さにたとえています。私たちの救いは、自分で熱心に神を求めたからではなく、神さまが熱心に探して見つけてくださったおかげ、というのが真相でした。感謝しましょう。                (バークレー 「ルカ福音書」より一部加筆引用)

2016年7月17日日曜日

2016年07月17日 第3主日礼拝 イエスの弟子道3

招詞
あなたがたは、世界の光です。
あなたがたの光を人々の前で輝かせなさい。                 マタイの福音書5章14、16節
                    
聖書箇所
ルカの福音書 14章25~35節

説教
イエスの弟子道3 田口勇新牧師
MP3音声ファイル

言(こと)ローグ69/「塩」ハラス
塩(ハラス)は良いものですが、もしその塩が塩けをなくしたら、何によってそ れに味をつけるのでしょうか。                                                       (ルカ14:34)
 塩には3つの効用があります。①防腐剤 古来、塩は、腐敗を防いだり、遅くするために使われました。漬物が長く保存できるのもこの効用です。キリスト者は、世の腐敗にまみれず、戦います。➁調味料 食物を美味しくする基本的な調味料です。キリスト者は、勇気、希望、愛、親切で世の人々の生活に味を添えていく者です。③畑の肥料や土壌改良材 古代から現代でも、農業への塩の利用は重要です。クリスチャンは、世の人々の中に入りながら世の悪には染まらず、逆に無くてはならない良い影響力を世に与え、聖霊の実を結ばせます。                               (バークレー 「ルカ福音書」より一部加筆引用)

2016年7月10日日曜日

2016年07月10日 第2主日礼拝 神の国の食卓

招詞
イエスは、言われた。
「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。」
                                               マタイの福音書5章2~3節
聖書箇所
ルカの福音書14章1~24節

説教
神の国の食卓 田口勇新牧師
MP3音声ファイル

言(こと)ローグ68/自尊心(セルフ・エスティーム)
招かれるようなことがあって、行ったなら、末席に着きなさい。そうしたら、あなたを招いた人が来て、『どうぞもっと上席にお進みください』と言うでしょう。そのときは、満座の中で面目を施すことになります。      ルカの福音書14章10節
 この「面目を施す」は、「尊敬される」の意味でしょう。自尊心が正しく満足されるからでしょうか。ただ、成功志向の強い現代の世界では、結果が自分には価値がある、と思い込ませる怖い力を持っています。自分のしたことの結果に左右されすぎると、自分の人生は、自分の価値を決めるポイントを誰かが書き込んでいる大きなスコアボードである、という落とし穴にはまります。そこに気がついたときはすでに、採点する多くの人たちに自分の魂を売り渡してしまっていることになります。クリスチャンとして「自尊心を高く持つ」ということは、上の例のようにたとえ上席を薦められることにならなかったとしても、自然体で末席に着き、ひがむこともなく、その席で満足できることでしょう。
                          (ヘンリ・ナウエン「静まりから生まれるもの」より一部加筆引用)

2016年7月3日日曜日

2016年07月03日 第1主日礼拝 狭い門から入りなさい

招詞
「わたしは門です。だれでも、わたしを通って入るなら、救われます。また安らかに出入りし、牧草を見つけます。」                                             ヨハネの福音書10章9節
                    
聖書箇所
ルカの福音書13章18~35節

説教
狭い門から入りなさい 田口勇新牧師
MP3音声ファイル

言(こと)ローグ67/「努力して」か「勇気をもって」か
今朝の聖書か所に「努力して狭い門から入りなさい。なぜなら、あなたがたに言いますが、入ろうとしても、入れなくなる人が多いのですから。」(ルカ13:4)と、あります。努力するとはどんな意味でしょうか?ギリシャ語アゴニゾマイは、スポーツなどで勝利をめざして「競って」の意味です。しかし、人との競争ではなく、自分で決心して門をくぐりなさい、という文脈にはあまりあてはまらないように思います。イエスさまは、ヘブル語で説教なさったので、おそらくアーマツの強意形(ヒットアンメツー)を使われたと思います。実際、ヘブル語のルカの福音書では、アーマツで、この意味は、「勇気をもって」です。そうすると文脈にもスッと入ってくるように思います。イエスさまに従う弟子たちは多かったといっても全体からすれば少数派です。イエスさまを救い主と信じて、人々に告白し、天の御国をめざすことは、勇気を必要とすることでした。イエスさまは、いのちに至る門です。その狭さは、入るのに勇気を必要とする狭さです。イエスさまは、「多くの者たちが、パリサイ人や律法学者の側についているときにも、勇気をもって、わたしをを信じ、神の国を求め続けることを堅く決心せよ」と励ましているのです。クリスチャン人口1%の日本にいる私たちも少数派です。勇気をもってただ「狭い門」であられるイエスさまを信じ、ついていきましょう。                                                               (銘形 「ルカの福音書を味わう」より加筆して引用)