2024年4月28日日曜日

2024年04月28日 第4主日礼拝 聖書のみ

招詞
 主はこの口に授けてくださった、新しい歌を。私たちの神への賛美を。多くの者は見て恐れ、主に信頼するだろう。幸いなことよ。主に信頼を置き、高ぶる者や、偽りに傾く者たちのほうを向かない人。                               詩篇40篇3~4節

聖書箇所
イザヤ書3章20節~21

説教
聖書のみ 金田与施夫牧師(DVD説教)

言(こと)ローグ/538 詩篇77篇の四つの瞑想語 ③ハーガー(思いを巡らす)

 私は、あなたのなさったすべてのことに思いを巡らし、 あなたのみわざを、静かに考えよう。 
                                    詩篇77篇12節

 詩篇77篇にある四つの瞑想語(meditation)の一番目は、ヘブル語で、①ザーハル(思い出す)、2番目は、スィーアッハで、「思いを潜める」でした。三番目は、ハーガー(思いを巡らす)です。
ハーガーは、昼も夜も、神のみわざや神のことばを継続的に思い巡らすことによって、思考を深め、熟成させる行為です。ほとんどの人性の問題やチャレンジは一過性ではありませんから、ハーガーすることで常に主に頼り、その副産物として信仰もより深められえていくと思います。
77篇は、作者不詳ですが、熟年のダビデの歌143篇と酷似しています。

 私は昔の日々を思い出し、あなたのなさったすべてのことに思いを巡らし、あなたの御手のわざを静かに考えています。                         詩篇143篇5節

 ダビデは、勇敢で正直者でしたが、サウル王の娘との結婚生活は破綻していました。イスラエルの王になってからは、バテシェバ醜聞を起こし、民の信頼を失いかけました。預言者ナータンの諫言(かんげん)で悔い改め立ち直ります。しかし、最大の試練は、愛息アブシャロムが自分を裏切り、クーデター未遂事件でダビデの命を奪おうとしてことでした。
詩1篇2節の「主の教えを喜びとし、昼も夜もその教えを口ずさむ。」もハーガーが使われていますが、以下のリビングバイブル訳は、ハーガーの深意を反映していると思います。
その人は、 主がお望みになることを何でも喜こんで行ない、 いつも、主の教えを思い巡めぐらしては、 もっと主のみそばを歩もうと考がえます。 リビングバイブル
次回は、④ハーシャブ(思い返す)です。      (銘形「ヘブル語コラム」から一部引用)

2024年4月21日日曜日

2024年04月21日 第3主日礼拝 恵みのみ

招詞
 見よ。主の目は主を恐れる者に注がれる。その恵みを待ち望む者に。私たちのたましいは主を待ち望む。主は、われらの助け、われらの盾。まことに私たちの心は主を喜ぶ。私たちは、聖なる御名に信頼している。                     詩篇38篇18,20~21節

聖書箇所
エペソ人への手紙2章8節~9

説教
恵みのみ 銭谷幸器牧師(DVD説教)

言(こと)ローグ/538 詩篇77篇の四つの瞑想語 ②スィーアッハ(思いを潜める)

 2苦難の日に、私は主を尋ね求め、夜には、たゆむことなく手を差し伸ばしたが、私のたましいは慰めを拒んだ。 3私は神を思い起こして嘆き、思いを潜めて、私の霊は衰え果てる。 
                                   詩篇77篇2~3節

 詩篇77篇にある四つの瞑想語(meditation)の一番目は、ヘブル語で、①ザーハル(思い出す)でした。
 次の2番目は、スィーアッハで、「思いを潜める」です。苦難の時もじたばたしないで、座って、心を静めて、自分の心としっかり向き合う態度です。これは言うは易し行いは難しです。なぜなら、それは時には呻きや苦痛を伴う行為になります。
 10節では失望・落胆に疲れた筆者がついに、「私の弱いのはいと高き方の右の手が変わったことによる。」 と主への不信を抱いてしまいそうになっています。しかし、読者は、次の11~12節で大きな安心を得て救われる気持ちになります。
 11節: 私は、主のみわざを思い起こそう。まことに、昔からのあなたの奇しいわざを思い起こそう。 12節 私は、あなたのなさったすべてのことに思いを巡らし、あなたのみわざを、静かに考えよう。
 デボーションという言葉があり、静思の時という意味です。KGK(キリスト者学生会)では、主事さんが、口を酸っぱくして「このエボ―ションを守りなさい、主とあなただけの時を守りなさい。それは、他人と関わる奉仕活動よりずっと大切です。これが、あなたが癖になるまで続けなさい」と指導されました。楽なことは、続けやすいですが、静思の時を身に着くまで続けるのは自己鍛錬が必要でしょう。決心して始めませんか?
 次回は、③ハーガー(思いめぐらす)です。    (銘形「ヘブル語コラム」から一部引用)

2024年4月14日日曜日

2024年04月14日 第2主日礼拝 見ないで信じる人たちは 幸いです

招詞
 全地よ 主に向かって喜びの声をあげよ。喜びをもって主に仕えよ。喜び歌いつつ御前に来たれ。知れ。主こそ神。主が、私たちを造られた。私たちは主のもの 主の民 その牧場の羊。
                                  詩篇100篇1~3 節

聖書箇所
ヨハネの福音書20章19節~20

説教
見ないで信じる人たちは幸いです 菅孝雄神学生

言(こと)ローグ/537 77篇の四つの瞑想語 ①ザーハル

 私は神に向かい声をあげて、叫ぶ。私が神に向かって声をあげると、神は聞かれる。 苦難の日に、私は主を尋ね求め、夜には、たゆむことなく手を差し伸ばしたが、私のたましいは慰めを拒んだ。私は神を思い起こして嘆き、思いを潜めて、私の霊は衰え果てる。  詩篇77篇1b~3節

 詩篇77篇には、四つの瞑想語(meditation)があります。ヘブル語で、①ザーハル、②スィーアッハ、③ハーガー、そして④ハーシャヴです。瞑想語とは「深く思索することば」の意味です。 ① ザーハルは、昔のことを一つひとつ思い出すという意味で、上記3節に使われています。記憶をたどりながら、心に呼び起こす行為です。新共同訳では、「思い続ける」、文語訳は「思い出流る」と訳されていいます。 一節には、神さまに声をあげて叫ぶと神は必ず聞いてくださるという確信が歌われますが、人生の苦難の日には、夜昼祈り求めても手ごたえが感じられずに、自分の霊は衰えしぼむ経験を歌っています。ザーハルは、「神の良くしてくださったことを数えよ、何一つ忘れるな」(103篇2節)という信仰体験を思い起こし、自分を元気づけようとすることばです。 苦難の嵐に会うと、神さまは自分を忘れたのではないか、祈り続けても無駄ではないか、などとぼやきたくなります。それは、不信の罪です。まず、身に起きた事実を見ましょう。自分は、イエスさまを信じて、永遠の死を逃れて救いを得ました。さらに永遠のいのちをいただいています。だから今を生きるための力を心と身に帯びています。生ける望みを与えていただいて今日も前に進むことができます。 次回は、②スィーアッハです。      (銘形「ヘブル語コラム」から一部引用)

2024年4月7日日曜日

2024年04月07日 第1主日礼拝 二人の弟子も

招詞
 ですから、兄弟たち、私は神のあわれみによって、あなたがたに勧めます。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。                          ローマ人への手紙12章1節

聖書箇所
ルカの福音書24章13節~43

説教
二人の弟子も 田口勇新牧師
説教動画はこちら:

音声のみはこちら:MP3音声ファイル


言(こと)ローグ/536 二つの現在命令


 この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分を変えていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。                ローマ人への手紙12章2節


 2節には二つの命令形があります。一つは「調子を合わせるな」と、もう一つは「(心を新たにすることで)変えていただきなさい。」で、どちらも現在命令形です。ギリシャ語の現在命令形は、常に・・し続けなさいという継続命令です。新改訳2017は「心を新たにすることで、自分を」とありますが、ここでの「心」とは、心情や感情のことではないので注意しましょう。ギリシア語の心(ヌース)も、ヘブル語訳の心(レーヴ)も、知性や考え、思考を意味します。つまり、「心を新たにする」とは感情だけでなく、思考の座標軸を神さま中心に移すことを意味します。変動する時代精神によってみことばを解釈せず、本来の神の概念をもって解釈する(受け取る)ことを自分に課すことです。前節の12章1節(招詞)とともに、自分力でなく、イエスさまに頼り、ご聖霊の助けで成しうることですね。       (銘形「ハヌカー」の今日的意味より一部引用)