2018年5月27日日曜日

2018年05月27日 第4主日礼拝 キリストを着なさい

招詞
私の力、あなたに、私はほめ歌を歌います。神は私のとりで、私の恵みの神であられます。
                                    詩篇59篇17節

聖書箇所
エペソ人への手紙4章17~24節

説教
キリストを着なさい 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/238 詩篇用語の5要素(カテゴリー)

  幸いなことよ。主をおのれの神とする民は。           詩篇144篇15節

詩篇の用語をことばの洪水のように考えてしまうことがあるでしょうか?
用語が5つのカテゴリーに分けられると知っていると、理解を助けます。

 1)礼拝用語 全地よ。【主】に向かって喜びの声をあげよ。 100篇1節
   「全地よ、喜びの声をあげよ」など、人が神に対してなす礼拝の行為や態度を表わ
  す動詞が使われるケースが多く見られます。

 2)恩寵用語 幸いなことよ。そのそむきを赦され、罪をおおわれた人は。 32篇1節
  これは神が人に対してしてくださる行為であり態度です。「かくまう」、「隠す」・・等。
  神のこうした動詞を発見して瞑想するだけでも、大いに励まされます。

 3)嘆願用語 わが神。私は、あなたに信頼いたします。どうか私が恥を見ないように
   してください。 25篇2節 
   これは神に対して「・・してください」という形で表現されます。「恥を見ないように
   してください」という嘆願は、裏を返せば「主は・・してくださる。」という信頼・信仰
   が背景にあります。イエスは嘆願する者に対して、「あなたの信仰があなたを救っ
   たのです。」と言われました。

 4)信仰告白 【主】は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。 23篇1節など。
   ダビデは、はっきりと信仰告白しています。

 5)教訓 表題の144篇15節のように、①~④が個人だけではなく、信仰共同体にお
  ける霊的遺産としてまとめられるケースです。
 
 このように、5つのカテゴリーを知っておくことで、詩篇ごとに全体像が見えてくるようになります。詩篇をさらに楽しみましょう。
                          (銘形「詩篇瞑想のための手引き」より一部引用)

2018年5月20日日曜日

2018年05月20日 第3主日礼拝 教会の成長②

招詞
あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい。わたしは【主】である。   レビ記18章19

聖書箇所
エペソへの手紙4章16節
使徒の働き2章40~47節

説教
教会の成長② 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/237  アナロジー(類比)

 神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助け。        詩篇46篇1節
 
詩篇の世界はアナロジー(類比)で満ちています。アナロジーとは、AをBとして見るものの見方であり、そのBとは既有知識であり、その知識に基づいてAを理解させようとする方法です。Bは、特に説明されなくても理解されている周知の事実でなければなりません。例えば、上記46篇1節では、神と人との関係を、神さまが自分の安全な避難場所であり、力を下さる方、苦しむときにちょうどそこにある助け手と告白しています。ダビデは、類比を用いて、全能の神、主がどういう方であるかを人々に伝達することができたのです。
 アナロジーは見えない神を私たちに理解させる上でとても重要な認知方法です。詩篇だけでなく、聖書全体がそうした方法を用いています。聖書のアナロジーを通して、神がいかなるお方であるかを知り、その神との親密な関係の中で神と共に歩んでいく旅を味わいましょう。
 人生の岐路に立つとき、困難な坂道に直面したとき、危険な道を行くことを余儀なくされたとき、そのときこそ神を知るときです。詩篇はその道案内です。      
                     (銘形「詩篇瞑想のための手引き」から一部引用)

2018年5月13日日曜日

2018年05月13日 第2主日礼拝 不思議を前にして~あやしむ人と信じる人

招詞
主よ。私は国々の民の中にあって、あなたに感謝し、国民の中にあって、あなたにほめ歌を歌いましょう。 あなたの恵みは大きく、天にまで及び、あなたのまことは雲にまで及ぶからです。
                                  詩篇57篇9~10節

聖書箇所
ヨハネの福音書20章24~31節

説教
不思議を前にして~あやしむ人と信じる人 高橋和彦牧師
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言(こと)ローグ/236   霊的スランプ

 鹿が谷川の流れを慕いあえぐように、神よ。私のたましいはあなたを慕いあえぎます。 私のたましいは、神を、生ける神を求めて渇いています。いつ、私は行って、神の御前に出ましょうか。
                                   詩篇42篇1~2節

 詩篇43篇、103篇などと並んで、この節は、神さまへの呼びかけです。そこでは、困難の時には、絶望している自分に、また、順境の時には、豊かな恵みを注いでくだった神を決して忘れることがないようにと、自分に語りかけます。なぜ霊的なスランプに陥るのでしょうか。それは、私たちが神の恵みに慣れてしまって、恵みが当たり前のように思ってしまうからです。あるいは、自分が自分に対して自分の思い(つぶやき)をそのままに語らせているのを許してしまうからです。霊的なスランプに陥ったときの対処法は、
① 意気消沈させている内なる自分に対して、また恵みに慣れてしまっている自分に対して、はっきりと対決し、叱責し、訓戒し、問いかけることです。
そして、
② 神はどんな方であり、また何をすると約束してくださったかを、意識的に、 はっきりと自分自身に対して思い起こさせること、です。
 信仰は、イエスさまの十字架と復活の事実に基づいています。自分の罪を認めた時、イエスを信じて救われました。これも事実です。神さまは、いつでも、今でも、霊的に落ち込んでいる私たちが、御前にでることを望んでおられます。一歩進み出て、「イエスさま」と呼びかけましょう。また、治療より予防が効果を発揮するのは霊的な世界でも同じです。ダビデのように、毎朝、神さまへの呼びかけをしましょう。           (銘形「詩篇瞑想の手引き」より一部引用)

2018年5月6日日曜日

2018年05月06日 第1主日礼拝 教会を建てあげる

招詞
神よ、あなたは、私のいのちを死から、まことに私の足を、つまずきから、救い出してくださいました。それは、私が、いのちの光のうちに、神の御前を歩むためでした。   詩篇56篇13節

聖書箇所
エペソへの手紙4章11~15節

説教
教会を建てあげる 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/235   詩篇の中の「呼びかけ」

 詩篇には2つの<呼びかけ>があります。つまり、①神に向かって呼びかけるもの、②人/自分に向かって呼びかけるものです。
 ①詩篇の多くは神に向かって呼びかけられています。嘆きの詩篇は特にそうです。嘆きが人に向かってではなく、神に向かって訴えられています。私たちの多くが、神に向かってではなく、人に向かって訴えることが多いことかを思えば、詩篇はその点ですばらしいと思います。なぜなら、すべての解決は神にあるからです。
 ②そして、自分に向かって呼びかける詩篇があります。数として多くはありませんが、「わがたましいよ」と呼びかけます。42篇、43篇、103篇等がそうです。そこでは、絶望している自分に、また、豊かな恵みを注いでくだった神を決して忘れることがないようにと、自分に語りかけます。なぜなら、信仰者といえども、霊的なスランプに陥ることがあるからです。霊的なスランプの克服法はあるるのでしょうか?
 次回、考えます。(続く)           (銘形「詩篇瞑想の手引き」より一部引用)