2016年12月25日日曜日

2016年12月25日 クリスマス礼拝 天使の賛美に励まされて

招詞
きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。
                                 ルカの福音書 2章11節
聖書箇所
ルカの福音書 2章8~20節

説教
天使の賛美に励まされて 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ90/栄光(ドクサとカボド) 
「御子は神の栄光の輝き、また 神の本質の完全な現われ・・・」
                                へブル人への手紙 1章3節
 
栄光(ドクサ)は、神の御子イエスにおける神の栄光です。イエスさまは、光であり、輝きでした。ヨハネの福音書1章14節では、「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。」と書いてあります。イエスさまを見た人たちは、神の栄光を見たのでした。
 ドクサは、へブル語カボドのギリシャ語訳です。栄光(カボド)の持つもう一つの意味は、「重い」です。この世界における最重要なことは、神のひとり子が、この世界に到着なさったことにより、「最も重要な神の啓示がついに実現した」ということです。私たちは、弟子たちのようにイエスさまに直接会うことはできませんが、イエスさまの言葉を聖書で読み、栄光の姿を想像できます。やがて、終わりの日には、直接見ることができるのです。                        (銘形 「ヘブル語の鍵語」から引用)

2016年12月18日日曜日

2016年12月18日 待降節第4主日礼拝 キリストの預言者たち4

招詞
イエスはまた言われた。「わたしは、良い牧者です。
良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。」
ヨハネの福音書10章11節

聖書箇所
エレミヤ書23章5節
ヨハネの福音書10章11~15節

説教
田口勇新牧師「キリストの預言者 4」
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言(こと)ローグ89/若枝(ツェマハ)
「わたしは、ダビデに一つの正しい若枝を起こす。彼は王となって治め、栄え て、この国に公義と正義を行う。」
エレミヤ書23章5節
 ここにある「若枝(ツェマハ)」はメシアの象徴です。イエス・キリスト のことを意味しています。この「ツェマハ」は旧約で12回使われています。生えているもの、萌え出るもの、芽生えるもの、枝、若枝、芽を意味します。12回の引照箇所は次の通りです。創世記 19:25、詩篇 65:11、イザヤ書 4:2、61:11、エレミヤ 23:5、33:15、エゼキエル 16:7、17:9- 10、ホセヤ 8:7、ゼカリヤ 3:8、6:12。
 特にエレミヤ 23:8の「 『イスラエルの家のすえを北の国や、彼らの散らされたすべての地方から上らせた【主】は生きておられる』と言って、自分たちの土地に住むようになる。」という預言は、全イスラエルの回復を意味しています。この回復は キリストの再臨を待たなければなりません。歴史は、着実にその方向に向かって進んでいると思います。
(銘形 「エレミヤ書」より引用)


2016年12月11日 待降節第3主日礼拝 キリストの預言者たち 3

招詞
私は見る。しかし今ではない。ヤコブから一つの星が上り、イスラエルから一本の杖が起こる。
民数記24章17節

聖書箇所
ミカ書 5章2節
マタイの福音書 2章1~6節

説教
キリストの預言者たち 3 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ88/平和(エイレーネー)
「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」
ルカの福音書2章14節

イエスの平和とローマの平和を比べてみましょう。
 初代皇帝アウグストは、力で敵を打ち負かし、当時の世界に平和をもたらしました。「ローマによる平和」(パックス・ロマナ)と呼ばれます。彼は、自分を神、主(キュリオス)と呼ばせ、人々は救い主とあがめました。彼自身知っていたように、彼は神ではありません。武力で平和を作りだしたのですから、地方では反乱が絶えませんでした。彼の統治こそが福音だとも言われました。しかし、ローマ市民だけが彼の平和と福音の恩恵に浴することができました。一方、イエスさまは、愛の力で、すべての人々の心に平和をもたらしました。神の御子で、真実、主(キュリオス)です。イエスさまの福音は、天の御国に入るための良い知らせでした。ユダヤ人もローマ人(異邦人)も、自由人も奴隷も、すべて天の御国に招かれました。主イエスを信じて、罪を悔い改めることだけが条件でした。
 皇帝は、ユダヤ人を含め、領内の人々を信じないで、常に監視しました。イエスさまは、弟子たちを愛し、信頼してくださいました。そして、今も私たちを愛し、見守ってくださっています。私たちも、弟子としてイエスさまを心から愛し、信頼しましょう。私たちは、困難の中でもイエスさまから心に平和をいただいていて、今日も進むことができますから感謝ですね。

(銘形 「アドベントの瞑想」より一部引用)


2016年12月4日日曜日

2016年12月04日 待降節第2主日礼拝 キリストの預言者たち 2

招詞
ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。                     ヨハネの福音書 1章 14節

聖書箇所
イザヤ書9章1~7節 

説教
キリストの預言者たち2 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ87/栄光(カボドとドクサ)
「私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。」
                                ヨハネの福音書 1章14節
「神の栄光」を表すへブル語は「カボド」で、ギリシャ語訳は「ドクサ」です。どちらも聖書で沢山使われている神さま用語です。あのバッハは、ドイツの教会のオルガニストでした。彼は毎週の礼拝のために、その日の礼拝の聖書箇所にふさわしい曲を作曲しました。牧師が一つのメッセージを準備して会衆に語るように、バッハも音楽という形で毎週、音楽を作曲したのです。そして、彼の作曲した楽譜には、必ず、「ただ神の栄光のために」という略語が記されていました。だれのためでもない、神に対する信仰と喜びのゆえに作曲したのです。それがバッハにとっての神への献身、神へのささげものでした。
 バッハのように作曲できなくても、私たちの身体は神によって買い取られたものです。私の身体の所有者は神ご自身で、私たちは聖霊の宮です。旧約時代には、神の臨在は幕屋とか、神殿にありました。しかし、イエスさまの十字架のみ業の完成により、神の臨在は私たちの生きざまの中に現れています。今週も、畏(おそ)れをもって、神さまに対する信仰と喜びで、人生を奏でましょう。
                         (銘形「ヘブル語のキーワード」より一部引用)