2021年12月25日土曜日

2021年12月26日 第4主日礼拝 ナザレのイエス

招詞
 わがたましいよ。主をほめたたえよ。主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな。 主は、あなたの一生を良いもので満ち足らせる。あなたの若さは、鷲のように、新しくなる。
                                  詩篇103篇2、5節

聖書箇所
マタイの福音書2章1節~23節

説教
ナザレのイエス 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/419 詩篇は小聖書

 神へのいけにえは、砕かれた霊。打たれ、砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません。                              詩篇51篇17節

 ルターは、30歳でヴィテッンベルグ大学の神学部教授になった翌年、1513年から2年間にわたって、早朝に週2回、詩篇の講義を持っています。彼が詩篇を選んだ理由は、詩篇が彼の霊的な生活を励まし、慰め、豊かにしたからです。ルターにとって、1517年から始まる宗教改革の嵐の海に乗り出す前の霊的エネルギー充填の時となりました。また、彼は詩篇の中にキリストの意味が明瞭に語られていることを確信していました。彼は、詩篇註解書の序言で、「詩篇は小聖書と呼ばれてもよく、この書ではすべてが最も美しく簡潔に述べられており、かりに人が聖書全部を読むことができなくても、この小冊子にすべてが要約されている。」と述べています。この講義録が、聖書釈義の手本としてやがて歴史的な意味をもつようになります。
詩篇は150篇ありますが、私たちの聖書通読日課に加えることもできます。近未来への霊的エネルギーの充填に用いませんか。           (銘形「詩篇ア・ラ・カルト」から引用)

2021年12月19日日曜日

2021年12月19日 第3主日礼拝 クリスマス礼拝 マリヤの目で見たクリスマス

招詞
 主の戒めはまっすぐで、人の心を喜ばせ、主の仰せは清らかで、人の目を明るくする。主からの恐れはきよく、とこしえまでも変わらない。主のさばきはまことであり、ことごとく正しい。
                                   詩篇19篇8~9節

聖書箇所
ルカの福音書2章1節~21節

説教
マリヤの目で見たクリスマス 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/418 光(フォース)

 やみの中を歩んでいた民は、大きな光を見た。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が照った。                              マタイの福音書4章16節

 ガリラヤ地方はB.C.723~722年にアッシリア帝国の侵略を受け、その属国となり、住民は捕虜となりました。こうしてガリラヤの住民は家族との離別の悲しみに会い、絶望のどん底にあったのです。このような悲劇の中において、イザヤは神の救いの光を見てこの預言をしたのです。
 このみ言葉は、直接的には、アッシリアに併合されて絶望のどん底にあった民の状態を意味していますが、比喩的には、霊的な暗やみ、霊的な死を意味しています。たとえ表面的にどんな豊かな生活を送ろうとも、キリストとその福音を知らない者はその本質においてはただ暗やみと死の中にあります。そうした人々が「偉大な光」を見ることのできる新しい時代が、すでに来ています。私たちがしなければならないことは、この「光」に背を向けることなく、この「光」を受け入れることです。そして、光の子どもとしてふさわしく歩むことです。イエスは言われました。「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」(ヨハネ8:12)                  (銘形「アドベントの瞑想」より引用)

2021年12月11日土曜日

2021年12月12日 アドベント第3週 第2主日礼拝 神の逆転劇

招詞
 心を尽くして私は主に感謝をささげます。あなたの奇しいみわざのすべてを語り告げます。私はあなたを喜び誇ります。いと高き方よ、あなたの御名をほめ歌います。    詩篇9編1~2節

聖書箇所
ルカの福音書1章46節~56節

説教
神の逆転劇 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/417 マリアとヨセフが選ばれた理由

 (マリヤとヨセフは)夢で警告を受けたので、ガリラヤ地方に退いた。そして、ナザレという町に行って住んだ。これは預言者たちを通して「彼はナザレ人と呼ばれる」と語られたことが成就するためであった。                     マタイの福音書2章22~23節

 教会学校の子どもたちから「なぜ、イエスさまの母があのマリアでなければならないのですか」という質問がありました。ヘブル名ミリアムのマリヤは、とても人気のある名前でどの町村にもたくさんのマリヤがおりました。さて、理由は、上記の預言にある通り、イエスさまはナザレ人である必要があったからです。 マリヤはナザレ村の娘だったことはルカの福音書1章でわかります。ヨセフはどうでしょうか。それは、2章で、国勢調査により、二人はすでに結婚していて、ナザレ村からベツレヘムに向かったことから知る事が出来ます。この二人は、ダビデの子孫であることも必要な条件で、これも満たしていました。これらすべては、創世記3章15節から始まった「神の救いのマスタープラン」に沿って、神が計画されたことが実現したというメッセージとなっています。クリスマスの主に感謝!            (銘形「アドベント瞑想」より一部引用)

2021年12月5日日曜日

2021年12月05日 アドベント第2週 第1主日礼拝 聖霊とイエス・キリスト

招詞
 主よ、あなたは、人を御使いよりわずかに欠けがあるものとし、これに栄光と誉れの冠をかぶらせてくださいました。あなたの御手のわざを人に治めさせ、万物を彼の足の下に置かれました。
                                    詩篇8篇5~6節

聖書箇所
ルカの福音書1章26節~38節

説教
聖霊とイエス・キリスト 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/416 ザカリヤの賛歌

 この方、イエス以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人間に与えられていないからです。        使徒の働き4章12節

 祭司ザカリヤが、ヨハネの誕生から8日目の命名式の時、聖霊に満たされて語った賛歌をベネディクトゥス(ラテン語:「祝福があるように」の意味)と言われ ます。この賛歌は、大きく二つの部分からなっています。前半は68~75節で、イエスによる罪からの救いについてです。後半は76~79節で、その「救い」を 備えるザカリヤの子、バプテスマのヨハネについての預言があります。ここでは前半だけに言及します。 救いは、罪からの救いです。ルカの福音書19章にはザアカイと言う金持ちで嫌われ者がイエスに会って、罪が示され、富の縛りから解放され、魂が救われるエピソードがあります。自分の力では決して這い出すことの出来ない物欲の泥沼からザアカイは生還しました。私たちも、聖書のみことばを通してイエスに出会い、罪が示されて救いへと導かれた者たちです。 この救いは、私たちの敵サタンからの解放でもあります。すなわち、神による救いを妨げるサタンとその手下である悪霊たちからの解放です。アドベントの期間、ご自身の言動を通して、この敵と戦い勝利なさったイエスに感謝しつつ過ごしたいと思います。 
                        (銘形「アドベントの瞑想」より一部引用)