2019年10月30日水曜日

2019年10月27日 宗教改革記念礼拝 神を畏れ進んだ人、ルター

招詞
 人はみな草のよう。その栄えはみな野の花のようだ。主の息吹きがその上に吹くと、草はしおれ、花は散る。まことに民は草だ。草はしおれ、花は散る。しかしだが、私たちの神のことばは永遠に立つ。                           イザヤ書40章6b~8節

聖書箇所
使徒の働き5章29~32節

説教
神を畏れ進んだ人、ルター 田口勇新牧師
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2019年10月20日 第3主日礼拝 終わりの日の幻 ①

招詞
わがたましいよ。主をほめたたえよ。わが神、主よ。あなたはまことに偉大な方。あなたは尊厳と威光を身にまとっておられます。                     詩篇104篇1節

聖書箇所
ダニエル書11章1~20節

説教
終わりの日の幻① 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/310 シャカイナ・グローリー ① 

モーセは、ミデヤンの祭司、しゅうとイテロの羊を飼っていた。彼はその群れを荒野の奥まで導いて、神の山ホレブにやって来た。すると【主】の使いが柴の茂みのただ中の、燃える炎の中で彼にあらわれた。なんと、燃えているのに柴は燃え尽きていなかった。 出エジプト記3章1~2節

 私たちが信じている三位一体の神様が、人間の目に見える形で現われる時、それを「シャカイナ・グローリー(栄光の臨在)」ということばで表現します。シャカイナは、シャカン(永遠に留まる)の派生語です。神の歴史の中で「シャカイナ・グローリー」は、光、火、煙、雲、雷、いなずま、密雲(や み)、そして御使いなどですが、その極めつけは人となられたイエスご自身です。ヨハネの福音書1章に「イエスは光であった」と記されているように、光の中にも、み子「イエス・キリスト」の存在がありましたし、実は、上記のどのシャカイナ・グローリーの中にもイエスは、おられます。なぜなら、イエスこそ「光」と「知恵」と「栄光」を結びつけている方だからです。
 この燃える柴の光の中で、神は、「わたしはあるという者である(出エジプト 3:14)」と初めてその名を啓示なさったことから始まり、目に見えるイエスさまは、沢山の教えと知恵を弟子たちに伝え、それらを書き留めた福音書はイエスの貴重な言行録です。この言行録=福音書に親しむことで、光であるイエスさまを日々実感しましょう。     (銘形「聖書における光」より一部引用)

2019年10月13日日曜日

2019年10月13日 第2主日礼拝 恐れないで安心しなさい

招詞
主の恵みは、とこしえから、とこしえまで、主を恐れる者の上にある。主の義はその子らの子に及び、主の契約を守る者、その戒めを心に留めて、行う者に及ぶ。   詩篇103篇17~18節

聖書箇所
ダニエル書10章1節~11章1節 

説教
恐れないで安心しなさい 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/309 ひかりと知恵(ホフマー)③

『光が、やみの中から輝き出よ』と言われた神は、私たちの心を照らし、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせてくださった。              Ⅱコリント4:4,6

  パウロは、ダマスコ途上でイエスの栄光の光(シャカイナ・グローリー)に照らされて回心しました。上のみ言葉によれば、パウロは、この光を「キリストの栄光にかかわる福音の光」だと言っています。「福音の光」と「キリストの御顔にある神の栄光を知る知識」とは同義です。つまり「天からの光」なしに、福音を理解することはできないということです。ですから、「天からの光」は「人に悟りを与えて人を輝かす光」であり、神との生きたかかわりをもたらす「いのちの光」とも言えるのです(ヨハネ1:4)。 

 「すべてのことが神からはじまり、そして神により、神へと至る」(ローマ11:36 )のです。
                         (銘形「聖書における光」より一部引用) 

2019年10月06日 第1主日礼拝 神の人・エリヤ

招詞
 わがたましいよ。【主】をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。わがたましいよ。【主】をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。                                詩篇103篇1~2節

聖書箇所
列王記第1 17章1~24節

説教
神の人・エリヤ 菅 孝雄 兄

言(こと)ローグ/308 ひかりと知恵(ホフマー)② 

 神は仰せられた。『光、あれ。』すると光があった。           創世記 1 章 3 節

  「起き上がって、自分の足で立ちなさい。わたしは、この民と異邦人との中からあなたを救い出し、彼らのところに遣わす。それは彼らの目を開いて、暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、わたしを信じる信仰によって、彼らに罪の赦しを得させ、聖なるものとされた人々の中にあって御国を受け継がせるためである。」            使徒26:16~18

 使徒パウロは「光」の現実と「暗やみ」の現実を表わすために、さまざまな用語を用いています。一例が「神の知恵」と「この世の知恵」です。パウロは、終始一貫、「神の知恵で福音を伝えた」と言い切りました。次回、詳しく述べます。
 私たちは、神の知恵と方法によって伝えられた福音の光を頂いたことを、まず主に感謝いたしましょう。                     (銘形「聖書における光」より一部引用)