2017年12月31日日曜日

2017年12月31日 第5主日礼拝 ベツレヘムへの路 ⑤  イエスと名づけた

招詞
わがたましいよ。【主】をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。
                                    詩篇 103篇 2節

聖書箇所
ルカの福音書2章21節

説教
ベツレヘムへの路 ⑤ イエスと名づけた 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/219 イエスの誕生と仮庵の祭り

 さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。 わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」
                             ヨハネの福音書 3章37~38節

 イエスの誕生は、ちょうどユダヤの「仮庵の祭り」が終わった10月頃とも言われます。上記のイエスの言葉は、この祭りの最終日に語られました。聖書とは、旧約聖書全体をさしています。 
【主】は、私の力、私のほめ歌。私のために救いとなられた。 あなたがたは喜びながら救いの泉から水を汲む。  イザヤ12:2~3 
 この祭りは、出エジプトで荒野にマナを降らせ、日々の食物を下さる神さまに感謝して行われたことに由来していました。この時、毎日必要なだけマナを集めなさい、と神さまは命じました。今日のパンは今日与えられ、明日のパンは明日与えてくださる神を信頼することを民が学ぶためでした。この日にイエスさまが霊の食べ物・飲み物のことを大声で叫び、民を招かれたことは重要です。御子イエスは、私たちに霊の食べ物と飲み物を下さる方であることを忘れないようにしたいと思います。                      (銘形「アドベント瞑想」より引用)

2017年12月24日日曜日

2017年12月24日 クリスマス礼拝 ベツレヘムへの路 ④ 羊飼いたち

招詞
 すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。
                              ヨハネの福音書1章9、12節


聖書箇所
ルカの福音書2章1~20節

説教
ベツレヘムへの路 ④ 羊飼いたち 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/218 忠実な羊飼い

 この土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。
                                  ルカの福音書2章8節

 ユダヤ人新約学者イーダーシャイムは、「イエスの生涯と時代」の中で、ベツレヘム郊外にあるミグダル・エーデル(見張りの塔)の傍の羊の群れは、エルサレムの神殿に捧げるための傷の無い特別な群れであること、羊飼いたちもえりぬきの人々で、年中休み無く羊を見守っていた、と言っています。普通の羊飼いは、夕方になると羊を囲いの中に入れて、自分たちは天幕の中で寝てしまうのに、焚き火を焚きながら、野宿してまで羊を見守るということは特別なことでした。「傷のない羊」を育てるために、不断の労苦をいとわない忠実な羊飼いだったからこそ、「野宿で夜番をしながら羊の群れを見守って」(2:8)いることができたのです。そして、最初のクリスマスに招かれたのはこの羊飼いたちでした。            (銘形「ベツレヘムの秘密」より引用)

2017年12月17日日曜日

2017年12月17日 アドベント第3週 第3主日礼拝 ベツレヘムへの路 ③

招詞
やみの中を歩んでいた民は、大きな光を見た。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が照った。あなたはその国民をふやし、その喜びを増し加えられた。        イザヤ書9章2~3節

聖書箇所
マタイの福音書1章18~25節

説教
ベツレヘムへの路  ③ 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/217 ベツレヘム ②

 すると、試みる者(サタン)が近づいて来て言った。「あなたが神の子なら、この石がパンになるように、命じなさい。」イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』と書いてある。」     マタイの福音書 4章3~4節

 ベツレヘムは、へブル語でパンの家という意味でした。上記の聖句でイエスが言われた人が真に生きるために必要なパンとは、食べる食糧としてのパンではなく、神の口から出る一つ一つのことばを意味しています。この意味において、主の祈りの中にある「日ごとの糧」について考えなければなりません。四つの福音書がみな共通に記している「五千人の給食」の奇蹟は、イエスこそ「天から下って来た生けるパン」であることを示唆するものでした。イエスは「わたしがいのちのパンです。」(ヨハネ 6:35)、「わたしは、天から下って来た生けるパンです。」(同 6:51)と言われました。また「それを食べると死ぬことがない。(中略)永遠に生きます。」(同 6:50, 51)とも言われました。福音書のイエスの言葉を理解し、信じることで、私たちも永遠のいのちをいただくことができます。             (銘形 「ベツレヘムの秘密」より引用) 

2017年12月10日日曜日

2017年12月10日 アドベント第2週 第2主日礼拝 ベツレヘムへの路 ②

招詞
人の日は、草のよう。野の花のように咲く。風がそこを過ぎると、それは、もはやない。しかし、主の恵みは、とこしえから、とこしえまで、主を恐れる者の上にある。
                                詩篇103篇15~17節

聖書箇所
ルカの福音書1章26~45節

説教
ベツレヘムへの路  ② 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/216 ベツレヘム(パンの家)
 
ベツレヘム=エフラテよ。あなたはユダの氏族の中で最も小さいものだが、あなたのうちから、わたしのために、イスラエルの支配者になる者が出る。その出ることは、昔から、永遠の昔からの定めである。                              ミカ書5章2~3節
 
 ベツレヘムはダビデの育った町であり、ダビデを育てた町でもあります。ルツ記を読むと大麦も小麦も産出する「パンの家」でした。ダビデはイスラエルのまことの牧者の心をもった王のモデルでした。やがて一千年後に、ダビデの町ベツレヘムに、ダビデに勝るところの真の王であり、永遠の大牧者となられるイエス・キリストが生まれることになるのです。そしてその永遠の大牧者、真の王は、「わたしは失われたものを捜し、迷い出たものを連れ戻し、傷ついたものを包み、病気のものを力づける。・・・・わたしは正しいさばきをもって彼らを養う」ことを実現してくださるのです。                     (銘形 「べツレヘムの風景」から一部引用)

2017年12月3日日曜日

2017年12月03日 アドベント第1週 第1主日礼拝 ベツレヘムへの路 ①

招詞
幸いなことよ。弱っている者に心を配る人は。【主】はわざわいの日にその人を助け出される。【主】は彼を見守り、彼を生きながらえさせ、地上でしあわせな者とされる。
                                   詩篇41篇1~2節

聖書箇所
ルカの福音書1章1~25節

説教
ベツレヘムへの路 ① 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/215 イエスの誕生と仮庵の祭り

「イスラエル人に告げて言え。この第七月の十五日には、七日間にわたる【主】の仮庵の祭りが始まる。最初の日は聖なる会合であって、あなたがたは、労働の仕事はいっさいしてはならない。」                             レビ記 33章34~35節
 
イスラエルの人びとは、出エジプト以来、3大祭を守ってきました。春には過ぎ越しの祭りと7週の祭り(ペンテコステ)、秋には、仮庵の祭りで、現在もユダヤ人たちの間で守られています。
 イエスの誕生は、この仮庵の祭りの時だったのでは、と多くの聖書学者が書いています。理由の一つは、ルカ2章にある天使のみ告げを受けた羊飼いたちのシーンです。ベツレヘム郊外で羊の放牧が許されたのは、牧草の制限から7週の祭り(6月)から仮庵の祭り(10月)でしたから、イエスの誕生も10月より早くはないだろう、というのです。
 12月に、世界中のクリスチャンたちとイエスの誕生を祝うのは意味がないでしょうか?クリスマスは、キリストの祭りという意味ですが、西方教会(ローマカトリック)が定めたのも、キリストの降誕を祝う祭りという意味で太陽暦では12月と定められました。ですから、イエスの場合、私たちの誕生日のように、戸籍にある誕生日でお祝いするのではなく、神が人として来られたという「メシアの地上での生涯の始まりという事実」を感謝しつつ祝うという意味があります。ツリーを飾り、美味しいケーキを食べること以上に、イエスさまに感謝と愛を表すこの待降節の期間を大切に過ごしましょう。親しい方々にメシア・イエスをお伝えしましょう。