2015年12月27日日曜日

2015年12月27日 第4主日礼拝 ガリラヤの光

招詞
あなたがたは、以前は暗やみでしたが、今は、主にあって、光となりました。 光の子どもらしく歩みなさい。 光の結ぶ実は、あらゆる善意と正義と真実なのです。              エペソ人への手紙5章8~9節

聖書箇所
マタイ4章12~17節

説教
ガリラヤの光  田口勇新牧師
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言(こと)ローグ39/いのちと光
この方にいのちがあった。このいのちは人の 光であった。               ヨハネ1:4

 ヨハネの福音書のキーワードは、「光」で しょう。イエスは、人の光です。バプテスマ のヨハネの役割は、キリストの中にあるこの 光へと人々の注意を 向けることでした。イ エスは、2度、ご自身を光と呼ばれました。 この光は、人の中に「在る」ことができます (同11:10)。だから人々は、光の 子 となれるのです(12:36)。イエスは、「わた しは光としてこの世に来た」と言われました (同12:46)。イエスの光は、①混沌を打ち負か す光でした。➁隠れたものを明らかにする光 でした・③人を救いへと導く光でした。この 光を受け入れ、それを信じる時にもはや暗や みを歩くことはあ りません(同12:46)。イ エス無しでは、暗がりを手探りで歩く人生に なります。イエスとともにいてこそ、道は明 るいのです。        (バークレイ  「ヨハネ上」 より一部引用)

2015年12月20日日曜日

2015年12月20日 クリスマス礼拝 ベツレヘムとキリスト

招詞
「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」
(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)           マタイの福音書  1章 23節


聖書箇所
ミカ書 5章2節4節
ルカの福音書 2章 8~16節

説教
ベツレヘムとキリスト  田口勇新牧師
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言(こと)ローグ38/ベツレヘムは『パンの家』
「神の御子は今宵しも ベツレヘムに生まれたもう」(讃美歌111)、「ああ、ベツレヘムよ などかひとり」(同115)、「いざ歌え友よベツレヘムの」(同120)などをはじめとするクリスマス・キャロルの中には、「ベツレヘム」という固有名詞が多く見られます。「ベツレヘム」はヘブル 語で「ベート・レヘム」で、『パンの家』という意味です。そこが昔から、パンの原料となる小麦や大麦などの穀物の産地だったからですが、この町にはそれ以上の歴史的な秘密があります。
  旧約聖書のルツ記の舞台は、ベツレヘムで、ルツさんとボアズさんの美しい恋が実る場でもありました。でも、 神さまはただの恋物語ではなく、この2人の子孫からやがてあのダビデが生まれるように計画しておられました。
  ルカ2章11節で、「きょうダビデの町で。。。」と天使が告げられたダビデの町は、ベツレヘムの通称でした。このことは、イエスさまが来られる700年以上も前に、ミカによって預言されていました。「ベツレヘム・エフラテよ。あなたはユダの氏族の中で最も小さいものだが、あなたのうちから、わたしのために、イスラエルの支配者になる者が出る。」 あの東方の博士たちは、メシア(キリスト)がベツレヘムに現れるというこの預言のことばを読んで、ベツレヘムに向かうことができました。
  このように、「ベツレヘム」は、神の救いのドラマにおいて多くのできごとと希望が隠されていた町なのです。クリスマスの賛美歌を歌いながら、2000年前のベツレヘムの町に思いを寄せてみましょう。
                                        (銘形 アドベントの瞑想より一部引用)  

2015年12月13日日曜日

2015年12月13日 第2主日礼拝 ヤコブから一つの星が

招詞
私は生きているかぎり、主に歌い、いのちのあるかぎり、私の神にほめ歌を歌いましょう。 私の心の思いが神のみこころにかない ますように。                              詩篇 104篇 33~34節

聖書箇所
マタイの福音書 2章1節~11節

説教
ヤコブから一つの星が  田口勇新牧師
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言(こと)ローグ37/星とメシア
東方の博士たちは、はるばるパレスチナにやって来ましたが、星が彼らを導きました。キリスト誕生のおよそ1200~300年ほど前に、異邦人で ある預言者が語ったメシアの預言について、なんらかの形でそのことを聞いて知っていました。それは、バラムの預言でした(民数記24:17)。「ヤコブから出る一つの星」、それはメシアの星でした。そのメシアの星を、ヨハネの黙示録 22:16では「明けの明星」と表現しています。「明けの明星」とは、夜明け前に東の空に美しく輝いて見える金星のことを指します。ヨハネは、晩年、キリスト者であるという理由でパトモス島に幽閉されている間に黙示録を記していますが、いつものように夜明け前に起きて神に祈っている時は、いつも金星を東の空に見ていたのかもしれません。金星がヨハネの顔を照らし、 朝の冷気で元気づく時に、まるでイエスが「元気を出しなさい、私はあなたとともにいる」と言われているような気がしたかもしれません。星とメシア、そしてメシアを信じ救われた使徒ヨハネも、メシアであられるイエスを輝く明けの明星と語り継ぎ、「この星を見るたびにイエスを思いおこし。困難の中でも勇気を出しなさい」と励ますメッセージを私たちに送っています。                    (銘形 アドベントの瞑想を一部引用)

2015年12月6日日曜日

2015年12月06日 第1主日礼拝 夢と予言

招詞
私は心を尽くして【主】に感謝します。あなたの奇しいわざを余すことなく語り告げます。 私 は、あなたを喜び、誇ります。いと高き方よ。あなたの御名をほめ歌います。                        詩篇9篇1~2節

聖書箇所
マタイの福音書 1章18節~25節

説教
夢と予言  田口勇新牧師
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言(こと)ローグ36/「しるし」と「象徴」2
前回は、「しるし」が神さまからのサインであるということを知りました。一方「象徴」は、「しるし」とは異なり、具体的な物事からある深い隠された真理を伝えるために用いられるものです。例えば、聖霊なる神は、「鳩」、「風」、「息」、「雨」、「露」、「酒」、「油」、「火」などで表わされます。朝や夜を象徴として用いることもあります。
 使徒パウロの生涯には、「ある夜」という三つの夜があったことをルカは「使徒の働き」に記してています。これらは、「ある夜」と表現される目に見えない特別な「夜」を意味します。いわばパウロの人生の節目 となるような特別な「夜」であり、象徴的な意味を持った夜なのです。具体的には、彼にとって行き詰まりの状態を指し示す「夜」、迫害者の手中に落ちて恐れと不安の中にある「夜」、将来のヴィジョンと励ましを与えられた「夜」などに、パウロは主の幻や語りかけを経験したのです。
 今年の待降節で取り上げる象徴は、特に、マタイの福音書のイエスの誕生にまつわる箇所に登場する「14」という数字、「夢」、「星」、「光」と続きます。これらの象徴的表現を通してヨセフとマリヤは何を見たのでしょうか?このエピソードを読む私たちに何が見えてくるでしょうか? これらの象徴の一つ一つに思いを置き、私たちが神の救いのご計画の中に入れていただけたすばらしさを再発見することができるでしょうか? 
                                           (銘形「アドベントの瞑想」より引用)