2021年6月27日日曜日

2021年06月27日 第4主日礼拝 アブラハムのストレス② 失敗

招詞
 まことに、私は知っている。主は大いなる方、私たちの主はすべての神々にまさっておられる。主は望むところをことごとく行われる。                詩篇135篇5~6節

聖書箇所
創世記12章8~20節

説教
アブラハムのストレス②失敗 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/393 呪いとのろい
 あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたを呪う者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。                     創世記12章3節

 新改訳2017では、前の版に代わって「あなたを呪う者をわたしはのろう」と訳されました。実は、へブル語では、「呪う」と「のろう」は別な語彙です。「呪う」は「カーラル」です。「カーラル」は「軽んじる、卑しめる、無視する、無関心である」ことを意味します。アブラムを軽んじ、卑しめる者、無視する者に神は怒られます。アブラムを呪う(カーラル)者を、神はのろう(アーラル)というのです。神にのろわれた者は、祝福をはく奪され、アブラムを呪った結果を身にこうむるわけです。逆に、アブラムを祝福する者は、神の祝福をいただくわけで、彼の身辺では祝福する者と呪う者たちとの具体的なエピソードが興味深く展開していきます。
                          (銘形「アブラハム契約」より一部引用)

2021年6月20日日曜日

2021年06月20日 第3主日礼拝 アブラハムのストレス ①

招詞
 ハレルヤ。主】はまことにいつくしみ深い。主の御名にほめ歌を歌え。その御名は実に麗しい。
                                    詩篇135篇3節

聖書箇所
創世記11章26節~12章5節

説教
アブラハムのストレス① 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/392 立役者アブラハム
 これはテラの歴史である。テラはアブラム、ナホル、ハランを生み、ハランはロトを生んだ。
                                   創世記11章26節
 
 アブラムの父テラは、セムから9代目です。この系図が記された目的はなんでしょう。ここからは、アブラハムを中心とする親族による婚姻によって引き継がれていきます。驚くべきことに、アブラハムもイサクもヤコブもみなテラとつながっています。つまり、近親婚なのです。アブラハムの妻「サライ」はテラの娘であり、アブラムの妹です。ただし、創世記20章12節からアブラムとサライは異母兄妹であることが分かります。近親者だけで婚姻関係を結ばざるを得なかった理由があるとすれば、親戚以外の周りの人々が、夫婦関係や家族関係を破壊するような放埓(ほうらつ)な価値観で生きていたことが挙げられます。カナンのソドムの様でした。テラの系図の記録は、真の救済史が始まるための立役者となるアブラハムの存在を指向させるために、意図的に記されたもののようです。つまり、神の救いのマスタープランは、アブラハムから劇的に進んでいきます。              (銘形:「創世記」から一部引用、イラスト:FreeBibleCom) 

2021年6月13日日曜日

2021年06月13日 第2主日礼拝 約束を全うされる神

招詩
 見よ。なんというしあわせ、なんという楽しさだろう。兄弟たちが一つになって共に生きることは。それは頭の上に注がれた貴い油のようだ。             詩篇133篇1~2節

聖書箇所
エゼキエル書47章13節~48章34節

説教
約束を全うされる神 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/391 アブラハム(国々の父)
 テラは、その息子アブラムと、ハランの子で自分の孫のロトと、息子のアブラムの妻である嫁のサライとを伴い、彼らはカナンの地に行くために、カルデヤ人のウルからいっしょに出かけた。しかし、彼らはハランまで来て、そこに住みついた。            創世記11章31節

 次週から、「旧約の聖徒たちのストレス」シリーズでアブラハムから始めます。アブラムは、アブラハムと改名される前の名前です。カナンまで遠いのにハランの町に滞在しているうちにテラは死にます。アブラムとサライにとって心細い出発風景です。
地図を見てわかるように、彼と彼の祖父と父のたどった道はあのバビロン捕囚の逆ルートです。エゼキエル書を学んだ後なので、身近に感じますね。アブラハムは、放牧しながら砂漠を旅していきます。彼は、家畜の所有者で族長と呼ばれていました。彼としもべたちは皆、カルデヤの言葉(アラム語)とへブル語を使いこなしてカナンに入っていきます。何も無い、砂漠とオアシスの土地に入ったのではなく先住民カナン人が住んでいましたから、そこで遊牧生活をするには、そこの長と交渉し、人間関係の構築が必須で、そこにストレスが生まれたことでしょう。神様は、アブラハムがどのようにしてストレスを乗り越えていくのを見守り、助けてくださったのか聖書から掘り下げていきましょう。

2021年6月5日土曜日

2021年06月06日 第1主日礼拝 聖所から流れる生かす水

招詞
 主よ。私の心はおごらず、私の目は高ぶりません。まことに私は、自分のたましいを和らげ、静めました。                            詩篇131篇1a、2a節

聖書箇所
エゼキエル書47章1~12節

説教
聖所から流れる生かす水 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/390 生ける水
 この(井戸の)水を飲む者は、だれでもまた渇きます。しかし、わたしが与える水を飲む者はいつまでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。                        ヨハネ4章14節

 イエスとサマリヤの女との会話はミスマッチに聞こえます。しかし、イエスは、この井戸端の会話を霊的な命の水の真理に導きます。 要点は、①「渇くことがない」こと。 ②「人の内で泉となる」こと。 ③しかもその泉は「永遠のいのちへの水と なって湧き出る」こと ・・などです。イエスは女の真の問題を見抜きました。彼女は、5回も結婚して心の渇きから解放されたいと思いましたがかないませんでした。彼女は、イエスをメシアと信じ、生ける水をもらいました。「生ける水」、これは神のプレゼントなのです。お金では買えない高価なものを神は無償で与えました。それは、御子イエスを信じることを通して、この世のモノで渇きを癒そうとするサイクルから、彼女を解放しました。              (銘形「ヨハネの福音書の瞑想」から一部引用)