2018年3月25日日曜日

2018年03月25日 第4主日礼拝 十字架とパラダイス

招詞
キリストは、自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。               ペテロの手紙第一2章24節

聖書箇所
ルカの福音書23章32~43節

説教
十字架とパラダイス 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/230 彼らをお赦しください

       「父よ。彼らをお赦しください。」         ルカ23章34節

 イエスが十字架上で最初に口にしたのが、「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分で分からないのです。」という祈りでした。この祈りは、イエスがオリーブ山にあるゴルゴタにおいて、つまりエルサレムの全景を見渡せるところから、自分を拒絶し、自分に敵対したたすべての人々(祭司長たちと彼らによって扇動された群衆たちも含む)や、また直前までイエスをあざけった道行く人々、そして、イエスと共に十字架につけられた二人の強盗どもに対して祈られた祈りでした。
 そして、マタイ27:44とマルコ15:32では、イエスと共に十字架につけられた二人の強盗どももイエスをののしっていました。自分自身のためにではなく、自分を十字架にかけた者たちに対して、その罪を赦すようにと祈っていたのです。この状況でこんな祈りができることは尋常ではありません。しかも、この祈りはギリシア語では未完了形で記されています。つまり、一回切りの祈りではなく、繰り返しこの祈りを祈られたことを意味します。私たちも、救いを求めるまでは、繰り返しイエスの祈りの中にいた者です。この重いことばに感謝しましょう。
                         (銘形「イエスの7つの言葉」より引用)

2018年3月18日日曜日

2018年03月18日 第3主日礼拝 一致と多様性

招詞
主のしもべたちよ。主の御名をほめたたえよ。 今よりとこしえまで、主の御名はほめられよ。 日の上る所から沈む所まで、主の御名がほめたたえられるように。         詩篇113篇1~3節

聖書箇所
エペソへの手紙4章4~10節

説教
一致と多様性 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/229 詩篇に見る比喩 ③ 直喩 シミリー

 まことに、その人は【主】のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。 その人は、水路のそばに植わった木のようだ。                       詩篇 1篇2~3節

 直喩 (明喩)は、「・・・のようだ」という類似性を用いた修辞法で、詩篇では沢山用いられ、読む者の理解を助けています。
 上記、詩篇1:3「その人は、水路に植わった木のようだ。」と、それに続く「悪者は、風が吹き飛ばすもみがらのようだ」の様に表現します。
 「木ともみがら」のような名詞だけでなく、次の詩篇42篇1節なども直喩です。
「鹿が谷川の流れを慕いあえぐように、私のたましいはあなたを慕いあえぎます。」
 この場合、前半の節全体が、鹿が夢中になって谷に流れる清流に降って行き、冷たく美味しい水を求めるように、自分の魂は主、神さまを心から慕って、神のもとに行き、いのちの水である神のことばを願い求めます、という信仰の告白です。   (銘形 「詩篇の修辞的表現」より引用)

2018年3月11日日曜日

2018年03月11日 3.11祈念礼拝 愛と一致の力で

招詞
神よ。あなたが天であがめられ、あなたの栄光が全世界であがめられますように。 あなたの愛する者が助け出されるために、あなたの右の手で救ってください。      詩篇108篇5~6節

聖書箇所
エペソへの手紙4章1~4節

説教
愛と一致の力で 田口勇新牧師
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働きの報告
3.11 いわて教会ネットワーク
 『いっぽいっぽ山田』の活動紹介 小山公平宣教師

2018年3月4日日曜日

2018年03月04日 第1主日礼拝 神の召しにふさわしく

招詞
主よ。私は、国々の民の中にあって、あなたに感謝し、国民の中にあって、あなたにほめ歌を歌いましょう。 あなたの恵みは大きく、天の上にまで及び、あなたのまことは雲にまで及ぶからです。
                                  詩篇108篇3~4節

聖書箇所
エペソ人への手紙4章1~3節

説教
神の召しにふさわしく 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/228 詩篇に見る比喩  ②隠喩(いんゆ)

 【主】は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。  詩篇 23篇1節

 隠喩(いんゆ)は、「AはBである」という形式で比喩を表現する修辞法です。上記、ダビデは、「【主】は、私の羊飼い」と隠喩を使っています。特に、隠喩は、しばしば信仰告白的表現として用いられています。
* 【主】はわが巌、わがとりで、わが救い主、身を避けるわが岩、わが神。
  わが盾、わが救いの角、わがやぐら。詩篇18篇2節
* 神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助け。詩篇46篇1節
* ヤコブの神はわれらのとりでである。詩篇46篇11b節
* 神なる主は太陽です。盾です。詩篇84篇11節
 隠喩と似ているのが、「Aは、Bのようだ」となる直喩(ちょくゆ)ですが、次回に詳しくご説明します。                         (銘形 「詩篇の修辞的表」)