2015年7月26日日曜日

2015年7月26日 第4主日礼拝 あなたの敵を愛しなさい

招詞
しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。
それでこそ、天におられるあなたがたの父の子どもになれるのです。
マタイの福音書5章44~45節

聖書箇所
ルカの福音書 6章27~36節
MP3音声ファイル

説教
あなたの敵を愛しなさい 田口勇新牧師

言(こと)ローグ18/「愛する」アガパオー
信仰は、神の恵みのみわざです。神から一方的に与えられるものです。
これに対し て、愛は、御霊の実です。
イエスを信じた者が、良い業ができるように変えられていき、結果として、御霊の実を結んでいきます。

そして、パウロ は、9つの実の第一番目が愛だと書いています(ガラテヤ6:21)。
ルカの福音書6章20節の「敵を愛しなさい」の「愛する」は、アガパオー で、無条件の愛です。
無条件だから利害関係ではマイナス要因となる敵をも愛するのです。

エルサレム神殿を汚した悪役として、シリアのエピファ ネス王は、エルサレム神殿にゼウスの偶像を置き、反対した多くのユダヤ人を虐殺しました(紀元前167年)。
イエスの時代の最大の敵は、エピ ファネスの後、やはり神殿を汚したローマでした。12使徒の一人熱心党のシモンは、ローマを憎み、マタイのようなローマに組する税金取りも憎 みました。
しかし、イエスは、あなたの敵であるローマ人も愛しなさいと言われたのです。

イエスは、実際、ローマの百人隊長のしもべを癒すエピソードで、隊長の信仰を褒め、好意を示しました(ルカ7章)。
極めつけは、十字架の上から、ご自身を死刑にした敵のローマ人、ユダヤ人たちの ために祈ります。
「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」(23:34)
このように、イエスは、心で愛するだけでなく、行為で敵を愛することを教えています。

殉教者ステパノは、自分に石を投げつける敵のためにイエスと同じように祈った人です(使徒7:60)。
神の愛に押し出された者が、神の愛を反映してできる奇跡の行動でした。


2015年7月19日日曜日

2015年7月19日 第3主日礼拝 幸いな人と哀れな人

招詞
ハレルヤ。私のたましいよ。主をほめたたえよ。私は生きているかぎり、主をほめたたえよう。いのちのあるかぎり、私の神に、ほめ歌を歌おう。
詩篇136篇1~2節

聖書箇所
ルカの福音書 6章20~26節

説教
幸いな人と哀れな人 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ17/幸いと哀れ
「幸い」はマカリオスです。神に祝福されているものという意味です。「哀れ」と訳されているウーアイは、名詞ではなく感嘆詞で、「ああ哀れな」というイエスの嘆きのため息で、新約聖書中46回も使われています。
「ああ、忌まわしいことだ、悲惨だ、呪われる、気の毒だ」という意味合いです。主を信じないで心を閉ざす者たちへのため息です。財を蓄える、食べる、笑う、褒められることは、この世界では良いことで、そのために学校へ行くのだという人が多いでしょう。しかし、その前に、「ゆるし」と「いのち」をイエス様からいただいているかが問題です。この世を去る時に、死の向こうに持っていけるものは、「ゆるし」と「いのち」だけです。ルカ6章20節以下の平地の説教では、マカリオスの中身は、貧しいもの、飢えている者、イエスの名のために迫害されている者たちです。すべて、イエス様を信じた時にどんでん返しになって、幸いになるのです。この幸いは、天国に持っていけるものです。イエスに「あーあ」と失望のため息をつかれないようにしましょう。


2015年7月12日日曜日

2015年7月12日 第2主日礼拝 イエスが選んだ12人 

招詞
そこでイエスは十二弟子を任命された。それは、彼らを身近に置き、また彼らを遣わして福音を宣べさせ、 悪霊を追 い出す権威を持たせるためであった。
マルコの福音書3章14~15節

聖書箇所
ルカの福音書 6章12~19節

説教
イエスが選んだ12人 田口勇新牧師
MP3音声ファイル

言(こと)ローグ16/使徒(アポストロス)
イエスさまの世界宣教のミニストリーは、教会と「使徒」と呼ばれる12人の弟子たちに委ねられていきます。

ルカの福音書6章ではじめて登場するこの「使徒」ということばは、他の福音書では弟子(マセーテース)と言われています。その場合は、文脈から弟子の中の弟子(高弟子)の意味合いがあります。

イエスさまは、彼らに神の国の福音を宣べ伝える中で、病気を治したり、悪霊を追い出す権威を授けます。そして、教会の誕生日と言われるペンテコステ以来、ペテロやヤコブなど教会のリーダーとして、牧会と宣教(聖書教育と伝道)の働きが主流になります。
パウロだけが、イエスさまの十字架と復活のあとて、ダマスコへの途上で任命されますが、エルサレム教会の権威に従います。使徒たちは、ヨハネ以外すべて殉教していきます。

イエスさまの選ばれた使徒は1代限りで、あとは教会が監督(牧師)や宣教師を任命して世界宣教が進展していきます。従って、カトリック教会が主張する ような、使徒権威が後々まで継承されることはありません。

500年前に、マルチン・ルターが宗教改革の中で発表したローマ教会への論文のなかでも、聖書に従うかぎり、神と人との仲介者は必要がなく、ローマ教皇という立場はありえないし、使徒たちやマリヤ像などにあやかる聖人(像や肖像 画)崇拝は無意味である、と堂々と語ります。

2015年7月5日日曜日

2015年7月5日 伝道音楽礼拝 一寸先は光 中野雄一郎牧師

生きる力を求めて! ~ハワイからユーモアと感動を

聖書箇所
ヨハネの手紙 第一 4章16節
ヨハネの福音書 3章16節

講演
一寸先は光 中野雄一郎牧師