2016年1月31日日曜日

2016年01月31日 第5主日礼拝 イエスの変貌

招詞
【主】の栄光が、とこしえにありますように。【主】がそのみわざを喜ばれますように。 私は生きているかぎり、【主】に歌い、いのちのあるかぎり、私の神にほめ歌を歌いましょう。             詩篇104篇31,33                    

聖書箇所
ルカの福音書 9章28~36節

説教
イエスの変貌 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ44/エクソダス(さいご最期の時)
「栄光のうちに現れて、イエスがエルサレムで遂げようとしておられるご最期についていっしょに話していたのである。」(ルカ9:31) この「ご最期」というギリシャ語は、エクソダスです。「出で行くこと、この世を去る」を意味します。新約聖書では3回使用さ れています(ルカ9:31、ヘブル11:22、ペテロ第二1:15)。旧約の「出エジプト」のことも英語で「エクソダス」Exodus と言います。「出エジプト記」の物語は、エジプトに移り住んだヤコブの子孫たちが神の民となるべく、神が彼らをエジ
プトの奴隷の境遇から救い出して自由の身としてくださった出来事ですが、その目的は彼らを神の民とするためでした。一方、新約時代における新しい「エクソダス」、つまり「出発」も、同じくイエスを王とする神の民の新しい出発です。当時、神の民であるイスラエルは、完全に霊的機能不全に陥っていました。そこにイエスさまがおいでになりました。このために、イエスは逃れることの出来ないこととして、「多くの苦しみを受け、捨てられ、殺されなければならない」必然があるのです。     (銘形「ルカの福音書を味わう」より引用)

2016年1月24日日曜日

2016年01月24日 第4主日礼拝 天の御国に入るために

招詞
主よ。あなたの御名は全地にわたり、なんと力強いことでしょう。あなたのご威光は天でたたえられています。 あなたは幼子と乳飲み子たちの口によって、力を打ち建てられました。       詩篇 8篇 1~2節                       

聖書箇所
ルカ の福音書 9章22~27節

説教
天の御国に入るために 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ43/天の御国の奥義 (ミステリオン)
「この恵みを、神は私たちの上にあふれさせ、あらゆる知恵と思慮深さをもって、みこころの奥義を私たちに知らせてくださいました。」エペソ1:8~9 。ここで、「奥義」と訳された原語は「ミステリオン」で、神の秘められたご計画を意味します。これは「天の御国の奥義」でイエスはいろいろな例えをもって弟子たちや人々に語られました。神の秘密は自ら求めることがなければ秘密のままですが、「求める(求め続ける)」ならば、だれにでも「与えられ、見出し、開かれる」のです。使徒パウロは神の秘密(奥義)を求めたことで知らされたのです。パウロのヘブル名は「サウル」 ですが、「サウル」という名前は「尋ね求める」という意味です。そのパウロが「奥義をぜひ知ってほしい」と声を大にしているのです。私たちはイエスさまを信じた時から、天の御国の奥義(ミステ オン)の不思議の世界に足を踏み入れています。「知らされている」と書いてあるように、イエスさまや聖書記者たちによってすでに明らかにされたものもあれば、まだ開かれていない不思議もあります。そして、森や山にではなく、別の宗教や思想の中にではなく、また心理学の研究の中にでもなく、聖書のみ言葉のなかにこの奥義が隠されています。パウロのように、この奥義を見つけてみ言葉の深みを経験していきましょう。
(銘形  エペソ書の瞑想より一部転載)   

2016年1月17日日曜日

2016年01月17日 第3主日礼拝 イエスはどなたか

招詞
あなたがたは、世界の光です。あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。          マタイの福音書5章14、16節
                       
聖書箇所
ルカ の福音書 9章18~21節

説教
イエスはどなたか 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ42/平和(シャローム)を作り出すこと
平和を作りだすことと平和を語ることは違います。今日、平和を作ることに対することとして、テロ、暴力、犯罪、戦争、貧困が最も重要な問題となっています。2000年前の世界でも、平和を作る努力に対し、暴力、犯罪、戦争、病気、貧困が人々を苦しめていました。イエスは、「 彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。」(イザヤ53:3)と預言されていましたが、このような現実の問題にルカの福音書と使徒の働きが焦点をあてているようにも見えますが、そこには武力を使った復讐や報復の原理とは異なる平和作りが解き明かされています。天使たちによる賛歌の「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」(2章14節) は、クリスチャンたちが、いつも唱えていたい祈りであり、出発点です。平和を作り出すことは、教会の宣教の重要なメッセージです。使徒の働き10章36節 にも「神がイエス・キリストによって平和を告げ知らせ」と記されています。イエスに従う者の心には復讐が入り込む余地はありません。それは、イエスが自分を十字架につけた者のために祈った祈り(23章 34節)の記事、また、殉教で死んでいくステパノの祈り(使徒7章60節)にも反映しています。平和(シャローム)を作る者たちは、まず自分の心にある妬み心や復讐心を神さまから取り除いていただければなりません。ご聖霊がなしてくださる業ですが、私たちも心の奥底の扉を開けることが必要です。
                                      (銘形 ルカの福音書の神学から一部引用)

2016年1月10日日曜日

2016年01月10日 第2主日礼拝 退修と奉仕

招詞
知れ。主こそ神。主が、私たちを造られた。私たちは主のもの、主の民、その牧場の羊である。
                                                詩篇100篇3節                       
聖書箇所
ルカの福音書 9章7~17節

説教
退修と奉仕 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ41/退修会(リトリート)と修養会
退修会と修養会はどう違うのでしょうか。ある説明には、「退修会とは、日常業務からしばらく退いて、祈り、学びあう修養会のことです。」とありました。本当にそうなら、退修会と呼ぶよりも、普通に修養会とか教会研修会のほうがわかり易いかな、と思います。退修(リトリート)は、もともとは軍隊用語で、日常の任務を離れ、研修のような知的な学習からも離れ、自然に囲まれたところで、スポーツを含めて心をリラックスさせる時、と定義されるようです。米軍などでは、強制的にリトリートの場に送られるようです。もちろん、個人の休暇とは別に取ります。
 教会の退修会の場合、「日常の義務からしばらく退いて、祈り、聖書を読み、神さまとみことばを瞑想し、また分かち合う時」と言えると思います。 せっかく2~3日もとって集まるのだから、◎◎先生をお呼びして学びましょう、となりやすいのは日本人クリスチャンだけではありません。現代病といわれる症状は、何かして結果を出す、蓄積する、と考えることでょう。生産性(プロダクティビティ)がいつでも優先にされます。つまり行動 (DO ドゥ)と結果第一主義です。
 イエスさまの退修は、奉仕を離れて、静かなところで、神と交わる(祈る)ことでした。行動に対して、神の子「である」 BE(ビー)であることを楽しまれました。クリスチャンもまた、聖書を読み、神の子となった自分を見つめ、神さまを考え(瞑想)る者です。
 DO(ドゥ)が活動する動詞と呼ばれるのに対し、「である」 は、状態動詞とも呼ばれます。私たちは、クリスチャンとして奉仕や何かする前に、神の子となっている事実(状態)を意識的に感謝できる環境に自分を置くことが重要です。そうでないと、行動ばかりで、奉仕疲れが出て、燃え尽きてしまうこともあります。人を批判的に見てしまうのも、行動型の人の弱点です。ルカの福音書10:41~42に、マルタとマリヤ姉妹のことが記されています。マリヤは、怠け者ではなかったでしょうが、周りが弟子たちでガヤガヤしていても、主の前に座り、静まって主のみことばに傾聴できる「特技」をもっていました。まるで姉のマルタとともに接待するのを忘れたかのようでした。「傾聴力」です。私たちも、傾聴力を磨き、日常生活の中で、イエスさまのことば、聖書のことばに傾聴し、瞑想できるスポットを見つける工夫が必要かと思います。「どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。」(同42節)

2016年1月3日日曜日

2016年01月03日 第1主日礼拝 イエスの力と権威が

招詞
キリストのうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています。そしてあなたがたは、キリストにあって、満ち満ちているのです。キリストはすべての支配と権威のかしらです。
                                           コロサイ人への手紙 2章9~10節
                       
聖書箇所
ルカの福音書 9章1~6節

説教
イエスの力と権威が 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ40/平和(シャローム)
昨年、「武力で敵を負かして平和を」というのが、対テロ戦争の名目になりました。しかし、武力による平和は、長続きしないことは誰でも知っています。 2000年前、天使の集団が「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、 平和が、御心にかなう人々にあるように。」(ルカ2章14節) と賛美した中にも、「平和」ということばがあります。
 現在も、神との平和を伝えることは、教会の宣教の重要なメッセージです。イエスの与える平和は、ローマ帝国の軍事力によって達成した「平和」とは無関係です。イエスの場合、悪に対する非暴力によって、愛によって作り出される平和でした。それこそが、今日でも、この世における教会の果たすべき役割なのです。
 そのためには、私たちの様々な領域における障壁(バリア)が取り払われることが必要でした。イエスの誕生の時に、「地の人」と軽蔑されていた羊飼いたちが最初の礼拝者でした。これは、階級的バリアへの挑戦でした。また、彼らの活躍 (ルカ2:17~20)は、富める人と貧しい人の障がいである、経済的バリアも取り去られました。
 イエスは、サマリヤの女の回心を助けられ(ヨハネ4章)、人種的・宗教的なバリアを除かれました。次に、エルサレムとガリラヤを行き来されながら、使徒たちを育成訓練し、エルサレム教会がスタートするための道備え(インフラ整備)をなさり、地域的バリアを除くことに成功されました。
 このように、宣教の障がいとなる4つのバリアを取り払って下さった方が、救い主イエスでもあられました。                                         (銘形 「ルカの福音書の神学」から引用)

2016年01月01日 元旦礼拝 主があなたを守られる

招詞
心を尽くして【主】に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。 あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道を まっすぐにされる。                             箴言3章5~6節
                      
聖書箇所
詩篇121編

説教
主があなたを守られる 田口勇新牧師
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