2018年11月4日日曜日

2018年11月04日 第1主日礼拝 主にあって強く①

招詞
私たちの神、主のご慈愛が私たちの上にありますように。そして、私たちの手のわざを確かなものにしてください。                            詩篇90篇17節

聖書箇所
エペソ人への手紙6章10節

説教
主にあって強く① 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/259 弱さと謙遜 ① 

 「私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱い時にこそ、私は強いからです。」          コリント人への手紙12:9b~10

 イエスさまの降誕を感謝し、お祝いする降誕節(12/2~23)が近づきました。イエスさまが見せてくださった事として、弱さと謙遜について考えましょう。
 私たちと神との親しいかかわりを破壊してしまうのは高ぶりです。その高ぶりから私たちを守るものは、謙遜です。神は、私たちを高ぶりの罪から守っていてくださっていますが、これは祝福であり憐みです。
 パウロは、「自分の肉体の一つのとげ」を通して謙遜になれた、と述べています。上記のパウロの言葉は、神さまに「三度の嘆願」をしても癒されなかった後の告白です。ペテロの場合には、正統派ユダヤ人意識が謙遜を妨げました。食べものに関して、イエスさまとの「三度のやりとり」を通らなければなりませんでした。ペテロの場合のこのやりとりは、実は「異邦人を受け入れなさい」、という神の導きだったのです。そのためにペテロは不思議な経験をさせられます。このために、使徒の働き10~11章が割かれています。
 私たちに対する「神からの謙遜への招き」にも神さまとの関わりのストーリーがあるようです。次回、詳しく見ていきましょう。           (銘形:「謙遜への招き」を一部引用)

2018年10月28日日曜日

2018年10月28日 第4主日礼拝 羊飼いが与える慰め

招詞
 わたしは良い牧者です。わたしはわたしのものを知っており、わたしのものは、わたしを知っています。                           ヨハネの福音書10章14節

聖書箇所
詩篇23編

説教
羊飼いが与える慰め 田口孝子師
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言(こと)ローグ/258 「むちと杖」
 
 「たとえ、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたがともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。」       詩篇23篇4節

  ここで、「むち」あたるヘブル語は「セーヴェト」で、じつは「むち、杖、しもと(細い枝)、棒、こん棒、さお」のどれにも訳すことができます。英語では多くの訳がrod(枝、棒)と訳していますし、日本語でも「しもと、棒」と訳しているものもあります。また、「杖」にあたるヘブル語は「ミシュエネット」で、こちらはほとんど「杖(staff)」と訳されていて、羊飼いが羊を導いたり、小羊を母親に寄せたり、羊飼い自身が寄りかかる杖です。
さて、羊飼いは何をするために、「むち」と訳されている、このセーヴェトなるものをもっているのでしょうか。フィリップ・ケラー著「羊飼いが見た詩編23篇」(1979年初版、2017年再版)がとても興味深いことを書いています。ケラーさんが育った西アフリカで見た羊飼いたちは、こん棒をもっていて、羊が毒草のあるような行ってはいけない方向に行き始めたら、このこん棒をそのちょうど先に投げて、行くのを防ぐのだそうです。また、野獣が襲ってきたら、これを投げて羊の群れを守るのです。パレスチナでも似ているそうです。これを読んだ瞬間、私は、羊飼いはこれを羊に対して使うのではなく、羊を守るために使うのだとわかりました。アフリカで、羊飼いたちの棒投げコンテストがあるのだそうで、彼らは非常に正確に遠くのある一点をめがけて投げ競うそうです。その正確さはよい羊飼いの高い技術です。羊飼いが羊の群れを飼っている草原で、ケラーさんはこん棒が空を切る音を何回も聞いたとありました。そのほか、羊飼いは棒で羊の数を数えたり、長い羊毛をかき分けて病気や傷を探すのに使うのです。主なる神は、私たち群れの一人一人から一時も目を離さず、見守っていてくださり、危険な方向に向かった時、また危険が迫ってくる時、ご自身のみ力をもって、みことばをもって、ご聖霊によって守ってくださる最高の羊飼いです。

2018年10月21日日曜日

2018年10月21日 宗教改革記念礼拝 新しい歌を主に歌おう

招詞
私は、【主】の恵みを、とこしえに歌います。あなたの真実を代々限りなく私の口で知らせます。私はこう言います。「御恵みは、とこしえに建てられ、あなたは、その真実を天に堅く立てられる」と。                               詩篇89篇1~2節

聖書箇所
詩篇33篇1~22節

説教
新しい歌を主に歌おう 田口勇新牧師
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2018年10月14日日曜日

2018年10月14日 第2主日礼拝 新しい人と友情

招詞
 主よ。あなたの道を私に教えてください。私はあなたの真理のうちを歩みます。私の心を一つにしてください。御名を恐れるように。私は心を尽くしてあなたに感謝し、とこしえまでも、あなたの御名をあがめましょう。                    詩篇86篇11~12節

聖書箇所
エペソ人への手紙6章5~9節

説教
新しい人と友情 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/257  宗教改革の精神の具体化① ドイツコラール(ドイツ語会衆讃美歌)

  主は、私の口に、新しい歌、われらの神への賛美を授けられた。     詩篇40篇3節

 今年は、マルチン・ルターの宗教改革から501年目です。当時の新生ルーテル教会では、カトリック教会時代と比べ、音楽と説教が変わりました。ルターは宗教改革の精神を具体化するため教会音楽の庶民化をはかり、全信徒参加型礼拝を可能にする会衆賛美(コラール)の基礎をつくりました。つまり、それ以前のカトリック教会時代には、賛美歌は訓練された聖歌隊がドイツ人の母語であるドイツ語ではなく、ローマ教会の公用語であるラテン語だけで賛美されていました。
 さて、ルターがコラール(全会衆の賛美歌)を作る上で重きをおいたのは、わかりやすさでした。ドイツ語聖書への翻訳のときと同じく、歌詞が誰にもわかるドイツ語であったことと、メロディーが親しみやすいことでした。こうして、1523~24年の両年にかけて大小4種類の重要なドイツ・コラール集(会衆賛美歌集)が出版されました。この歌集では重要な二つの先例を作りましたが一つは異なった歌詞(テキスト)に、同じメロディーを当てる習慣を作ったことです。これが、私たちの使っている賛美歌や聖歌の形式です。美しい賛美歌を沢山歌えることは感謝ですね。神様が、ルターを用いて、先見の目を働かせてくださったことを感謝し、新しい歌(信仰の歌)を歌い続けましょう。
                     (銘形「マルチン・ルターとコラール」から引用)

2018年10月7日日曜日

2018年10月07日 第1主日礼拝 立場に従って 立場にかかわらず

招詞
【主】は恵みと栄光を授け、正しく歩く者たちに、良いものを拒まれません。万軍の【主】よ。なんと幸いなことでしょう。あなたに信頼するその人は。       詩篇84篇11b~12節

聖書箇所
レビ記4章3節、13節、22節
   5章1節、7節、11節

説教
立場に従って 立場にかかわらず 老松望KGK主事
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言(こと)ローグ/256  信仰者の嘆き 

  母の胎内にいた時から、あなたは私の神です。どうか、遠く離れないでください。苦しみが近づいており、助ける者がいないのです。              詩篇22篇10b~11節

 詩篇には、苦悩する心の叫びや怒り、悲嘆や失望が表わされています。決してきれいごとが綴られているわけではありません。人間の醜さもそのまま綴られているのです。だからこそ、詩篇がいつも身近に感じられるのかもしれません。
 現代は心の病、特に、「うつ」になる人が増えています。「うつ」は決してはずかしい病ではありません。これは人間であるゆえの病です。たとえば、人との結びつきが、なんらかの理由によって絶たれてしまうなら、心は不安と孤独と恐れでいっぱいになります。人間は関係性の中で生きる存在であるゆえに、その関係性に傷つくと心が病むのです。生きていれば、必ず、心に傷を受けます。それを避けて通ることはできません。心が病めば、それは身体にも表われます。
 詩篇の世界にはそうした現実に悩む者たちの叫びがありのままに記されています。しかし、その苦しみを言葉に出すことによって、カタルシス、つまり、心のいやしがなされるのです。この癒しには時間がかかりますが、22篇の後半には、その過程も歌われています。22篇を読み返してみてください。                  (銘形「詩編瞑想の手引き」から一部引用)

2018年9月30日日曜日

2018年09月30日 第5主日礼拝 救いの喜び

招詞
万軍の【主】。あなたのお住まいはなんと、慕わしいことでしょう。私のたましいは、【主】の大庭を恋い慕って絶え入るばかりです。私の心も、身も、生ける神に喜びの歌を歌います。
                                   詩篇84篇1~2節

聖書箇所
ルカの福音書15章1~7節

説教
救いの喜び ウォン・ジョンア宣教師
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言(こと)ローグ/255  詩篇の中の信仰告白② 嘆きの詩篇

 わが神、わが神。どうして、私をお見捨てになったのですか。遠く離れて私をお救いにならないのですか。私のうめきのことばにも。                   詩篇22篇1節
 
 先週、信仰告白、つまり、神は自分にとってどのようなお方であるかということを口で告白することは、私たちが思っている以上に大きな影響を与える、と書きました。上記22篇は嘆きの詩篇と呼ばれます。一見、思い詩(うた)ですが、嘆きを伴った信仰の告白がしばしば勝利をもたらす転換点となっています。55篇から125篇が嘆きの詩篇と分類する学者もいますが、その場合、150篇ある詩の3分の1が嘆きの詩です。しかし、嘆きの告白の後に、希望を伴う賛美があり、それが神の臨在をより強いものとしています。私たちが、毎週教会で歌う賛美の中にもそうした告白が歌わているのではないでしょうか。神のみこころは、私たちがさまざまな問題や心配事に取り囲まれたとしても、神が与えてくださる安息(シャローム)を経験することです。嘆きとともに、シャロームに達する告白を歌わさせていただきましょう。
                        (銘形「詩編瞑想の手引き」から一部引用)

2018年9月23日日曜日

2018年09月23日 第4主日礼拝 10のことば

招詞
われらの力であられる神に喜び歌え。ヤコブの神に喜び叫べ。声高らかにほめ歌を歌え。タンバリンを打ち鳴らせ。六弦の琴に合わせて、良い音の立琴をかき鳴らせ。    詩篇81篇1~2節

聖書箇所
出エジプト記20章1~17節

説教
10のことば 菅孝雄兄

言(こと)ローグ/254  詩篇の中の信仰告白①

 神よ、私をあわれんでください。私のたましいはあなたに身を避けていますから。まことに、滅びが過ぎ去るまで、私は御翼の陰に身を避けます。 私はいと高き方、神に呼ばわります。私のために、すべてを成し遂げてくださる神に。 神は、天からの送りで、私を救われます。
                                   詩篇57篇1~3節
詩篇に共通する要素があるとすれば、それは「信仰告白」です。つまり、神が自分にとってどのようなお方であるのかという告白です。ちまたで言う「私はあなたが好きです」という一方的な感情の告白ではありません。詩篇には、神は「・・・の方」という表現形式や、「神は、私の・・・・」という表現形式をとった告白が数多くあります。それらはみな、実際に神をそのような方として経験したからです。
 上記、詩篇57篇は、ダビデが荒れ野の洞窟の中で作った歌です。サウル王が忠実な軍司令官ダビデを、嫉妬心から憎み、謀反人という冤罪をでっちあげて、殺そうとした背景があります。理不尽な仕打ちにダビデは意気消沈しながらも神、主を信じて祈っています。ここには、信仰告白がありますね。
私たちは自分の語ることばによって支配されます。失敗について語れば失敗に束縛され、心配を口にするなら心配に心が捕らわれてしまいます。つぶやきを口にしている者が心に平安を与えられることはありません。口で語ること、口で告白することは、私たちの生き方に大きな影響を与えているのです。
 したがって、詩篇を瞑想するとき、その詩篇の作者が置かれた状況の中で神をどのように告白しているかに注目することはとても重要なことです。(銘形「詩編瞑想の手引き」よろり一部引用)



2018年9月16日日曜日

2018年09月16日 第3主日礼拝 ルツとボアズ ~信仰のデュエット

招詞
神よ。あなたの道は聖です。神のように大いなる神が、ほかにありましょうか。あなたは奇しいわざを行われる神、国々の民の中に御力を現される方です。       詩篇77篇13~14節

聖書箇所
ルツ記1章16~17節

説教
ルツとボアズ~信仰のデュエット 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/253  カタルシス③ 神の前で泣く 

  私のたましいは悲しみのために涙を流しています。
          みことばのとおりに私を堅くささえてください。   詩篇119篇28節

「人前で泣くのはみっともありません」とか「男の子はめったなことで泣くものではありません」と言われて育った子は、泣き虫は、悪い子、弱い子、意気地なしというイメージを持っています。しかし、泣くこと、涙を流すことは決して悪いことでも、弱いことでも、意気地のないことでもありません。
 それは人間の素直な感情です。感情こそ、その人が最もいいたいこと、伝えたいこと、本心なのです。そしてそのような涙を心底受け止めてくれる存在を私たちは求めているのです。しかし、自分の流す涙を受けとめてくれる人がいつもいるとは限りません。孤独の中で私たちが流す涙のすべてを見ていてくださる方がおられます。その方こそ神です。そのことに気づかされるとき、私たちの心はいやされ、勇気が湧いてくるのです。ダビデや詩篇の作者は、そのことに気が付いていました。詩篇はそんな勇気を私たちに今日も与えようとしてくれています。神の前で泣き、涙を流して信仰の力を取り戻すためのカタルシス、恥ずかしいことではありません。
                                        (銘形「詩編瞑想の手引き」よろり一部引用)

2018年9月9日日曜日

2018年09月09日 第2主日礼拝 新しい人の親子関係②

招詞
私たちは、あなたに感謝します。神よ。私たちは感謝します。御名は、近くにあり、人々は、あなたの奇しいわざを語り告げます。                      詩篇75篇1節  

聖書箇所
エペソ人への手紙6章1~4節

説教
新しい人の親子関係② 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/252  いやし(カタルシス)の涙 ② 

 私の心には、一日中、悲しみがあります。いつまで敵が私の上に、勝ちおごるのでしょう。 私に目を注ぎ、私に答えてください。私の神、【主】よ。私の目を輝かせてください。                                  詩篇13篇 2bー3a節 
 
 カタルシス(いやし)という言葉は、もともと体内に溜まった汚物を対外に排出して体内を浄化するという意味のギリシャ語です。これを精神的な意味に適用したのはアリストテレスが初めてだと言われます。 
 詩篇の世界では、自分の心にある鬱積(うっせき)した感情を神に訴えることによって、あるいは、自分の魂に語りかけることによって、神から与えられるカタルシス(いやし)を経験しています。特に「嘆きの詩篇」といわれるものはそうです。そしてそれを記すことで、同じ悲しみの境遇にある者たちに共感を与えているのです。詩篇が、時代を越えて、多くの人々に読まれ、多くの人々から尊ばれてきたのも、そうした詩篇のもつカタルシス効果のゆえだと信じます。詩篇など聖書に見られるこのカタルシスは単なる気晴らしや楽観的な思考、あるいはパフォーマンス的な行為によっては決して得られないものでしょう。 それは、神の霊が詩篇作家の信仰に働いて書かれたものだからです。
 詩篇をじっくりお読みになることで、ダビデや作者の涙と信仰に共感する瞑想の時をお持ちください。                    (銘形「詩篇の瞑想の手引き」より一部引用)

2018年9月2日日曜日

2018年09月02日 第1主日礼拝 新しい人の親子関係①

招詞
私にとっては、神の近くにいることが、しあわせなのです。私は、神なる主を私の避け所とし、あなたのすべてのみわざを語り告げましょう。                詩篇73篇28節

聖書箇所
エペソ人への手紙6章1~4節

説教
新しい人の親子関係① 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/251 いやし(カタルシス)の涙①

 私は私の嘆きで疲れ果て、私の涙で、夜ごとに私の寝床を漂わせ、私のふしどを押し流します。                                   詩56篇6節

 人はどうして涙を流すのか。嬉し涙、感動の涙があれば、悲しみの涙、寂しさの涙、失意の涙、悔し涙もあります。人が流す一粒の涙の意味は実に深いものがあります。旧約聖書には「涙」ということばが39回使われていますが、そのうちの12回が詩篇の中にあります。詩篇の涙は、上記56篇6節に代表されるように、ほとんどが嘆きの涙、悲しみの涙です。しかしその涙が涙で終わりません。
「夕暮れには涙が宿っても、朝明けには喜びの叫びがある。」       (詩篇30篇5節)
「涙の谷を過ぎるときも、そこを泉のわく所」              (詩篇84篇6節)
となるのです。
 どうして、涙が悲しみだけで終わらないで、喜びの叫びになったり、おかれている状況を泉のわく所とすることができるのでしょう。作者の秘訣は何でしょうか。読者がその秘訣をさぐることこそ詩篇瞑想の醍醐味です。             (銘形「詩篇の瞑想の手引き」より引用)

2018年8月26日日曜日

2018年08月26日 第4主日礼拝 キリストと教会

招詞
ほむべきかな。神、【主】、イスラエルの神。ただ、主ひとり、奇しいわざを行う。 とこしえに、ほむべきかな。その栄光の御名。その栄光は地に満ちわたれ。     詩篇72篇18~19節

聖書箇所
エペソ人への手紙5章21~33節

説教
キリストと教会 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/250 福祉

 神は神の会衆の中に立つ。弱い者とみなしごとのためにさばき、
                 悩む者と乏しい者の権利を認めよ。   詩篇82篇1,3節
 
 モーセ五書の申命記においては、今日においても驚くような福祉社会の理念が神によって基礎づけられていますが、詩篇の中にも福祉の歌は沢山あり、上記82篇もその一つです。ラルシュ共同体の創始者であるジャン・バニエという人は、弱さ、低さの価値を現代社会において見出そうとした人で、ラルシュは箱舟の意味です。

 ラルシュ・コミュニティの使命は三つあります。
①知的障害者に彼ら自身が持つ特別な人間性を回復させるため、家庭的で暖かい環境としてのホームを作ること
②すべての人間のもつ特別な価値を発見し、明らかにすること、
③ラルシュ(箱舟)が社会の希望のしるしとなり、社会を変えていくこと。

「それどころか、からだの中で比較的に弱いと見られる器官が、かえってなくてはならないものなのです。・・神は、劣ったところをことさらに尊んで、からだをこのように調和させてくださったのです。それはからだの中に分裂がなく、各部分が互いにいたわり合うためです。」
                        (コリント第一12章22、24~25節)
 
福祉の心は神のみこころを行う心です。    (銘形 「詩篇の瞑想の手引き」より一部引用)

2018年8月19日日曜日

2018年08月19日 第3主日礼拝 新しい人と従う人

招詞
私があなたにほめ歌を歌うとき、私のくちびるは、高らかに歌います。また、あなたが贖い出された私のたましいも。                           詩篇71篇23節

聖書箇所
エペソ人への手紙5章21節

説教
新しい人と従う人 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/249  神の視座

 私たちの主、【主】よ。あなたの御名は全地にわたり、なんと力強いことでしょう。あなたのご威光は天でたたえられています。
 あなたの指のわざである天を見、あなたが整えられた月や星を見ますのに、人とは、何者なのでしょう。あなたがこれを心に留められるとは。             詩篇8篇1、3~4節
 
 神は永遠であり、すべての世界は神を出発点としています。「すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです。」(ローマ11章36節)と言ったパウロは壮大な神の救いの歴史的視座を神から与えられた一人だと思います。そして、その視座は、上記ダビデの賛歌に見られるように、すでに詩篇の作者たちにも与えられていたということが驚きです。視座の広さ、その空間と時間のスケールの大きさにふれること、また、そうした視座をもってすべてを見る眼が養われること、これこそ詩篇の瞑想の醍醐味のひとつではないかと思います。
 ヒマラヤの山々を何度も登った友人が、山の上から眺めた時、なんと人間が小さなことにこだわり、争ったり、悩んだりしていることか、と言っていました。狭い、限られた空間と時間から解放されて、神の視座から考えるなら、ものごとがかなり変わって見えるようになるのです。詩篇は、神の大庭のような所です。そこは、私たちの心を日常から開放してくれるいこいの空間です。今日、詩篇の扉を開いてみましょう。         (銘形 「詩篇瞑想の手引き」より引用)

2018年8月12日日曜日

2018年08月12日 第2主日礼拝 新しい人と聖霊②

招詞
私は神の御名を歌をもってほめたたえ、神を感謝をもってあがめます。心の貧しい人たちは、見て、喜べ。神を尋ね求める者たちよ。あなたがたの心を生かせ。   詩篇69篇30、32節

聖書箇所
エペソ人への手紙5章18~20節

説教
新しい人と聖霊② 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/248 イエスの祈りと詩篇

    わが神、わが神。どうして、私をお見捨てになったのですか。遠く離れて私をお救いにならないのですか。私のうめきのことばにも。              詩篇22:1

 イエスさまの時代の聖書は旧約聖書です。それは、羊の皮に書かれており、ラビたちが手書きで書き写したもので、当時は貴重で高価なものでした。ですから、会堂(シナゴグ)で読まれる聖書の朗読に人々は真剣に耳を傾けたのです。イエスさまも安息日の礼拝で朗読される旧約のモーセ五書(トーラー)をよく聞いておられましたし、同じく、詩篇も愛聴していました。そんな訳で、イエスさまは、詩篇の心とことばで御父と祈り、親しい交わりをもっていたと思います。公生涯に入られてからも、毎朝、寂しいところで祈っていられましたが、詩篇のことばが祈りのことばでもあったと考えられます。というのも、イエスさまが対話や話の中に詩篇をよく引用されているからです。上記22篇1節はメシア詩篇とも呼ばれているカ所です。

 イエスが御父とどんな交わりをしたのか、その内実を知りたいと願っている者にとって、詩篇の作者(ここではダビデ)の心とイエスの心が重なっていることに気づきます。そうすると、詩篇の瞑想はさらに豊かになり、奥の深いものとなってゆくのを感じられると思います。イエス・キリストの生涯のおおよその流れを、学んでみてはいかがでしょう。詩篇の味わいはより豊かなものになります。                      (銘形 「詩篇の瞑想」より一部引用)

2018年8月5日日曜日

2018年08月05日 第1主日礼拝 神と歩いたエノク

招詞
ほむべきかな。日々、私たちのために、重荷をになわれる主。私たちの救いであられる神。神は私たちにとって救いの神。
                                 詩篇68編19~20節

聖書箇所
創世記5章18節~24節

説教
神と歩いたエノク 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/247 ふるいにかける 

 私の神、主よ。もし私がこのことをしたのなら、もし私の手に不正があるのなら、もし私が親しい友に悪い仕打ちをしたのなら、また、私に敵対する者から、ゆえなく奪ったのなら。。。
                                     詩篇7章3~4
 
 マタイ13章にイエスの語られた「種蒔きのたとえ話」があります。道ばたに蒔かれた種、岩地に落ちた種、いばらの中に落ちた種、そして良い地に落ちた種。種は神のことばです。私たちは、良い地に落ちた種が多くの実を結んだことを知っています。しかし、自分自身が決して良い地ではなく、道端や岩地やいばらの地であることを素直に認める人は多くはないようです。
 瞑想は、神を知り、神を深く味わうことですが、同時に、ダビデのように神の「ふるい」にかけられて信と不信の狭間で揺れ動く自分の心を鋭く見つめる勇気も必要です。
 ふるいにかけられる中で、自分自身の内にある心の問題を直視することは、辛いことですが、ご聖霊の声なき声に聴き従いましょう。やがて多くの実を結ぶようになると信じます。
                           (銘形「詩篇の瞑想」より一部引用)

2018年7月29日日曜日

2018年07月29日 第5主日礼拝 新しい人と聖霊①

招詞
正しい者たちは喜び、神の御前で、こおどりせよ。喜びをもって楽しめ。神に向かって歌い、御名をほめ歌え。雲に乗って来られる方のために道を備えよ。         詩篇68篇3~4節

聖書箇所
エペソ人への手紙5章18節

説教
新しい人と聖霊① 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/246 信仰の友情の重要性

 知れ。【主】は、ご自分の聖徒を特別に扱われるのだ。私が呼ぶとき、【主】は聞いてくださる。恐れおののけ。そして罪を犯すな。床の上で自分の心に語り、静まれ。  詩篇4篇3~4節

 「沈黙すること」、「ひとりになること」は、詩篇を瞑想する上でなくてはならないことです。しかし同時に、瞑想の訓練は、ひとりひとりが孤立して行なうものではなく、教会という信仰の共同体の中で共に支えられて行なうものだと信じます。それは、主にある者たちが、この世の価値観と生き方に流されることなく、ひとりひとりがなくてはならぬ大切なことに気づき、集約されていくためです。
 イエスのことばです。「もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。」 マタイ18章19~20節
 このイエスのことばは、私たちがキリストのいのちにあふれる者となっていくために、もう一度、信仰の友情の重要性を見直すべき約束です。    (銘形「詩篇瞑想の手引き」より引用)

2018年7月22日日曜日

2018年07月22日 第4主日礼拝 新しい人と機会

招詞
神よ。国々の民があなたをほめたたえ、国々の民がこぞってあなたをほめたたえますように。 地の果て果てが、ことごとく神を恐れますように。               詩篇67篇5、7節


聖書箇所
エペソ人への手紙5章15~17節

説教
新しい人と機会 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/245 礼拝者ダビデ
 
 ダビデの賛歌。私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む。私の救いは神から来る。
                              詩篇62篇1a~1b節(注)
 
 詩篇の表題が「ダビデの・・」「ダビデによる」となっているものが73あります。実に詩篇全体の半数に及びます。王としてのダビデ、夫としてダビデ、父親としてダビデ、戦いの勇士としてダビデ、神の代理者としての政治家のダビデ、音楽家としてのダビデ、詩人としてのダビデ等、いろいろなダビデの面があったにせよ、結局のところは「礼拝者としてのダビデ」、これこそ、神がダビデを詩篇=賛美の歌のソングリーダー的存在となさった理由ではないかと思います。
 彼の人生は決して完璧なものではなかったものの、不変の愛(アハバー)で神から愛されながら、自らも神に飢え渇き、神を追い求めた姿はいつの時代の礼拝者にとっても模範となるべき、あこがれの存在です。私たちは、もっとダビデから学びながら、礼拝者としてふさわしく整えられる者でありたいと思います。     (銘形「詩篇瞑想の手引き」より引用 注ー原語のヘブル語本文は、表題が1節となり、新改訳の1節は2節となっています)

2018年7月15日日曜日

2018年07月15日 第3主日礼拝 新しい人と光の子ども②

招詞
どうか、神が私たちをあわれみ、祝福し、御顔を私たちの上に照り輝かしてくださるように。それは、あなたの道が地の上に、あなたの御救いがすべての国々の間に知られるためです。
                                   詩篇67篇1~2節

聖書箇所
エペソ人への手紙5章8~14節

説教
新しい人と光の子ども② 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/244 弱い者

 神は神々の真ん中で、さばきを下す。 弱い者とみなしごとのためにさばき、悩む者と乏しい者の権利を認めよ。 弱い者と貧しい者とを助け出し、悪者どもの手から救い出せ。
                                 詩篇82篇 1、3~4節

 モーセ五書の申命記においては、今日においても驚くような福祉社会の理念が神によって基礎づけられています。その理念の中心は、弱い者たちの立場が擁護されてことです。詩篇の中でもこの理念によって生きる共同体としての神の民の喜びと悲しみが描かれています。
 旧約聖書を学び、親しんだパウロの手紙も、社会的弱者が教会で自由に活躍すべきであると書いています。ご聖霊がパウロに書かせた新約聖書の中の名文です。

 「それどころか、からだの中で比較的に弱いと見られる器官が、かえってなくてはならないものなのです。・・神は、劣ったところをことさらに尊んで、からだをこのように調和させてくださったのです。それはからだの中に分裂がなく、各部分が互いにいたわり合うためです。」
                           コリント第一12章22, 24~25節

 教会をからだとしてたとえ、共同体における弱い部分、劣った器官の存在の価値とその意義を教えています。今日的表現を使うなら、身体的、あるいは知的ハンディを持つ人々と言えます。あるいは、強い人に対する弱い人、健康な人に対する病気の人など、ハンディで苦しんでいる人々といえます。しかし、実は、そのような存在こそ「からだを調和させ、各部分が互いにいたわり合う」ために必要不可欠なのです。自分を見れば、失敗もし、弱さを認めざるを得ない者たちです。日々の歩みのなかで、「本当にそう思っていたわり合う」教会の交わりを深めていきたいものです。
                       (銘形「詩篇瞑想のための手引き」より引用)

2018年7月8日日曜日

2018年07月08日 第2主日礼拝 新しい人と光の子ども①

招詞
国々の民よ。私たちの神をほめたたえよ。神への賛美の声を聞こえさせよ。 神は、私たちを、いのちのうちに保ち、私たちの足をよろけさせない。              詩篇66篇8~9節

聖書箇所
エペソ人への手紙5章8節

説教
新しい人と光の子ども① 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/243   いこい(イヌホーット)

 主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。      詩篇23篇2b節
 
2節後半にある「いこいの水のほとりに伴われます」は、前半の「緑の牧場に伏させ」の思いを、さらに繰り返した表現です。「いこい」のへブル語はメヌホーットで、「休息」「安息」を表わすことばです。それは、休息だけでなく、静寂のイメージが加わります。羊飼いである神、主は「静寂な水辺に」、私を導かれる方なのです。
 主との親しい交わりを深めるためには、じっと静まれる場、神の御前に耳を澄まして待ち望む姿勢がとれる場所が必要です。生活のテンポの速さ、息つく暇も与えない活動、人との交流や奉仕などから身を隠して、一人になって静まりと沈黙の時を過ごす工夫をしましょう。
 喧騒に満ちた時代だからこそ、一人で黙想する時間が大切にされなければならないのです。特に、朝のみことばの前における沈黙はあなたの一日に大きな影響を与えます。夏の朝は、寒くもなく、早くから明けますね。起きて、みことばを一節読みましょう。そして黙想しましょう。
                        (銘形「詩篇23篇の黙想」より一部引用)

2018年7月1日日曜日

2018年07月01日 第1主日礼拝 新しい人と愛②

招詞
幸いなことよ。あなたが選び、近寄せられた人、あなたの大庭に住むその人は。私たちは、あなたの家、あなたの聖なる宮の良いもので満ち足りるでしょう。          詩篇65篇4節


聖書箇所
エペソ人への手紙5章1~7節

説教
新しい人と愛② 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/242 必要なもの(クレイア)

 マルタ、マルタ。あなたは、いろいろなことを心配して、気を使っています。 しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。       ルカの福音書 10:41~42

 「50代を私は人生の最大の節目と思っています。」と日野原重明氏は『生き方上手』(文庫版もあり)のはしがきで述べています。この確信は日野原氏がアン・リンドバーグの『海からの贈物』(新潮社文庫)の文章の一節にふれたときに与えられたようです。私も買って、第2章の「ほら貝」まで読んで感動してしまいました。以下、本の抜粋です。「どうすれば自分自身であることを失わずにいられるか・・・・それに対して、どういう答えがあるだろうか。・・・私には・・・浜辺で拾った貝のような手掛かりが与えられているだけである。ほら貝の簡素な美しさは私に、・・・自分の生活を簡易にして、気を散らすことの幾つかを切り捨てることなのだということを教えてくれる。・・ここでの浜辺でならば、それができる。浜辺の生活で第一に覚えることは、不必要なものを捨てるということである。・・・それは先ず身の回りのことから始まって、不思議なことに、それが他のことにも広がって行く。・・・」。
 ここでリンドバーグがしようとしていることはまさに<シンプルライフ>です。私もこの生き方の大切に気づかされ、憧れを感じたのは50歳になってからでした。その憧れを忘れずに、少しずつ実践し続けて行きたいと願っています。
 クリスチャンにとっても、どうしても必要な、神のみことばに聴く生活の他は、いろいろと整理するものがあるでしょう。まず、気づきが必要のようです。50歳と言わず、私たちも今から「生き方上手」になりませんか。             (銘形「シンプルライフ」から一部引用)


2018年6月24日日曜日

2018年06月24日 第4主日礼拝 新しい人と愛①

招詞
あなたの恵みは、いのちにもまさるゆえ、私のくちびるは、あなたを賛美します。それゆえ私は生きているかぎり、あなたをほめたたえ、あなたの御名により、両手を上げて祈ります。
                                   詩篇63篇3~4節

聖書箇所
エペソ人への手紙5章1~2節

説教
新しい人と愛① 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/241  前向きと後ろ向き ②

 わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。       ヨハネの福音書15章5節                  
  聖書の世界で、神と人とかかわりの切り札は「後ろ向き」である、と私は考えている。聖書では、神と人とのかかわりにおける「後ろ向き」は、「とどまる」ということばで言い換えられる。特に、いのちのかかわりを強調するヨハネの福音書(新約聖書)ではそうである。「後ろ向き」とは、神と向き合うかたちとなり、進む方向はすべて神にゆだねるかたちとなる。
 ちなみに、ヘブル語で「過去」を意味する言葉は文字どおりには「前」を表わし、「未来」を意味する言葉は「背後」を意味する。結実は、背後にある未来に「後ろ向き」で進む時、つまり神にとどまる結果としてのみ得られるものである。
 そんなわけで、実を結ぶためには、神にとどまり、未来をゆだねてしっかりと向き合う「後ろ向き」を身につけなければならない。
 神に未来を委ねて「後ろ向き」に進む、そんな歩みを今年はもっとしてみたいと思いませんか。
                      (銘形「後ろ向きという切り札」から一部引用)


2018年6月17日日曜日

2018年06月17日 第3主日礼拝 あなたを生かすこの愛

招詞
私は主を愛する。【主】は私の声、私の願いを聞いてくださるから。 主は、私に耳を傾けられる
ので、私は生きるかぎり主を呼び求めよう。                詩篇116篇1節

聖書箇所
ヨハネの手紙第一 4章7~11節

説教
あなたを生かすこの愛 松山 裕 牧師
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2018年6月10日日曜日

2018年06月10日 第2主日礼拝 新しい人の選択

招詞
私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む。私の救いは神から来る。神こそ、わが岩。わが救い。わがやぐら。私は決して、ゆるがされない。               詩篇62篇1~2節

聖書箇所
エペソ人への手紙4章28~32節

説教
新しい人の選択  田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/240 前向きと後ろ向き ① 

 わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。       ヨハネの福音書15章5節

 「振り返ってはいけない。」とか「前向きに生きろ」。などとよく耳にするが、振り返ることなく生きられる人がいるだろうか。また、前ばかり向いて歩くことが、そんな立派なことなのだろうか。「前向きに進め」というのは、人間が溜めていた力を出せる「後ろ向き」という切り札を、めったなところで使ってはいけないということなのかもしれない。私は今日も、後ろ向きで坂を下り、後ろ向きで風の中を走り、夕日を見ながら帰ってきた。 (星野富弘 「鈴のなる道」より)
 
この随筆で星野さんは、前向きに生きる真の切り札は「後ろ向き」にあるということを言おうとしているのだと思います。
 星野さんの言う「後ろ向き」ということばと、上記「わたしにとどまりなさい」というみことばが、私には重なるような気がするのです。実は、ヘブル語では「前を向く」とは、これまでのことを振り返る方向、つまり過去に目を向けることです。次回、詳しく説明しましょう。
                         (銘形 「謙遜への招き」から一部引用)

2018年6月3日日曜日

2018年06月03日 第1主日礼拝 新しい人と怒り

招詞
私の心が衰え果てるとき、私は地の果てから、あなたに呼ばわります。どうか、私の及びがたいほど高い岩の上に、私を導いてください。                   詩篇61篇2節


聖書箇所
エペソ人への手紙4章17~28節

説教
新しい人と怒り 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/239 霊的な味覚

 【主】の戒めは正しくて、人の心を喜ばせ、【主】の仰せはきよくて、人の目を明るくする。それらは、金よりも、多くの純金よりも好ましい。蜜よりも、蜜蜂の巣のしたたりよりも甘い。
                                  詩篇 19篇 8、10節

 詩篇を読む時、霊的な味覚に対する好奇心が必要です。
 私たちが毎日口にする食事は、五感のすべてを使って味わっています。目で味わい、耳で味わい、鼻で味わい、手や舌の感覚で味合う、これらのすべての感覚をフル動員して食べています。グルメとは、脳のあらゆる感覚器官が研ぎ澄まされた人のことだと言えます。
 ところで、詩篇の瞑想は、ただ与えられて食べる側よりも、料理を作る側に近いかもしれません。それは歌われた一つ一つの詩という素材から味の感動を引きだすからです。まず自分が作っておいしいと思うことが大切です。では、料理にとって一番大切なものはなんだろうか。それは舌、つまり、味覚です。視覚も臭覚も、料理にとっては大事なことですが、まずは味覚が第一条件です。味覚は生まれ育った環境にも影響されますが、経験によって鍛えられ、磨かれます。
 ダビデは、「主の戒めは、蜜よりも、蜜蜂の巣のしたたりよりも甘い」と、言いきりました。彼は、もっと神とのすばらしい交わりの世界を味わいたい、堪能したいという旺盛な好奇心をもっていました。
 詩篇から、自分の霊の舌で、新しい味覚をどんどん自分の中にすり込む経験をしてみませんか。        
                     (銘形「詩篇瞑想のための手引き」より一部引用)

2018年5月27日日曜日

2018年05月27日 第4主日礼拝 キリストを着なさい

招詞
私の力、あなたに、私はほめ歌を歌います。神は私のとりで、私の恵みの神であられます。
                                    詩篇59篇17節

聖書箇所
エペソ人への手紙4章17~24節

説教
キリストを着なさい 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/238 詩篇用語の5要素(カテゴリー)

  幸いなことよ。主をおのれの神とする民は。           詩篇144篇15節

詩篇の用語をことばの洪水のように考えてしまうことがあるでしょうか?
用語が5つのカテゴリーに分けられると知っていると、理解を助けます。

 1)礼拝用語 全地よ。【主】に向かって喜びの声をあげよ。 100篇1節
   「全地よ、喜びの声をあげよ」など、人が神に対してなす礼拝の行為や態度を表わ
  す動詞が使われるケースが多く見られます。

 2)恩寵用語 幸いなことよ。そのそむきを赦され、罪をおおわれた人は。 32篇1節
  これは神が人に対してしてくださる行為であり態度です。「かくまう」、「隠す」・・等。
  神のこうした動詞を発見して瞑想するだけでも、大いに励まされます。

 3)嘆願用語 わが神。私は、あなたに信頼いたします。どうか私が恥を見ないように
   してください。 25篇2節 
   これは神に対して「・・してください」という形で表現されます。「恥を見ないように
   してください」という嘆願は、裏を返せば「主は・・してくださる。」という信頼・信仰
   が背景にあります。イエスは嘆願する者に対して、「あなたの信仰があなたを救っ
   たのです。」と言われました。

 4)信仰告白 【主】は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。 23篇1節など。
   ダビデは、はっきりと信仰告白しています。

 5)教訓 表題の144篇15節のように、①~④が個人だけではなく、信仰共同体にお
  ける霊的遺産としてまとめられるケースです。
 
 このように、5つのカテゴリーを知っておくことで、詩篇ごとに全体像が見えてくるようになります。詩篇をさらに楽しみましょう。
                          (銘形「詩篇瞑想のための手引き」より一部引用)

2018年5月20日日曜日

2018年05月20日 第3主日礼拝 教会の成長②

招詞
あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい。わたしは【主】である。   レビ記18章19

聖書箇所
エペソへの手紙4章16節
使徒の働き2章40~47節

説教
教会の成長② 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/237  アナロジー(類比)

 神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助け。        詩篇46篇1節
 
詩篇の世界はアナロジー(類比)で満ちています。アナロジーとは、AをBとして見るものの見方であり、そのBとは既有知識であり、その知識に基づいてAを理解させようとする方法です。Bは、特に説明されなくても理解されている周知の事実でなければなりません。例えば、上記46篇1節では、神と人との関係を、神さまが自分の安全な避難場所であり、力を下さる方、苦しむときにちょうどそこにある助け手と告白しています。ダビデは、類比を用いて、全能の神、主がどういう方であるかを人々に伝達することができたのです。
 アナロジーは見えない神を私たちに理解させる上でとても重要な認知方法です。詩篇だけでなく、聖書全体がそうした方法を用いています。聖書のアナロジーを通して、神がいかなるお方であるかを知り、その神との親密な関係の中で神と共に歩んでいく旅を味わいましょう。
 人生の岐路に立つとき、困難な坂道に直面したとき、危険な道を行くことを余儀なくされたとき、そのときこそ神を知るときです。詩篇はその道案内です。      
                     (銘形「詩篇瞑想のための手引き」から一部引用)

2018年5月13日日曜日

2018年05月13日 第2主日礼拝 不思議を前にして~あやしむ人と信じる人

招詞
主よ。私は国々の民の中にあって、あなたに感謝し、国民の中にあって、あなたにほめ歌を歌いましょう。 あなたの恵みは大きく、天にまで及び、あなたのまことは雲にまで及ぶからです。
                                  詩篇57篇9~10節

聖書箇所
ヨハネの福音書20章24~31節

説教
不思議を前にして~あやしむ人と信じる人 高橋和彦牧師
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言(こと)ローグ/236   霊的スランプ

 鹿が谷川の流れを慕いあえぐように、神よ。私のたましいはあなたを慕いあえぎます。 私のたましいは、神を、生ける神を求めて渇いています。いつ、私は行って、神の御前に出ましょうか。
                                   詩篇42篇1~2節

 詩篇43篇、103篇などと並んで、この節は、神さまへの呼びかけです。そこでは、困難の時には、絶望している自分に、また、順境の時には、豊かな恵みを注いでくだった神を決して忘れることがないようにと、自分に語りかけます。なぜ霊的なスランプに陥るのでしょうか。それは、私たちが神の恵みに慣れてしまって、恵みが当たり前のように思ってしまうからです。あるいは、自分が自分に対して自分の思い(つぶやき)をそのままに語らせているのを許してしまうからです。霊的なスランプに陥ったときの対処法は、
① 意気消沈させている内なる自分に対して、また恵みに慣れてしまっている自分に対して、はっきりと対決し、叱責し、訓戒し、問いかけることです。
そして、
② 神はどんな方であり、また何をすると約束してくださったかを、意識的に、 はっきりと自分自身に対して思い起こさせること、です。
 信仰は、イエスさまの十字架と復活の事実に基づいています。自分の罪を認めた時、イエスを信じて救われました。これも事実です。神さまは、いつでも、今でも、霊的に落ち込んでいる私たちが、御前にでることを望んでおられます。一歩進み出て、「イエスさま」と呼びかけましょう。また、治療より予防が効果を発揮するのは霊的な世界でも同じです。ダビデのように、毎朝、神さまへの呼びかけをしましょう。           (銘形「詩篇瞑想の手引き」より一部引用)

2018年5月6日日曜日

2018年05月06日 第1主日礼拝 教会を建てあげる

招詞
神よ、あなたは、私のいのちを死から、まことに私の足を、つまずきから、救い出してくださいました。それは、私が、いのちの光のうちに、神の御前を歩むためでした。   詩篇56篇13節

聖書箇所
エペソへの手紙4章11~15節

説教
教会を建てあげる 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/235   詩篇の中の「呼びかけ」

 詩篇には2つの<呼びかけ>があります。つまり、①神に向かって呼びかけるもの、②人/自分に向かって呼びかけるものです。
 ①詩篇の多くは神に向かって呼びかけられています。嘆きの詩篇は特にそうです。嘆きが人に向かってではなく、神に向かって訴えられています。私たちの多くが、神に向かってではなく、人に向かって訴えることが多いことかを思えば、詩篇はその点ですばらしいと思います。なぜなら、すべての解決は神にあるからです。
 ②そして、自分に向かって呼びかける詩篇があります。数として多くはありませんが、「わがたましいよ」と呼びかけます。42篇、43篇、103篇等がそうです。そこでは、絶望している自分に、また、豊かな恵みを注いでくだった神を決して忘れることがないようにと、自分に語りかけます。なぜなら、信仰者といえども、霊的なスランプに陥ることがあるからです。霊的なスランプの克服法はあるるのでしょうか?
 次回、考えます。(続く)           (銘形「詩篇瞑想の手引き」より一部引用)

2018年4月29日日曜日

2018年04月29日 第5主日礼拝 宣教の恵み

招詞
恐れのある日に、私は、あなたに信頼します。神にあって、私はみことばを、ほめたたえます。私は神に信頼し、何も恐れません。                    詩篇56篇3~4節

聖書箇所
ローマ人への手紙1章1~8節

説教
宣教の恵み 田口孝子師
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言(こと)ローグ/234 驚きと感動 

 あなたの指のわざである天を見、あなたが整えられた月や星を見ますのに、 人とは、何者なのでしょう。あなたがこれを心に留められるとは。               詩篇8篇3~4節
 
 詩篇を深読みしていくなかで、ある種の<驚き>を感じることはとても重要なことだと思います。<驚き>は魂の感動であり、いのちそのものだからです。詩篇には、神と人との豊かな交わりのいのちが記されています。そこに感動を感じることなしに、詩篇の瞑想を続けていくことはできません。<驚きと感動>は聖霊が神を尋ね求める者に必ず与えてくださるプレゼントです。
 詩篇には、神と人との交わりの神秘が隠されています。私たちが詩篇を深読みするその目的は、その<驚きと感動>を追体験するためです。そしてより深い、神との交わりへと導かれるのです。<驚き>はさらに神を求めさせます。<感動>だけが自分の心を満たし、その感動は多くの人にも分かち合われるものとなります。
                        (銘形「詩篇瞑想の手引き」より一部引用)

2018年4月22日日曜日

2018年04月22日 第4主日礼拝 新約聖書と福音 / 生活 ー召しに応えるー

招詞
あなたの重荷を【主】にゆだねよ。主は、あなたのことを心配してくださる。主は決して、正しい者がゆるがされるようにはなさらない。                  詩篇55篇22節

聖書箇所
コロサイ人への手紙1章13~14節

説教
新約聖書と福音 銭谷幸器牧師
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生活 ー召しに応えるー 銭谷幸器牧師
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言(こと)ローグ/233 霊的フレンドシップ(友情)の重要性
 
 「二人でも三人でも、わたしの名において集まる所には、
                  わたしもその中にいるからです。」 マタイ18章20節

 一人になってみ言葉を黙想することは、詩篇であれ、他の箇所であれ信仰の成長のためになくてはならないものです。しかし、同時に、教会という信仰共同体の中で、霊的フレンドシップを育てることも同じように大切です。なぜなら、瞑想の訓練は、一人ひとりが孤立して行うものではなく、教会(共同体)の中で共に支えられて行うものです。それは、主にある者たちが、この世の価値観と生き方に流されることなく、一人一人が無くてはならない大切な存在であることへの「気づき」を与えられるからです。
 上記、イエスさまのみことばは、私たちがキリストのいのちにあふれる者となっていくために、もう一度、霊的フレンドシップの重要性を見直すべき約束ではないでしょうか。今日も分かち合いの時を持たせていただきましょう。        (銘形「詩篇瞑想の手引き」より一部引用)

2018年4月15日日曜日

2018年04月15日 第3主日礼拝 復活 ーなかったらどうなるのか?

招詞
主よ。私のくちびるを開いてください。そうすれば、私の口は、あなたの誉れを告げるでしょう。
                                    詩篇51篇15節

聖書箇所
コリント人への手紙15章12~22節

説教
復活 ーなかったらどうなるのか? 菅孝雄兄

言(こと)ローグ/232 サプリメント思考と詩篇 

 詩篇を深読みし、瞑想しようとするとき、サプリメント思考ではやがて神との関係において壁に突き当たると思います。つまり、自分の好きなところを、今の自分に必要と思う栄養だけを補充しようと考えているならば、神さまとの健全な関係を築き上げていくことはできません。
 できるだけ、詩篇の作者(記者)が言わんとするところに耳を傾け、ある部分だけでなく、いつもその詩篇全体を読むという視点をもって考える訓練が必要です。詩篇は、一見モノローグ(独白)のように見えますが、ほとんどの詩篇は神さまとのディアローグ(会話)として読むことが出来ます。神さまが、どう答えられるか、それを作者はどう受け止めたかを読むことができます。
 この訓練は時間がかかりますが、やがて、ディアローグ(会話)からひとつひとつの詩篇のもっているダイナミックなメッセージが聞こえてくると信じます。その境地を会得するまでちょっと頑張ってみませんか?                 (銘形「詩篇瞑想の手引き」より引用)

2018年4月8日日曜日

2018年04月08日 第2主日礼拝 罪の「きよめの」ささげもの

招詞
神よ。私にきよい心を造り、ゆるがない霊を私のうちに新しくしてください。
                                    詩篇51篇10節


聖書箇所
レビ記4章1~12節

説教
罪の「きよめの」ささげもの 老松望KGK主事
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言(こと)ローグ/231 トーラーとマズムル(律法と詩篇)
 
 ユダヤ教のシナゴーグ礼拝では、毎週、トーラー(モーセ5書)が順に朗読されました。それに附随して、詩篇(マズムル)も朗読されていたようです。聖書は、すべて神の霊感により、モーセ5書はモーセにより、詩篇は、ダビデたち詩篇作家により、神に選ばれた人々により書き留めました。モーセ五書が神から人に啓示されたものであるのに対して、詩篇のそれは人から神への祈り・讃美であるということが対照的です。詩篇を朗読する伝統は、詩篇が編纂された時から、現代に至るまで常に受け継がれてきたということは驚くべきことです。当教会でも、毎週の礼拝で、詩篇を唱和しています。長い伝統の中で継承されてきた詩篇を、日々味わいながら、色あせることのないダビデたちの霊性というものを再発見していきましょう。
                            (銘形 詩篇アラカルトより引用)
 

2018年4月1日日曜日

2018年04月01日 イースター・召天者記念礼拝 信仰の目で 

招詞
驚いてはいけません。あなたがたは、十字架につけられたナザレ人イエスを捜しているのでしょう。あの方はよみがえられました。               マルコの福音書16章6節

聖書箇所
ルカの福音書24章13~32節

説教
信仰の目で 田口勇新牧師
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2018年3月25日日曜日

2018年03月25日 第4主日礼拝 十字架とパラダイス

招詞
キリストは、自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。               ペテロの手紙第一2章24節

聖書箇所
ルカの福音書23章32~43節

説教
十字架とパラダイス 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/230 彼らをお赦しください

       「父よ。彼らをお赦しください。」         ルカ23章34節

 イエスが十字架上で最初に口にしたのが、「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分で分からないのです。」という祈りでした。この祈りは、イエスがオリーブ山にあるゴルゴタにおいて、つまりエルサレムの全景を見渡せるところから、自分を拒絶し、自分に敵対したたすべての人々(祭司長たちと彼らによって扇動された群衆たちも含む)や、また直前までイエスをあざけった道行く人々、そして、イエスと共に十字架につけられた二人の強盗どもに対して祈られた祈りでした。
 そして、マタイ27:44とマルコ15:32では、イエスと共に十字架につけられた二人の強盗どももイエスをののしっていました。自分自身のためにではなく、自分を十字架にかけた者たちに対して、その罪を赦すようにと祈っていたのです。この状況でこんな祈りができることは尋常ではありません。しかも、この祈りはギリシア語では未完了形で記されています。つまり、一回切りの祈りではなく、繰り返しこの祈りを祈られたことを意味します。私たちも、救いを求めるまでは、繰り返しイエスの祈りの中にいた者です。この重いことばに感謝しましょう。
                         (銘形「イエスの7つの言葉」より引用)

2018年3月18日日曜日

2018年03月18日 第3主日礼拝 一致と多様性

招詞
主のしもべたちよ。主の御名をほめたたえよ。 今よりとこしえまで、主の御名はほめられよ。 日の上る所から沈む所まで、主の御名がほめたたえられるように。         詩篇113篇1~3節

聖書箇所
エペソへの手紙4章4~10節

説教
一致と多様性 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/229 詩篇に見る比喩 ③ 直喩 シミリー

 まことに、その人は【主】のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。 その人は、水路のそばに植わった木のようだ。                       詩篇 1篇2~3節

 直喩 (明喩)は、「・・・のようだ」という類似性を用いた修辞法で、詩篇では沢山用いられ、読む者の理解を助けています。
 上記、詩篇1:3「その人は、水路に植わった木のようだ。」と、それに続く「悪者は、風が吹き飛ばすもみがらのようだ」の様に表現します。
 「木ともみがら」のような名詞だけでなく、次の詩篇42篇1節なども直喩です。
「鹿が谷川の流れを慕いあえぐように、私のたましいはあなたを慕いあえぎます。」
 この場合、前半の節全体が、鹿が夢中になって谷に流れる清流に降って行き、冷たく美味しい水を求めるように、自分の魂は主、神さまを心から慕って、神のもとに行き、いのちの水である神のことばを願い求めます、という信仰の告白です。   (銘形 「詩篇の修辞的表現」より引用)

2018年3月11日日曜日

2018年03月11日 3.11祈念礼拝 愛と一致の力で

招詞
神よ。あなたが天であがめられ、あなたの栄光が全世界であがめられますように。 あなたの愛する者が助け出されるために、あなたの右の手で救ってください。      詩篇108篇5~6節

聖書箇所
エペソへの手紙4章1~4節

説教
愛と一致の力で 田口勇新牧師
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働きの報告
3.11 いわて教会ネットワーク
 『いっぽいっぽ山田』の活動紹介 小山公平宣教師

2018年3月4日日曜日

2018年03月04日 第1主日礼拝 神の召しにふさわしく

招詞
主よ。私は、国々の民の中にあって、あなたに感謝し、国民の中にあって、あなたにほめ歌を歌いましょう。 あなたの恵みは大きく、天の上にまで及び、あなたのまことは雲にまで及ぶからです。
                                  詩篇108篇3~4節

聖書箇所
エペソ人への手紙4章1~3節

説教
神の召しにふさわしく 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/228 詩篇に見る比喩  ②隠喩(いんゆ)

 【主】は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。  詩篇 23篇1節

 隠喩(いんゆ)は、「AはBである」という形式で比喩を表現する修辞法です。上記、ダビデは、「【主】は、私の羊飼い」と隠喩を使っています。特に、隠喩は、しばしば信仰告白的表現として用いられています。
* 【主】はわが巌、わがとりで、わが救い主、身を避けるわが岩、わが神。
  わが盾、わが救いの角、わがやぐら。詩篇18篇2節
* 神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助け。詩篇46篇1節
* ヤコブの神はわれらのとりでである。詩篇46篇11b節
* 神なる主は太陽です。盾です。詩篇84篇11節
 隠喩と似ているのが、「Aは、Bのようだ」となる直喩(ちょくゆ)ですが、次回に詳しくご説明します。                         (銘形 「詩篇の修辞的表」)

2018年2月25日日曜日

2018年02月25日 第4主日礼拝 福音と生活 / 旧約聖書と福音

招詞
神よ。私の心はゆるぎません。私は歌い、私のたましいもまた、ほめ歌を歌いましょう。
                                    詩篇108篇1節

聖書箇所
コロサイ人への手紙 1章13~14節

説教
福音と生活 銭谷幸器牧師
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旧約聖書と福音 銭谷幸器牧師
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言(こと)ローグ/227 詩篇に見る比喩 ①類比(アナロジー)
 
【主】は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。 主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。                            詩篇23篇

 有名な詩篇23篇で、ダビデは比喩を使って、神と自分の関係を見事に描いています。比喩は、並行法と同じく聖書に見られる大事な修辞法です。
 比喩には、類比、隠喩、直喩、換喩、提喩の5つがありますので順にご説明しますが、上記の詩は、類比(アナロジー)です。類比は、ある事柄やかかわりを別の事物のイメージで類推する修辞法です。この詩23篇の前半では、羊飼い(牧者)と羊という類比を用いて神と私たちとの関係を表現しています。また後半では、客と客を招く主人という類比によって、私たちをもてなす神の歓迎を簡潔に表現しています。
 主なる神さまが、あらゆる手法で神の愛を伝えようとなさっていることを感謝し、この神の愛を熱心・簡潔に伝えてまいりましょう。
                           (銘形「詩篇アラカルト」より引用)

2018年2月18日日曜日

2018年02月18日 第3主日礼拝 私たちに働くみ力

招詞
主の恵みと、人の子らへの奇しいわざを主に感謝せよ。 まことに主は渇いたたましいを満ち足らせ、飢えたたましいを良いもので満たされた。            詩篇107篇8~9節

聖書箇所
エペソ人への手紙3章20~4章1節

説教
私たちに働くみ力  田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/226  詩篇の並行法 ② 反意型
 まことに、主は、正しい者の道を知っておられる。 しかし、悪者の道は滅びうせる。
                                    詩篇 1章4節

 同義並行法に続き、反意型並行法があります。これは、上記、詩篇1:4のように、1行目と2行目の思想が対照をなしています。相互が矛盾するのではなく、真理の両面を相補する表現方法で、詩の意図が増幅されて伝えられます。次の4つのカ所は、反意型並行法です。ゆっくり読んで、味わってください。 

 ある者はいくさ車を誇り、ある者は馬を誇る。 
    しかし、私たちは私たちの神、【主】の御名を誇ろう。       詩篇20:7

 悪者には心の痛みが多い。 
    しかし、【主】に信頼する者には、恵みが、その人を取り囲む。   詩篇32:10
 
 若い獅子も乏しくなって飢える。 
    しかし、主を尋ね求める者は、良いものに何一つ欠けることはない。 詩篇34:10

 悪を行う者は断ち切られる。 
    しかし【主】を待ち望む者、彼らは地を受け継ごう。        詩篇 37:9  
 
反意型並行法により、神の愛の深さと誠実が、何倍にも増幅されて読む人の心に伝わってきますね。                      (銘形「詩篇アラカルト」より一部引用) 

2018年2月11日日曜日

2018年02月11日 第2主日礼拝 とりなしの祈り

招詞
ハレルヤ。【主】に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。 だれが【主】の大能のわざを告げ、主の誉れのすべてを語り聞かせることができよう。 
                                 詩篇106篇1~2節

聖書箇所
エペソ人への手紙3章16~19節

説教
とりなしの祈り  田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/225 詩篇の並行法(パラレリズム)① 
 まことに、その人は主の教えを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。  詩篇1篇2節

   R・ロウスは、『ヘブル語の聖書の詩についての講義』で、詩篇は、音声と文体が比較的穏やかに結びついて感性を表現している書である、と言いました。この並行法(パラレリズム)と呼ばれる手法は、行ごとの思想内容の対応により、思想は繰り返されることもあるし前進することもあります。また比喩的でもあるし、逆転的でもあります。今回は、①繰り返される思想について述べます。
 実は、上記2節も一行目と2行目が、同じ意味の事柄を異なる言葉で繰り返えしています。これが、同義並行法です。次の、5節はどうでしょうか?

それゆえ、悪者はもさばきの中に立ちおおせず、罪人は、正しい者のつどいに立てない。 (1:5)
 
 やはり、意味が似ていることばで繰り返されていますね。2章4節はどうでしょうか?

天の御座は着いている方は笑い、主はその者どもをあざけられる。 (2:4)
 
天のみ座は、神、主のおられる所です。笑うとあざけるは同じ意味です。原語のヘブライ語では韻を踏むので、さらに印象的で、また暗記しやすいのです。詩篇の朗読は朗誦となり歌です。
 しかし、翻訳であっても、並行法は、私たち読む者の心に聖書のみことばの真理を鮮明に刻み込むために有効な表現法です。ゆっくり読み、繰り返し読み、詩篇を味わって読みましょう。
                         (鍋谷尭爾著『詩篇を味わう』より引用)

2018年2月4日日曜日

2018年02月04日 第1主日礼拝 ひざをかがめて祈る

招詞
主の聖なる名を誇りとせよ。主を慕い求める者の心を喜ばせよ。主とその御力を尋ね求めよ。絶えず御顔を慕い求めよ。                        詩篇105篇3~4節

聖書箇所
エペソ人への手紙3章14~15節
第2歴代誌7章3節

説教
ひざをかがめて祈る  田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/224 パンとぶどう酒(アルトスとクラシ) 

「これは、あなたがたのために与える、わたしのからだです。わたしを覚えてこれを行いなさい。」 食事の後、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流されるわたしの血による新しい契約です。」                ルカの福音書22章19~20節

 毎月の聖餐式で、パンとブドウ液をいただきます。イエスさまが、使徒たちと教会に命じられた2つのことの一つが聖餐で、あと一つは洗礼でした。洗礼は一回だけですが、聖餐式は、イエスさまの再臨までずっと定期的に続けなさい、と言われました。 
 カトリック教会では、パンとぶどう酒が、文字通りキリストの体と血に変わると教えます。これを化体説(けたいせつ)と言います。改革者ツヴィングリは、これとは真逆で、単純にシンボルとしてパンとぶどう酒を受け取ると教えました。
 けれども、ルター以来、ルーテル教会では、聖餐におけるパンとぶどう液(酒)は、上記イエスの言葉通り、キリストの体と血を表すと教えます。以下、神秘的な言い方ですが、「パンとぶどう酒は、やはりパンとぶどう酒であるが、聖餐式で読まれるみ言葉に従う時、パンを食べ、ぶどう液(酒)を飲むことにより、イエスのからだと血をいただくのである」と信じています。 
 初代教会での聖餐は、礼拝の一部であり、感謝、喜び、信仰によって特徴づけられていました。そこでは、信仰の自己吟味と悔い改めは、心を刺すような重苦しいものではなく、赦しと永遠の命の約束が唱えられ、神からの贈り物、イエスに対する心からの感謝と賛美が中心でした。そこには勝利と喜びがありました。私たちも、心からの感謝と喜びをもって聖餐をいただきましょう。
                    (C.F.ヴィスロフ「キリスト教教理入門」から引用)

2018年1月28日日曜日

2018年01月28日 第4主日礼拝 神に選ばれた者の幸い

招詞
【主】に感謝して、御名を呼び求めよ。そのみわざを国々の民の中に知らせよ。 主に歌え。主にほめ歌を歌え。そのすべての奇しいみわざに思いを潜めよ。          詩篇105節1~2節

聖書箇所
詩篇 65篇1~5節

説教
神に選ばれた者の幸い 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/223 水と油   マイム・ダーシェン

「あなたの通られた跡には、あぶら(豊かさ)がしたたっています」      詩篇65篇11節

 神に信頼をおく者は、「良いもので満ち足りる」。その幸いを一つの絵にしたとしたら、こんな感じになるのではというのが、詩篇65篇後半の部分(9~13節)です。そこには自然界における神の恵みの無尽蔵な豊かさが、「水(川)」によってもたらされることが描かれています。神の訪れは、いのちの水が注がれることを通して表わされます。その水は雨となり、堅くなった地を柔らかくします。また山に降った雨は地にしみ込み、川となって流れます。荒野は豊かな牧草地となり、もろもろの谷は豊かな穀物をもたらします。羊も人も共に喜び叫びます。ダビデはそれを「あなたの通られた跡には、あぶら(豊かさ)がしたたっています」(11節)と表現しました。「あぶら」とは「喜びの油」、つまり「満ち足りた喜び」のことでしょう。それが「したたっている」のです。ダビデの喜びを私の喜びにしたいものですね。    (銘形「詩篇の瞑想」より引用)

2018年1月21日日曜日

2018年01月21日 第3主日礼拝 人として住まわれたイエス

招詞
主が地に目を注がれると、地は震え、山々に触れられると、山々は煙を上げます。 私は生きているかぎり、主に歌い、いのちのあるかぎり、私の神にほめ歌を歌いましょう。
                                詩篇104篇32~33節

聖書箇所
ルカの福音書  2章40~52節

説教
人として住まわれたイエス 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/222 主の選び バータル

 「主があなたがたを恋い慕って、あなたがたを選ばれたのは、あなたがたがどの民よりも数が多かったからではない。事実、あなたがたは、すべての国々の民のうちで最も数が少なかった。しかし、主があなたがたを愛されたから、また、あなたがたの先祖たちに誓われた誓いを守られたから、主は力強い御手をもってあなたがたを連れ出し、奴隷の家から、・・・・贖い出された。」
                                   申命記 7章7, 8節

  日本のクリスチャンと牧師の中には、マイノリティー(少数派)であることにコンプレックスを感じている方が多いように感じられます。そこにはマジョリティ(多数派)を良しとする考え方があるからかもしれません。
 しかし、神の選びはそうした考え方と相反しています。主イエスも「あなたがたは地の塩です」(マタイ5:13)と言われました。塩はその量が少なくてもその役目を果たすことが出来るのです。むしろ、塩けを十分に保っていることのほうが重要なのです。聖書の神は、単に数が多いことを良いことだとはされない神です。特に、「選び」においてはそうです。神である主が選んでくださった、一人ひとりを愛してくださっていることを喜び、誇りに思いましょう。ご聖霊が働くと強くしていただけます。塩気の効いたクリスチャンをめざしましょう。
                            (銘形「申命記の瞑想」より引用)

2018年1月14日日曜日

2018年01月14日 第2主日礼拝 輝く生涯

招詞
わがたましいよ。【主】をほめたたえよ。わが神、【主】よ。あなたはまことに偉大な方。あなたは尊厳と威光を身にまとっておられます。                 詩篇104篇1節

聖書箇所
ルカの福音書 2章36~38節

説教
輝く生涯 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/221 詩篇(マズモル)

 「幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。 まことに、その人は【主】の教えを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。」
                                    詩篇1篇1~2節

 礼拝における詩篇朗読の伝統について考えましょう。詩篇(マズモル)は、モーセ五書(トーラー)と対照的です。一番の違いは、トーラーが神から人への啓示を教えているのに対して、詩篇は、人から神へ応答(祈り・讃美)であるということです。詩篇は、ユダヤ人会堂(シナゴグ)でも読まれ、初代教会に引き継がれていきました。
 ルターは、詩篇を愛読し、大学でも好んで講義しました。理由として、詩篇の中に「キリストの意味が明瞭に語られている」ことを確信していたためでした。
 詩篇を朗読する伝統が、詩篇が編さんされた旧約の時代から現代に至るまで、礼拝の中で、常に受け継がれてきたということは驚くべきことです。
 上の詩篇も、現代の私たちの霊的な指標として十分に適用できるものです。それゆえ、私たちは、2500年以上もの間、継承されてきた詩篇を、日々味わいながら、色あせることのないダビデや詩篇作者の霊性というものを再発見したいと思います。
                         (銘形「詩篇ア・ラ・カルト」より引用)

2018年01月07日 第1主日礼拝 イエスの献児

招詞
人の日は、草のよう。野の花のように咲く。風がそこを過ぎると、それは、もはやない。しかし、主の恵みは、とこしえから、とこしえまで、主を恐れる者の上にある。 詩篇103篇15,17節 

聖書箇所
ルカの福音書 2章22~35節

説教
イエスの献児  田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/220 イエスの誕生と仮庵の祭り

 主は、私の力であり、ほめ歌である。主は、私の救いとなられた。この方こそ、わが神。私はこの方をほめたたえる。私の父の神。この方を私はあがめる。」     出エジプト記 15章2節

 エジプトの奴隷であったイスラエルの民は,その時代最も強力なエジプトの軍隊と海との間に挟まれて、どうすることもできない恐れと絶望の中にいました。 ところが、神は、モーセに命じて海を二つに割らせ、200万人以上もの民は海底を歩いて渡りました。20歳以上の男子だけで60万人以上(出38:26)という数字から割り出した人数です。この直後エジプト軍の追っ手は海に投げ込まれ、滅ぼされます。
 この時、イスラエルの民は上記の新しい歌を歌いました。モーセと姉のミリアムたちが賛美指導をします。
 その内容は、神の偉大な救いの御業のストーリーを語り、主に向かっての感謝と賛美でした。これが、彼らの礼拝でした。そして、この時代の歌は、タンバリンなどのリズム楽器によってダンスをしながら力強く伴奏されました。
 私たちも、イエスさまを信じた時、神さまに救われた喜びを持っています。喜びをじっと胸にしまっておくのではなく、分かち合いましょう。いっしょに集まって、心からの賛美の機会を持ちましょう。心が内に燃える経験をするはずです。

2018年1月1日月曜日

2018年01月01日 元旦礼拝 キリスト者と喜び

招詞
【主】に信頼する人々はシオンの山のようだ。ゆるぐことなく、とこしえにながらえる。 山々がエルサレムを取り囲むように、【主】は御民を今よりとこしえまでも囲まれる。 
                                  詩篇 125篇1、2節

聖書箇所
ピリピ人への手紙 4章4~7節

説教
キリスト者と喜び 田口勇新牧師
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