2017年3月26日日曜日

2017年03月26日 第4主日礼拝 受難① 聖餐

招詞
主とその御力を尋ね求めよ。絶えず御顔を慕い求めよ。 主が行われた奇しいみわざを思い起こせ。その奇蹟と御口のさばきとを。
                               1歴代誌16章11~12節

聖書箇所
ルカの福音書  22章 1~23節

説教
受難①  聖餐 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ103/ホーラ(時)
さて、過越の祭りの前に、この世を去って父のみもとに行くべき自分の時が来たことを知られたので、世にいる自分のも  のを愛されたイエスは、その愛を残るところなく示された。                              ヨハネの福音書13章1節
 
上記の「時(ホーラ)」は、本来、時期とか季節とかを意味しますが、ここではある特定の出来事を伴った時のしるしを意味するようです。ホーラの一例がヨハネ16:21にあります。「女が子を産むときには、その時が来たので苦しみます。しかし、子を産んでしまうと、ひとりの人が世に生まれた喜びのために、もはやその激しい苦痛を忘れてしまいます。」とあるように、新しいものを生み出すための産みの苦しみの出来事(しるし)としてヨハネはこの「ホーラ」を使っています。また、それは死からよみがえられて高く挙げられ御父のもとに帰られる栄光の時をも含んでいます。
 「栄光の時」は同時に、「暗闇の時」がサタンの抵抗が最高潮に達する時でもあります。私たちは、復活と永遠のいのちの希望に生きていますから、受難を最高点とは考えにくいのですが、四つの福音書において、イエスの生涯はいずれも受難の時を頂点として描かれています。毎週繰り返される信仰告白で、「ポンテオピラトもとで苦しみを受け.....十字架につけられ、死んで葬られ」というくだりをていねいに告白し、イエスさまの「あの時」を思い起こしたいものです。

2017年3月19日日曜日

2017年03月19日 第3主日礼拝 神の国のまえぶれ②

招詞
神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助け。 それゆえ、われらは恐れない。たとい、地は変わり山々が海のまなかに移ろうとも。
詩篇46篇1~2節

聖書箇所
ルカの福音書 21章7~27節

説教
神の国のまえぶれ② 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ102/隠れ場(セーテル)
「あなたは、御もと(セーテル)に彼らをかくまって(サータル:セーテルの動詞形)、人間のはかりごとから守ってくださいます。仮庵の中に隠し、争いを挑む舌を免れさせてくださいます。」    
詩篇 31篇20節 (新共同訳)

 主がダビデを詩篇27篇にあるような「悩みの日」だけでなく、31篇のように、人からのそしりや人との舌の争いから守るためにも、ダビデをひそかに所にかくまわれたことを記しています。これは恩寵としての秘密の場所にダビデが招かれ、導かれたということを意味します。3000年前に読まれ歌われた詩が現代の私たちの心に響きますね。

 神の「隠れ場」に身を避け、そこに住み(とどまり)、神のみことばを待ち望むことは、力を得ます。上掲の詩篇におけるダビデも、預言者エリヤも、使徒パウロも、そしてイエス・キリストも「隠れ場」を知っていました。私たちも、争いから逃れ、一時神に身をさけることは、知恵です。恥ずかしいことでも不名誉なことでもありません。

(銘形ヘブル語のキーワード」より引用)

2017年3月12日日曜日

2017年03月12日 3.11祈念礼拝 神の国の前ぶれ1①

招詞
わが神。私はみこころを行うことを喜びとします。あなたのおしえは私の心のうちにあります。                                  詩篇40篇8節

聖書箇所
ルカの福音書 21章5~6節

説教
神の国の前ぶれ① 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ101/ヘーン(好意と親切の愛)
しかし、ノアは、【主】の心にかなっていた。              (創世記6章8節)
 へブル語で、神の愛をあらわす言葉は、3つあります。1つ目は、アハバーで選びの愛です。2つめは、ヘセドで契約の愛です。3つめは、ヘーンで、好意とか親切と訳されています。
 上記、創6:8は、原文では「ノアは主の目に恵みを見出した。特別な好意を見出した」です。ノアは、神を信じない暴力や退廃(たいはい)の支配する時代の中にあっても、彼と家族のみの完全な少数派であっても、時代の流れに流されることなく、主体的に、自発的に「神とともに歩んだ人」でした。こうした生き方だけでも「慰め」を意味する「ノア」の存在が光ります。
 そのノアに対して、主は特別に目をかけられて、特別にひいきされて神の地上での新しい出発のためにあの「箱舟」が用いられたのです。この神の態度が今回のキーワードである「ヘーン」なのです。ルツ記2章には、「親切」ということばが3回使われていて、人ができる好意・親切が取り上げられています。一方的な親切、「よそ者である私にどうしてこんな親切にしてくださるのですか。あなたの使用人でもないのに、こんな親切にしてくださるとは・・・」とルツがボアズの親切に感動しています。実に一方的な親切です。これが「ヘーン」の愛なのです。
 ヘーンは、神さまとボアズにならってわたしたちもできる愛です。6年目の冬を耐えて春を待つ大震災の被災者の方々に、さらなる一方的で親切な言動を続けていきましょう。見返りを期待しないで。
                        銘形「ヘブル語のキーワード」から一部引用)

2017年3月5日日曜日

2017年03月05日 第1主日礼拝 レプタ銅貨2枚の信仰

招詞
主は【主】の御声に聞き従うことほどに、全焼のいけにえや、その他のいけにえを喜ばれるだろうか。見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。
                               サムエル記第一  15章22節

聖書箇所
ルカの福音書 21章1 ~4節

説教
レプタ銅貨2枚の信仰 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ100/祝福された望み
祝福された望み、すなわち、大いなる神であり私たちの救い主であるキリスト・イエスの栄光ある現れを待ち望むようにと教えさとしたからです。         テトスへの手紙 2章 13 節

 キリストの再臨はキリスト教信仰においてきわめて重要です。明治時代のクリスチャンとして知られる内村鑑三は、「十字架が聖書の心臓部であるなら、再臨はその脳髄であろう。再臨なしに十字架は意味をなさない。したがって、我々クリスチャンは再臨の信仰の立場に立って聖書を通観する必要がある」と述べました。
 初代教会は、そうした意味ではまさに再臨の希望に満ち溢れる教会でした。迫害の中でも彼らが世に勝ったのは、目に見えるものに心を奪われなかったからです。
 このことは現代に生きる私たちにとっても真理なのです。再臨によってもたらされるこの世の終わり、救いの究極的完成の時を、最も確かな出来事として信じながら、困難な時代を生き抜きましょう。                    (銘形「キリストの再臨と終末預言」より引用)