招詞
主とその御力を尋ね求めよ。絶えず御顔を慕い求めよ。 主が行われた奇しいみわざを思い起こせ。その奇蹟と御口のさばきとを。
1歴代誌16章11~12節
主とその御力を尋ね求めよ。絶えず御顔を慕い求めよ。 主が行われた奇しいみわざを思い起こせ。その奇蹟と御口のさばきとを。
1歴代誌16章11~12節
聖書箇所
ルカの福音書 22章 1~23節
説教言(こと)ローグ103/ホーラ(時)
さて、過越の祭りの前に、この世を去って父のみもとに行くべき自分の時が来たことを知られたので、世にいる自分のも のを愛されたイエスは、その愛を残るところなく示された。 ヨハネの福音書13章1節
上記の「時(ホーラ)」は、本来、時期とか季節とかを意味しますが、ここではある特定の出来事を伴った時のしるしを意味するようです。ホーラの一例がヨハネ16:21にあります。「女が子を産むときには、その時が来たので苦しみます。しかし、子を産んでしまうと、ひとりの人が世に生まれた喜びのために、もはやその激しい苦痛を忘れてしまいます。」とあるように、新しいものを生み出すための産みの苦しみの出来事(しるし)としてヨハネはこの「ホーラ」を使っています。また、それは死からよみがえられて高く挙げられ御父のもとに帰られる栄光の時をも含んでいます。
「栄光の時」は同時に、「暗闇の時」がサタンの抵抗が最高潮に達する時でもあります。私たちは、復活と永遠のいのちの希望に生きていますから、受難を最高点とは考えにくいのですが、四つの福音書において、イエスの生涯はいずれも受難の時を頂点として描かれています。毎週繰り返される信仰告白で、「ポンテオピラトもとで苦しみを受け.....十字架につけられ、死んで葬られ」というくだりをていねいに告白し、イエスさまの「あの時」を思い起こしたいものです。