2019年12月29日日曜日

2019年12月29日 第5主日礼拝 イエス、人生の試金石

招詞
主は、御民のために贖いを送り、ご自分の契約をとこしえに定められた。主の御名は聖であり、おそれおおい。知恵の初め、それは【主】を恐れること。これを行う人はみな、賢明さを得る。
                                詩篇111篇9b~10節

聖書箇所
ルカの福音書2章21~35節

説教
イエス、人生の試金石 田口勇新牧師

言(こと)ローグ/318 東の国から ①
 それで、カインは、【主】の前から去って、エデンの東、ノデの地(流浪の地)に住みついた。
                                    創世記4章16節

 東とは、聖書では、明確な意味をもっている。それは同時に、人間が「永遠」にかかわる企てにおいてとる道であり、また、神の招きに応じてたどる道でもある。
 バベルの塔を築こうとした人たちは、東からやってきた。歴史上、選民イスラエルを打ち破り、荒らしまわった各民族もそうだった。ところがまた、アブラハムも、神が呼び出される人々と同じく東からやってくる。
 そして、モーセやレビ人らは、祭壇の東側に立つのである(レビ記1:16)。
 さいごに、三人の王なる博士たち*が、(イエス様の誕生後)その時が来て東の方からやってくるのである(マタイ2章)。
 このいにしえよりの歴史上の一連のつらなりこそは、まさしく人間が待ち望んできたすべてを一挙に成就する、東方より来る最後のものの預言であった。
 カインがこうして、象徴的なこの東方に居を定めてより、人間はそれを待ち望んできたのである。  (*聖書では「三人」とも、「王」とも書いてありません。)
                         ジャック・エリュール「都市の意味」より


2019年12月28日土曜日

2019年12月24日 クリスマス キャンドルサービス みどりごのほほ笑み

聖書箇所
ルカの福音書2章8~12節

説教
みどりごのほほ笑み 田口勇新牧師
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聖書のことば
 ひとりのみどりごが私たちのために生まれる。ひとりの男の子が私たちにあた与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に就いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これを支える。今よりとこしえまで。万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。                                イザヤ書9章6~7節
   
さて、その地方で、羊飼いたちが野宿をしながら羊の群れの夜番をしていた。すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。み使いは彼らに言った。「恐れることはありません。見なさい。私は、この民全体に与えられる、大きな喜びを告げ知らせます。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ているみどりごを見つけます。それが、あなたがたのためのしるしです。」              ルカの福音書2章8~12節


2019年12月22日 クリスマス礼拝 ベツレヘムのイエスさま

招詞
 だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。           コリント人への手紙第二 5章17節

聖書箇所
ルカの福音書2章6~20節

説教
ベツレヘムのイエスさま 田口勇新牧師
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聖書のことば
  そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストゥスから出た。 これは、キリニウスがシリヤの総督であったときの、最初の住民登録であった。人々はみな、登録のために、それぞれ自分の町に帰って行った。
 ヨセフも、ダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレからユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。身重になっていた、いいなずけの妻マリヤとともに登録するためであった。
 ところが、彼らがそこにいる間に、マリヤは月が満ちて、男子の初子を産んだ。それで、その子を布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。
 さて、その地方で、羊飼いたちが野宿をしながら羊の群れの夜番をしていた。すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。見なさい。私は、この民全体に与えられる、大きな喜びを告げ知らせます。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ているみどりごを見つけます。それが、あなたがたのためのしるしです。」              ルカの福音書2章1~12節


2019年12月16日月曜日

2019年12月15日 アドベント第3週 第3主日礼拝 ザカリヤの賛歌

招詞
 荒野に呼ばわる者の声がする。「主の道を整えよ。荒地で、私たちの神のために、大路を平らにせよ。このようにして、【主】の栄光が現されると、すべての者が共にこれを見る。」
                                 イザヤ書40章3、5節

聖書箇所
ルカの福音書1章67~79節

説教
ザカリヤの賛歌 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/317

 「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」              マタイの福音書9章12、14節

 「バリア・フリー」のバリアとは、体や心の障碍者の方々の生活環境上の「障壁や障害」を意味します。したがって、バリア・フリーとは「障壁、障害を取り払う」という意味です。
 上記のみことばにある「罪人」の中には、収税人、羊飼いなどが含まれていました。イエスのことばは「バリア・フリー的宣教」です。イエスは、社会制度や文化や宗教上の心のバリアを問題とされました。
 私たちの「こころ」の中にあるバリアはなかなか取れないもので、クリスチャンも例外ではありません。偏見もその一つです。心の中には強力なバリアを作っていることが多いかもしれません。たとえば、「私をあの人と一緒にしてほしくない。あの人たちは私たちとは違う、特殊な人たちだ。」といった発想、見方。これがバリアです。待降の季節、主に願い、そうした心のバリヤを取り除いていただきましょう。       (銘形 「ルカ福音書学びの視座」より一部引用) 


2019年12月8日日曜日

2019年12月08日 アドベント第2週 第2主日礼拝 御子イエスと聖霊

招詞
私は心を尽くして主に感謝しよう。直ぐな人のつどいと集会において。主のみわざは偉大で、みわざを喜ぶすべての人々に尋ね求められる。               詩篇111篇112節

聖書箇所
ルカの福音書1章26~38節

説教
御子イエスと聖霊 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/316  マリヤとヨセフが選ばれた理由

 そして、(ヨセフ、マリヤ、イエスは)ナザレという町に行って住んだ。これは預言者たちを通して「彼、イエスはナザレ人と呼ばれる」と語られたことが成就するためであった。 
                                マタイの福音書2章23節

 マリヤとヨセフが選ばれた理由は何でしょう? その一つは、二人が婚約者として「ナザレ」という町に住んでいたからです。預言によればイエスさまは、ナザレ人でなければなりませんでした。 
 ですから、イエスさまがベツレヘムで生まれたのは、もう一つの預言とは言え、想定外のことに思えました。さらに、イエスさまの誕生の数年後、あの東方の博士たちの訪問の後、恐ろしいヘロデ王から逃れてエジプトへ行きました。ナザレは気が遠くなるほど遠くなりました。 
 しかし、ヨセフは、夢で帰国を促され、いったんベツレヘムに帰ったでしょうが、さらに夢で警告を受けたので、ガリラヤ地方に退きます。そして、ナザレに住み始めます。 
 こうして預言は成就しました。ナザレという小さな町が、世界の救い主イエスさまの故郷として30年間、歴史の「静かな舞台」になりました。  (銘形「アドベントの黙想」より一部引用) 

2019年12月1日日曜日

2019年12月01日 アドベント第1週 第1主日礼拝 インマヌエルのしるし

招詞
 神よ。私の心はゆるぎません。私は歌い、私のたましいもまた、ほめ歌を歌いましょう。あなたの恵みは大きく、天の上にまで及び、あなたのまことは雲にまで及ぶからです。
                                  詩篇108篇1,4節

聖書箇所
イザヤ書7章10~14節
マタイの福音書1章18節~25節
説教
インマヌエルのしるし 田口勇新牧師


言(こと)ローグ/315 大工(タラシュ)の息子

 イエスは、ご自分の郷里に行って、会堂で人々を教え始められた。すると、彼らは驚いて言った。「この人は、こんな知恵と奇跡を行う力をどこから得たのだろう。この人は大工の息子ではないか。」                        マタイの福音書13章54~56節

  教会学校の子どもが「どうしてイエス様は大工さんなの?」と尋ねました。皆さんはどう答えますか? ヨハネ14:2~3に、「わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。」と書いてあります。 
 公生涯の前の日常の大工仕事の中で、イエスは、私たちが住む天の家のことを考えながら働いておられたのですね。感謝しましょう。        (銘形「アドベント瞑想」より一部引用)