2016年8月28日日曜日

2016年08月28日 第4主日礼拝 信仰は神の賜物

招詞
主よ。あなたは私を探り、私を知っておられます。あなたは私の歩みと私の伏すのを見守り、私の道をことごとく知っておられます。
                                                    詩篇139篇1、3節
聖書箇所
ルカの福音書17章1~19節

説教
信仰は神の賜物 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ74/兄弟愛(フィラデルフィア)と 愛(アガペー)
「あなたがたは、あらゆる努力をして、信仰には徳を、....兄弟愛には愛を加えなさい」
                                             ペテロの手紙第2 1章5、7節
「兄弟愛」と「愛」のように愛が2度繰り返されています。「兄弟愛」はフィラデルフィアで、「愛」はアガペーです。この違いは何でしょうか?フィラデルフィアは、フィレオ(愛)とアデルフォス(兄弟)という2つの語から成る合成語です。フィレオは、親子愛(母性愛も)を含む兄弟愛を示す言葉で、人が相手に与えることのできる最高の愛です。アガペーは、神の完璧な愛を示す言葉です。
 ではペテロは、なぜ、人が持つことのできないアガペーの愛を加えるように言ったのでしょうか? それは、キリスト者以外の人々を含むすべての人を愛するようにという強い勧めです。神の愛を反映させながら、人々の救いを心から願い、主をあかししながら仕えることです。中国奥地宣教団(CIM、現OMF)のホースト総裁は、「神は私たちの愛を富ませるために、愛しにくい人をそばに置かれることがある」と自分の体験を告白しました。私たちのまわりには、愛しにくい人がいますか?神さまに願い、兄弟愛に愛を加える信仰を与えていただきましょう。                         (櫛田節夫 「ペテロの手紙2 講解」より加筆引用)

2016年8月21日日曜日

2016年08月21日 第3主日礼拝 お金の好きな人

招詞
私は心を尽くしてあなたに感謝します。まことに、主は高くあられるが、低い者を顧みてくださいます。
                                                   詩篇138篇1、6節
聖書箇所
ルカの福音書16章14~31節

説教
お金の好きな人 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ73/「 貧しい人(プトーコス)」
ルカの福音書(16:20,22)で語られている「貧しい者」(プトーコス) とは、「社会の中で不利益な立場に置かれている人々」を意味しています。当時の社会的なカテゴリーにおける集合的な語彙として使われました。マタイの福音書5章3節では、指導者たちを含む、一般の人々が、「心の貧しい者」という言い方で、もし、自分が実は霊において貧しいということに気がつき、認めることができれば、謙遜と神への信頼に導かれていく、だから幸いです(祝福です)と言われています。これに対して、ルカの福音書では、字義通り、ほとんど社会的に疎外されているところの貧しい人々を取り上げ、彼らに関心が向けられています。今日の社会的弱者プラス地位やお金があっても心貧しい人たち、神さまの愛から離れている人たちが、プトーコスでした。イエスさまの目は、いつもプトーコスに注がれていました。
                                          (銘形「ルカの福音書」より一部引用)

2016年8月14日日曜日

2016年08月14日 第2主日礼拝 相手の罪を赦しなさい

招詞
不法を赦され、罪をおおわれた人たちは、幸いである。主が罪を認めない人は幸いである。
                                               ローマ人への手紙4章7節
聖書箇所
ルカの福音書16章1~13節

説教
相手の罪を赦しなさい 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ72/「弱さを誇る 」
「私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱い時にこそ、私は強いからです。」                                  コリント人への手紙 第2 12章9b~13節
 お笑い芸人などが、自分の欠点や、弱さをわざと人前で言って惹きつけるのは、「自虐ネタ」と言われます。しかし、パウロの場合、「弱さを誇る」と公言した時、人を惹きつけるための自虐ネタだったのではありません。「神ご自身が選ばれた使徒として、自分が高ぶって破滅し、倒れてしまうことがないように、神は恩寵として、彼の肉体にひとつのとげを与えられた」とパウロは告白しています。とげとなる肉体の痛みがなんであったのは実ははっきりとは分からないのですが、とげは痛いわけですから、パウロは主にこのとげを取り除いてくださいと祈ったのです。「そうすればもっと神様のために働けますから。どうぞ取り去ってください」と三度も嘆願しました。しかし、主の答えは意外でした。「わたしの恵みは弱さの中に完全に現される」(12:9a)。パウロはこれ以来、この「とげ」を持って生きていくことを良しとし、「弱さを誇る」ことにしました。
                                           (銘形「謙遜への招き」を一部引用)

2016年08月07日 第1主日礼拝 今朝、なぜここにいますか?

招詞
しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。
                                        ペテロの手紙第一 2章9節

聖書箇所
ヘブル人への手紙10章24~25節

説教
今朝、なぜここにいますか? ジョン・オルソン師
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