2019年3月31日日曜日

2019年03月31日 第5主日礼拝 凡人イサク

招詞
主をほめたたえよ。すべて造られたものたちよ。主の治められるすべての所で。わがたましいよ。主をほめたたえよ。                         詩篇103篇22節

聖書箇所
ヘブル人への手紙11章20節

説教
凡人イサク 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/281 受難節と受難週

 教会暦によれば、受難節(レント)は四旬節ともいわれ、今年は、3/6(水)に始まりましたが、イースター(4/21)前の6回の日曜日(主日)を除いた40日間をいいます。40日間の設定は、イエス・キリストが体験された荒野の試練の40日間の断食に由来しています。
 イースター前の直前の週を受難週と呼び、その週の金曜日4/19は十字架の金曜日です。欧米の教会では、この日をグッド・フライデー(良い金曜日)と呼びますが、罪からの救いの日だからです。4/21のイースター(復活祭)は喜びと賛美に満ちた教会のもっとも大切な祭日です。

 レントの期間は、イエス・キリストが私たちの罪のために身代わりとして、十字架にかかられたご受難を覚え、祈りつつ生活を送りましょう。

2019年3月24日日曜日

2019年03月24日 第4主日礼拝 パウロの願い

招詞
人の日は、草のよう。風がそこを過ぎると、それは、もはやない。しかし、【主】の恵みは、とこしえから、とこしえまで、主を恐れる者の上にある。                詩篇103篇15~17節

聖書箇所
エペソ人への手紙6章19~20節

説教
パウロの願い 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/280 感謝する (ホドゥー) 

  主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。            詩篇 107篇1節 

 「主に感謝せよ」という命令の根拠は二つあります。一つは、主が良い方(トーヴ)だから、二つめは、主の恵み(ヘセド)は永遠だからということです。 
 三浦綾子さんは、生前「私には死ぬという仕事がある」と言いました。その仕事のなかに「心を尽くしてすべてのことを感謝する(ホドゥー)」という大仕事があったのです。自分にかかわるすべてのことについて感謝して天国に旅立ちましょう、と綾子さん。「自分に死んでいる」しるしは、すべてを感謝することができる事だ、と言うのです。
                     (銘形「ヘブル語のディリーブレッド」より引用) 

2019年3月17日日曜日

2019年03月17日 第3主日礼拝 祈りのちから②

招詞
主よ。私の祈りを聞いてください。私の叫びが、あなたに届きますように。私に耳を傾けてください。                                詩篇102篇1~2節

聖書箇所
エペソ人への手紙6章10~16節

説教
祈りのちから② 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/279 あなたの名を呼んだ

 だが、今、ヤコブよ。あなたを造り出した方、主はこう仰せられる。イスラエルよ。あなたを形造った方、主はこう仰せられる。
 「恐れるな。わたしがあなたを贖ったのだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたはわたしのもの。あなたが水の中を過ぎるときも、わたしはあなたとともにおり、川を渡るときも、あなたは押し流されない。火の中を歩いても、あなたは焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。・・」
                                 イザヤ書43章1~2節

 このイザヤの預言は、700年後、イエスの十字架の御業で「あなた」のために成就しました。
 イエス・キリストは言われました。「人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。」(マルコ10:45) イエス・キリストという方以外に、私たちが贖われる(救われる)べき道はありません。名指しで救ってくださった方に感謝して今週も進ませていただきましょう。
                      (銘形「ヘブル語ディリーブレッド」より引用)

2019年03月10日 第2主日礼拝 祈りのちから

招詞
神に選ばれた者、聖なる、愛されている者として、あなたがたは深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。                   コロサイ人への手紙3章12節


聖書箇所
エペソ人への手紙6章10~18節

説教
祈りのちから 田口勇新牧師

言(こと)ローグ/278 同情(スプランクニゼスサイ)

 ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は弟息子を見つけ、「かわいそうに思い」、走り寄って彼を抱き、口づけした。                   ルカの福音書15章20節

 語根のスプランクナは、心臓、肺臓、肝臓、腸のような重要な内臓の意味です。ギリシャ人は、この部分に感情、とくに怒り、不安、恐怖、そして愛情の座があると考えました。
 スプランクニゼスサイ(同情)は、マタイ、マルコ、ルカの福音書だけに使われ、上記、放蕩息子の帰還への父(神のたとえです)は、イエスが、思いやりあふれる同情主の意味で多く用いておられます。
 イエスは、霊的に飢え乾いてみもとにやってきた群衆を見て、深く憐み(マタイ9:36、マルコ6:34)ました。ツアラートに罹り社会から締め出された人々を深く憐み、2人の盲人に対する憐み(マタイ2:34)などなど、スプランクニゼスサイであふれています。イエスがこの人たちの悲しい状態に心動かされ、行動を起こされ、霊的乾きを癒し、病気を癒されました。それはイエスの心が彼らとともにあったということでしょう。この侵され、他に、例で多用されています。
 私たちも同情することは沢山ありますが、その時、ただの傍観者であってはならいないということですね。イエスの「こころ」を深読みしていきましょう。
                                                               (バークレー「新約聖書ギリシャ語精解」より引用)

2019年3月3日日曜日

2019年03月03日 第1主日礼拝 祈りという武具①

招詞
祈りを聞かれる方よ。みもとにすべての肉なる者が参ります。幸いなことよ。あなたが選び、近寄せられた人、あなたの大庭に住むその人は。               詩篇65篇2~4節

聖書箇所
エペソ人への手紙6章10~18節

説教
祈りという武具①  田口勇新牧師
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言(こと)ローグ/276  祈る(パーラル)①

      それゆえ、聖徒は、みな、あなたに祈ります。      詩篇42篇6節

  「祈ります」と訳されたパーラルは、想像に反してその使用数は決して多くはありませんが、アブラハム、モーセ、アロン、ハンナ、サムエル、エズラたちが主に祈った祈りがパーラルでした。
 
 パーラルの3つの用例を見ましょう。
(1)主の名を「呼ぶ、尋ね求める、叫ぶ、申し上げる、心を注ぎだす」。
   旧約の祈りの巨人たちも、祈りは、まず主の名を呼ぶことからでした。時に
   は泣いてすがりました。
(2)「とりなしをする」と言う意味もあります。
   創世記20章ではアブラハムがアビメレクのためにとりなして祈っているとこ
   ろにこの動詞が使われています。
(3)追い込まれた祈り
   聖書には歴史を動かした多くのすばらしい祈りがありますが、その中でも、
   「ハンナの祈り」は歴史を変えた祈りのひとつです。その祈りは、夫エルカ
   ナとの家庭内で起こった一つのトラブルがもたらした、いわば、「追い込ま
   れた祈り」でした。次回、詳しくとりあげます。

 祈りに決まった型はありません。しかし、イエスさまは、「イエスさま」と呼ぶ声を待っておられます。また、心を注ぎ出して祈る祈りの声を注意深くお聞きになるでしょう。今週から受難節に入りますが、この2週間、心を静めて祈りについて瞑想してみたらいかがでしょうか?
                        (銘形「原語で味わう詩篇」より一部引用)