2022年9月25日日曜日

2022年09月25日 第4主日礼拝 福音は人を変える

招詞
 あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。主は、あなたの義を光のように、あなたの正しさを真昼のように輝かされる。           詩篇37篇5~6節

聖書箇所
第1コリント15章1~11節

説教
福音は人を変える 田口勇新牧師

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言(こと)ローグ/458 十戒の全体像
 「わたしは、あなたをエジプトの国、奴隷の家から連れ出した、あなたの神、主である。」 
                                 出エジプト記20章2節

 神がイスラエルの民と結ぶ最も基本となる契約が、出20:1~17に「十戒」という形で神から示されています 。
十戒の内容は、前半が、神に対する義務と責任、後半は、隣人に対する義務と責任に二分されます。すなわち、①心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。申命記6:5 と②あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい。レビ記19:18です。イエスさまは、「律法の大切な戒めは何か」と問われた時に、この二つのか所から神と隣人を愛しなさい」とまとめられました(マタイ22:37~40)。ところで、マタイのギリシア語原文では「愛する」が命令形ではなく、未来形で書かれていることから、「愛するであろう」と訳すことができます。神がいかに熱愛しておられるかをあなたが知るならば、「心を尽くして・・・あなたの神である主を愛するようになる」し「隣人を愛するようになる」ということです。愛は命令や強制によって培われることはありません。愛は自発的、主体的要素が重要です。ですから、私たちが主をどのような方として知っているか(経験しているか)で、神と人を愛する姿勢が大きく変わります。あなたは、主をどのような方として知っていますか?     (銘形:「出エジプト記」より一部引用)

2022年9月17日土曜日

2022年09月18日 第3主日礼拝 勝利の賛歌

招詞
 主に信頼し善を行え。地に住み、誠実を養え。主を自らの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。                          詩篇37篇3~4節

聖書箇所
出エジプト記15章1~21節

説教
勝利の賛歌 田口勇新牧師

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言(こと)ローグ/457 徹夜の祈りの後で ②

 イエスは祈るために山に行き、神に祈りながら夜を明かされた。 そして、夜が明けると弟子たちを呼び寄せ、その中から十二人を選び、彼らに使徒という名をつけられた。すなわち、ペテロという名を与えられたシモンとその兄弟アンデレ、そしてヤコブ、ヨハネ、ピリポ、バルトロマイ、マタイ、トマス、アルパヨの子ヤコブ、熱心党員と呼ばれていたシモン、ヤコブの子ユダ、イスカリオテのユダで、このユダがイエスを裏切るものとなった。    ルカの福音書6章12~16節

 使徒(アポストロス)の資格は、イエスの直弟子であることでした。パウロは例外ですから、自分は使徒の資格があると主張しています(ガラテヤ1:1ほか)。使徒とは、イエスの福音のメッセージを託された者という意味で、アルネ語のマカ・ウラーケもこの意味です。「使徒」とはあくまでも12弟子による共同体的・教会的「使徒」を意味しています。このイエスの愛弟子たちはしかし、十字架の前夜、捕縛を恐れてイエスを置き去りにしたことで痛悔(つうかい)を経験しましたが、ペンテコステ以来変わりました。やがて迫害がエルサレムに起こったとき、身の危険から多くの他の弟子たちは各地に散りましたが、使徒たちだけはエルサレムにとどまりました。短い期間、エルサレムを出ることはあったとしても、必ず、エルサレムに戻っています。命がけで教会に仕えた使徒たちの証言集と言える新約聖書27巻の重みを感じます。愛読しましょう。   
                     (銘形:「ルカの福音書を味わう」より一部引用)

2022年9月11日日曜日

2022年09月11日 第2主日礼拝 贖いの力 ③ 完全勝利

招詞
 いのちの泉はあなたとともにあり、あなたの光のうちに、私たちは光を見るからです。注いでください。あなたの恵みを、あなたを知る者に。あなたの義を、心の直ぐな人たちに。
                                  詩篇36篇9~10節

聖書箇所
出エジプト記14章1~31節

説教
贖いの力 ③ 完全勝利 田口勇新牧師

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言(こと)ローグ/456 徹夜の祈りの後で①

 そのころ、イエスは祈るために山に行き、神に祈りながら夜を明かされた。そして、夜が明けると弟子たちを呼び寄せ、その中から十二人を選び、彼らに使徒という名をお与えになった。
                              ルカの福音書6章12~13節

 この章の12~19節には、二つの事柄が記されています。ひとつはイエスが徹夜で夜を明かした後に、弟子たちを呼び寄せ、その中から12人の使徒を選び出したこと。もうひとつはいやしを求める群衆に対して「イエスから力が出て、すべての人をいやした」ことです。
後者のいやしを求める群衆は、異邦人を含むパレスチナ全土からイエスのもとに来ており、「群衆は何とかしてイエスにさわろうとしていた」(19節)とあります。「何とかして」というのは「必死に何かをしようとする動詞「ゼーテオー」で、熱心な求道を意味します。「イエスから力が出た」という箇所の直訳は、「力が途切れなく出た」(未完了形)です。遠くからイエスを見ているだけでなく、イエスさまに近づく時、必死に願う時、イエスは、分け隔てなく、私たち全てをいやしてくださいます。また、イエスは、ゼーテオーの求めを喜ばれます。
                     (銘形:「ルカの福音書を味わう」より一部引用)

2022年9月4日日曜日

2022年09月04日 第1主日礼拝 過ぎ越し 贖いの力 ①

招詞
 主は、心の砕かれた者のそばにおられ、魂の砕かれた者を救われる。正しい者には悩みが多い。しかし、主はそのすべての悩みから救い出される。    詩篇34篇18~19節 (現代訳)

聖書箇所
出エジプト記13章1節~16節

説教
過ぎ越し 贖いの力 ① 田口勇新牧師

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言(こと)ローグ/455 人の子は安息日の主

 イエスは、言われた。「人の子(イエス)は、安息日にも主です。」
                            ルカの福音書6章5節 (現代訳)

 安息日(クリスチャンにとっては日曜日)を日常の生活から切り分けて聖なる日とすることは、永遠に変わることのない神のご意志です。しかしイエスの時代の宗教指導者たち(パリサイ人など)は、人々を生かすことよりも口伝律法も含め、規則で縛りました。別の安息日に、イエスがユダヤ人会堂に入って教えておられた時、そこに、右手のなえた人がいたので、彼を直してやりましたが、パリサイ人たちは激怒しました。「安息日に人を救った」からです。しかし、これは、律法の安息日違反ではありません。
安息日の目的は2つです。第1は、神と共にあることを喜び楽しみ、神から与えられたみ言葉を学び、その中に示されている神の民としてのあり方を生きるためです。第2は、心身の休息です。週一休むことで、休日が信仰の回帰点ともなります。自分のためだけではありません。申命記5:14には、主人が休まないと休めない在留異国人、男女の奴隷たちなど、当時の社会的な弱者たちも休めるようにと付記されています。現代の日本社会にも適用したいみことばです。
                     (銘形:「イエスの破天荒な言動2」より一部引用)