2021年3月27日土曜日

2021年03月28日 第4主日礼拝 イエスの7つの言葉で

招詞
 十字架のことばは、滅びる者たちには愚かであっても、救われる私たちには神の力です。それゆえ神は、宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救うことにされたのです。
                         コリント人への手紙第一 1章18、21節

聖書箇所
ルカの福音書23章32節~56節

説教
イエスの7つの言葉で 田口勇新牧師
説教動画はこちら:

音声のみはこちら:MP3音声ファイル

言(こと)ローグ/380 信仰の仲間
 この人(アリマタヤのヨセフ)がピラトのところに行って、イエスの体の下げ渡しを願い出た。
                                ルカの福音書23章52節

 ユダヤの律法によれば、十字架にかけられて呪われた者によってその地が汚れることがないように、「安息日」の前までに死人を十字架から引き降ろさなければなりませんでした。ところが、イエスを引き降ろして墓に埋葬しようとした人物が、突如あらわれたのです。その人物こそ、ルカの福音書ではじめて登場する「アリマタヤのヨセフ」です。彼が現れなければ、イエスは二人の囚人とともに囚人用の墓地に埋められていたかもしれません。
イエスの十字架の死は、彼をしてはっきりと自分がイエスの弟子であることを公にする機会となりました。それまでの彼は、ユダヤ人を恐れて自分がイエスの弟子であることを隠していたのです。イエスの遺体を十字架から引き降ろすことで、自分がイエスの弟子であることを公にしました。信仰を同じくする仲間として、律法学者のニコデモもイエスの埋葬にかかわりました。信仰を明確にしたことで、同じ仲間がいることを知り得たのです。私たちも勇気をもって教会のこと、信仰のことを友人や職場の方々にお話ししましょう。仲間が見つかるかも知れません。
                             銘形「ルカの福音書」より引用)

2021年3月21日日曜日

2021年03月21日 第3主日礼拝 私の望みは主イエスだけに

招詞
 主よ、私の心をあなたのさとしに傾かせ、不正な利得に傾かないようにしてください。むなしいものを見ないように私の目をそらせ、あなたの道に私を生かしてください。
                                詩篇119篇36~37節

聖書箇所
マタイの福音書27章1~34節

説教
私の望みは主イエスだけに 田口勇新牧師
説教動画はこちら:
音声のみはこちら:MP3音声ファイル

言(こと)ローグ/379 王が来られる
 祭りに来ていた大勢の群衆は、イエスがエルサレムに来られると聞いて、なつめ椰子の枝を持って迎えに出て行き、こう叫んだ。「ホサナ。祝福あれ、主の御名によって来られる方に。イスラエルの王に。」イエスはろばの子を見つけて、それに乗られた。次のように書かれているとおりである。「恐れるな、娘シオン。見よ、あなたの王が来られる。ろばの子に乗って。」 
                            ヨハネの福音書12章12~15節

 イエス様が、十字架につくため、エルサレムに子ろばに乗って入城されたとき、群衆がなつめやしの枝を持ってイエスを歓迎した記事で、教会暦では、棕櫚の日と呼ばれ、次週3月28日です。4月2日が十字架の金曜日で、4日が復活日 (イースター)です。イエスさまは、世俗の王ではなく天の御国の王です。ところで、この熱狂的にメシア・イエス様を歓迎した人たちは、十字架の日、どこに行ってしまったのでしょう? 彼らの中にユダヤ人指導者たちに扇動されて 「十字架につけろ」と叫んだ人が混じっていなかったとは言い切れませんね。彼らの熱しやすく冷めやすい信仰を反面教師として心を引き締め、今年もイエス様の十字架と復活の日を祝いましょう。 

2021年3月13日土曜日

2021年03月14日 3.11祈念礼拝 待望の主イエス

招詞
 主よ、私はあなたの仰せの道を走ります。あなたが私の心を広くしてくださるからです。あなたのおきての道を教えてください。そうすれば私はそれを終わりまで守ります。
                                詩篇119篇32~33節

聖書箇所
詩篇130篇

説教
待望の主イエス 田口勇新牧師
説教動画はこちら:

音声のみはこちら:MP3音声ファイル

2021年3月7日日曜日

2021年03月07日 第1主日礼拝 一つとされる神の民

招詞
 主よ、みことばのとおりに私を強めてください。私から偽りの道を取り除いてください。みおしえをもって私をあわれんでください。私は真実の道を選び取り、あなたの定めを自らの前に置きました。私はあなたのさとしに固くすがります。           詩篇119篇28~31節

聖書箇所
エゼキエル書37章15節~28節

説教
一つとされる神の民 田口勇新牧師
説教動画はこちら:

音声のみはこちら:MP3音声ファイル

言(こと)ローグ/378 グリーフ(喪失の悲嘆)
 悲しんでいる者たちに救いがある。なぜなら彼らはなぐさめられるであろうから。
                    マタイの福音書5章4節 (E.シュヴァイツァー訳)

    再びシュヴァイツァー訳です。グリーフとは喪失の意味です。グリーフ・ケアは「喪失の悲嘆へのケア」で、本来は「死別の悲嘆へのケア」だけをさす言葉ではありません。しかし日本では、阪神淡路大震災や東日本大震災の遺族ケアの同義語として“グリーフケア”が使われているようです。
意訳になっていますが、シュヴァイツァー訳では、そのような方々に、神によって「救いが備えられている」ということになります。その救いの内容は、天の御国は彼らのものであり、悲しみは慰められ、謙遜な者たちが地を相続し、義に飢え渇く者たちは満たされるということです。
そうした救いにあずかる者たちはなんと幸いでしょうか。天の御国はこのような救いにすでにあずかった者たちがいるところであり、今生きている者たちにとっては、その救いの約束の中に生かされている者たちのいるところなのです。イエスさまの福音をお伝えしましょう。祈りましょう。 私たちは、愛する子どもたちをマラリヤ、チフス、破傷風などで亡くした沢山のアルネの親御さんを知っていますが、涙ながらに神様の愛で強くされ、天国で再会する希望を持って生きています。以下アルネ語訳です。
「悲しんでいる人たちには、神が彼らの心に喜びを下さる。なぜなら、やがて神ご自身が彼らの心を強くしてくださるから。」
※「心を強くする」はアルネ語では勇気や励ましや慰めが含まれています。